第169話 隣の芝生が明らかに青い場合、どうすればいいですか。

 ありすの言動にキレた草薙さんを眺めながら、私は心の中で嘆息しました。薄々こうなりそうな予感はしていましたが…草薙さんからしたら、れーくんに責任転嫁する事で、やり場のない感情をどうにか整理してきたのでしょう。探索者は全て自己責任ですし、自業自得、その言葉一つで切って捨ててしまうには、あまりに可哀想です。似た境遇の私は同情の余地があると思ってしまいます。


 れーくんからしたら、勝手に意識されて、勝手に期待されて、勝手に失望されて、何時の間にか恨まれているわけですからいい迷惑でしょうが。れーくんは自分の立場や発言が周囲に与える影響に関して無頓着ですからね…万魔の後継者を気軽に名乗っている事や、北条との決闘が良い証拠です。


 そしてそのどちらも、下手しなくても歴史の教科書に載るような出来事が、たった一人の女の子が心配だからという、普通なら微笑ましく思える動機が発端なのです。常識的に考えて、そんなの分かるわけないです。つまりれーくんに関しては考えるだけ無駄なのです。世間の常識に照らし合わせて考えてしまった結果が、草薙さんや北条の皆さんの不幸と言えるでしょう。逆に言えば、れーくんと良好な関係を築けている万生教の方達は…これ以上考えるのはやめておいた方が良さそうですね。


 つまり草薙さんは既に虎の尾を踏んでいるわけですが、今回はありすからちょっかい出してますし…ありすはありすで、昔のれーくんの事を知っている人と会えた事で勝手に親近感を持ってちょっと箍が外れてる感じがしますし。いや、最近は普段からこんな感じのような気も…ありすの様子を見る感じ、大丈夫そうですかね?絶対とは言えませんが。少なくとも問答無用といった展開にはならないはずです。そう思いたいだけですが。


 しかし、人生というのは分からないものですね…1年前の私に今の状況を話したら夢と現実の区別がつかなくなったと心配するのではないでしょうか。私も奈月もれーくんの庇護を受ける立場、身も蓋もない言い方をすれば、ありすのおこぼれに預かっている立場であり、一方的に恩恵を享受している側です。


 だからこそ、草薙さんの気持ちが私には理解出来ます。私達が特別だったわけではなく、何かが一つ違っていたら、私達の位置に草薙さん達がいた未来があったかもしれません。ようは無い物強請りですが、失ってしまった物が物だけに、彼女の探索者零に対する想いは複雑且つ重かったのでしょう。それが唐突に万魔央として関東探学に入学し、北条との決闘でその力を示した事で、押し込めていた感情が溢れ出て、時間経過の分、色々と拗らせてしまった事は想像に難くありません。


 こうなってしまったのは誰が悪いかと問われたら、私は大道寺満と答えますが。彼がありすに余計なちょっかいを出し続けなければ、北条との決闘騒ぎも起きませんから世間を騒がす事もなかったでしょう。天獄杯も通常通り執り行われ、れーくんは万魔様と一緒に観戦していたと思います。とはいえ、そんな事を言った所で意味はないですし、この場はもう話し合いで丸く収まる事はないでしょう。


 まあ、草薙さんでなくてもふざけるなと言いたくなるでしょう。私もたまにそれはどうなのと思う事がありますし。ですが仕方ありません。何もかも持っている。それが天月ありすであり、そんな彼女だからこそ今の私があるのですから。


 私の心情的には草薙さん寄りですが、それとこれとは話が別です。こちらも引けない事情があります。ありすは元から戦う気はなさそうですし、仕方ありませんね…



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「えぇ…どうしようレナちゃん、草薙さんいきなりブチギレてるんだけど」


 こうまでなっても問答無用で手を出してこない辺り、人が良いですね草薙さんは。


「そうですね。ありすが悪いと言えば悪いのかもしれませんが、捉え方の問題ですから…草薙さん、ありすとしては悪気があったわけではないのです」


「悪気がなかったら何をやっても良いとはならないの」


「それは確かに」


「ありすはちょっと黙っててください」


 火に油を注がないでください!まったく、危機感がないのは困りものですね…


「草薙さん、貴女が独りで行動している理由は何となく分かります。その上で提案します。幸い私達には伝手がありますので、後でお願いしてみます。ですからここは一旦引いてくれませんか?」


「…そこまでしてもらう理由がない」


「私も元は貴方と同じ側ですから。気持ちは分かるつもりです。ありすの言動にイラッとするのも痛いほど分かりますが、残念な事にありすに悪気はないのです」


「レナちゃん!?私そんな酷い事言ったかな!?言ってないよね草薙さん!?」


 問題なのはそのバグった距離感ですよ。私達は草薙さんと知り合いですらないのです。とはいえ、事情が事情だけに、出来る事はしてあげたいと思います。今の私は何も出来ないわけではないのですから。


「……いや、駄目だ。ボクだけズルをするわけにはいかない。どちらに頼むつもりかは知らないけれど、そんな横紙破りをしたら後々大きな問題になる。ボクの問題は、このチャンスを掴んで私が解決する、してみせる」


「そうですか…なら仕方ありませんね」


 交渉、決裂ですか…出来るなら戦いたくなかったのですが。今後も何かと顔合わせしそうですし。普通に良い人ですし、草薙さん。純粋な力比べならともかく、こうドロドロした物を乗せて戦うのは好きではありません。ありすがやる気ないのもその辺りが関係してそうですね。


「気にかけてくれた事には礼を言っておくよ星上さん。その上で、君達を倒してボクは先に進もう」


「私達としても手を抜くわけにはいきません、2対1ですよ?」


「構わないよ。そちらは天獄杯個人戦代表選考会本選初戦敗退者と、準決勝敗退者で武器無しだ、バランスは取れている。幸運な事に、このバトルロイヤルに万魔央が介入してくる事はないからね。このお姫様に現実の厳しさを叩き込む絶好の機会を逃すわけにはいかない。何より!アレが手をこまねいて観ているしかない今この瞬間に!一発殴らなきゃ気が済まない!!」


 ですよね…数の不利で退く程度の覚悟なら、この場で戦う選択肢なんて選びませんよね。困りましたね…後々を考えると、ありすと戦わせたくないんですよね…


「む…確かに。れーくんが観てる前で無様な姿は見せられないね」


 急にやる気出すの止めてくれますか。

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