第166話 Shit
真っ黒になったテレビのモニターを見つめたまま、草薙有希は放心した。あまりにも濃密な時間だった。情報量が多すぎて頭がパンクしそうだった。今はただ、胸に渦巻く形容し難い感情を整理したかった。
真っ先に浮かぶ思いはそう、なぜ…なぜ万魔様はアレを後継者にしたのだろうか?あんなの才能以前の問題だと思う。大きな力には、それに見合った責任が伴う。我欲で振るわれる力は無秩序な暴力に過ぎず、何も守れはしない。誰かの為に、守る為に振るわれる力こそが、人々に希望を、安寧を齎すのではないのか。それを体現し実現ているのが万魔様であり、禁忌領域守護家の人達ではないか。そうであるからこそ、長きに渡って、人々の信頼を勝ち取ってこれたのではないのか。
探索者になる人達は、そうでなくとも子供心に誰もが一度は無邪気に思い描いたはず。自分が禁忌領域を解放する英雄になる夢を。それがどれだけ困難な事か、無茶無理無謀な事かを成長するにつれ理解し、妥協し、諦めるものだけれど。それでもその想いは心のどこかに燻ぶり続けていて、だからこそ多くの人々は、禁忌領域を解放した万魔様を、それに挑み続ける禁忌領域守護職の人達に対してのリスペクトがある。
だってそうだろう。自分の為ではなく誰かの為に命を、人生を懸けるなんて事、普通は出来ないから。そしてそんな人たちのお陰で自分たちの暮らしが守られていると考えたら、感謝こそすれ非難する事など出来るわけがない。
それをアレは、あの男は!あろうことか!個人間の色恋沙汰の解決に万魔様を引っ張り出して!北条一門に決闘を吹っ掛けて!更には全国の禁忌領域守護職を貶めた!私腹を肥やす?酒池肉林?そんな事にかまけるような人達が禁忌領域を維持できるわけがない。
確かに禁忌領域産の素材や魔石は禁忌領域守護領の独占になっているが、そもそも禁忌領域守護領でしか入手出来ないのだから当たり前だろう。それにしたって暴利を貪っているわけではない。ランクごと、それこそE級やD級の低ランク探索者にも武具が入手出来るよう配慮されているし、そのお陰で比較的安全にダンジョン探索が可能になっている事実がある。昔はそれこそ素手で現地調達が当たり前だったと聞く。それを思えば低ランク素材といえど加工した武具で、誰もがローリスクでダンジョン探索が出来る状況を構築した事は、十分な功績と言えるだろう。
入手し辛い希少な素材が高価なのは当たり前だし、武器や防具の素材としても価値は非常に高い。それを外に放出せずに自分たちの戦力強化に使うのは当たり前だ。そもそも禁忌領域の探索に許可申請が必要になったのは、昔、欲に目が眩んだ馬鹿な人達が無断で侵入して死にまくり、浸食が拡がったせいらしい。人の死を糧に浸食は拡がる。その事実があればこそ、可能な限り安全に配慮した上で禁忌領域は探索しなければならない。決して、ちょっと面白そうだからとか、小遣い稼ぎに片手間でとか、いっちょ腕試しにといった、物見遊山の遊び気分で行くような場所ではないのだ。
それが分からない万魔様ではないだろうに、なぜ否定をせずに静観していたのか。弱みでも握られているのだろうか?アレを後継者に選んでしまった手前、強く咎めることができないのだろうか?いずれにせよこれは明らかな失態だと思う。あの万魔様といえど、神ならざる身、完璧な存在ではないということだ。
そこにつけ込み、いかなる手段を用いてか万魔様を籠絡した万魔央、いや零が狡猾だったということなのか。確かにアレは口だけは達者だ。そもそもアレが…零がいなければ、こんなことにはなっていなかった。下手をすれば禁忌領域守護領の在り方を変えてしまいかねない決闘騒ぎなんて起きなかったし、勇輝だって元気にダンジョン探索をしていたはず。忌々しい…心底恨めしい…そう、そうだ。全部全部、何もかもアイツが悪い!
そもそも、1vs12の決闘とか意味不明すぎる。自信満々に1vs4じゃ俺に有利すぎるとか色々言ってたけど、誰がそんな大法螺を間に受けるのか。万魔の後継者の肩書を得たことで、自分が最強だと錯覚したのだろうか。その肩書に見合うだけの実績が欲しかったのだろうか。世界が自分を中心に回っているとでも思っているのだろうか?万魔様の威光を笠に着ているだけの矮小な存在の分際で。
あの番組の時もそうだった。七歳でB級探索者になった事は確かに凄い事だし、最年少B級探索者のレコード記録が破られることは今後ないかもしれない。でもあそこまで偉ぶれるような偉業かと言われればそうでもない。言ってしまえば超早熟なだけで、B級探索者の実力でしかないのだ。現に勇輝だって3年後にB級探索者昇格試験に挑戦している。そしてその間、アレがA級やS級探索者になって世間を騒がせるような事はなかった。状況的に万魔様の弟子になっていたみたいだけど、それにしたって万魔様並の才能であれば、真に後継者に相応しいのなら、万生教がこぞって持ち上げ、持て囃していただろう。つまりアレの実力は所詮その程度だったのだ。万魔様に預けられたのは、下手に目立ったせいで、年齢的にも探恊として表立って処分し辛く、あの増上慢で伸び切った鼻をへし折る為、性格矯正の為だったのかもしれない。
だが生放送を観た限り、万魔様の教育的指導は全く功を奏さず、それどころか万魔様すら口八丁で丸め込めるまでに悪化したのではなかろうか?真に警戒すべきだったのは、アレが無差別に撒き散らす毒言だったのだ。一介のB級探索者にすぎない立場にありながら、社会に混乱を巻き起こしたアレの弁舌。天性の扇動者。火種を用意し、火のない所に煙を立て、不平不満を煽り、小火を大火へと変じさせる。
B級探索者のままなら良かった。10代後半でB級探索者なら将来有望程度の評価に収まる。アレの場合は七歳の頃から全く成長してないわけだから、評価は反転して失笑、侮蔑の対象にすらなり、影響力など皆無になるだろう。だが、よりにもよって、最悪な事にアレは万魔の後継者・万魔央として表舞台に立った、立ってしまった。万魔の後継者であるが故に、万魔様の功績ゆえに、アレの発言に一定の正しさが、説得力が生まれてしまう。少なくとも根拠のない出鱈目、嘘八百だと断言する人は当事者以外にいないだろう。万魔様がその場にいた事が、否定しなかったことがそれを後押ししてしまう。
口だけ達者な、自分勝手で他人に配慮できない屑に確固たる影響力を与えてしまったのだ。アレの発言がこの国に及ぼす被害は、社会に与える損害は、あの時の比ではないだろう。とはいえ、不幸中の幸いと言うべきだろう、アレも流石に万魔の後継者という金看板を背負った事で見誤ったのだ。自身を過大評価して、万魔様の実力を自身の実力と勘違いし、誰もが自分の前にひれ伏すと、自分の発言は何物にも勝ると、全ては自分の思い通りだと驕り高ぶったのだ。
思い上がった代償は、高くつくだろう。万魔央という名前は、稀代の愚か者として後世に語り継がれるのは間違いない。北条との決闘で、どれだけの無様を晒すのか今から楽しみで仕方がない。巻き込まれた万魔様は可哀想だと思うけど…あんなのを後継者に指名したのだから自業自得だ。それとも何かこの八方塞がりの状況を打破する秘策があるのだろうか?いや、そんな事はありえない。アレは自分でその可能性を潰してしまったじゃないか。もし決闘で勝つつもりなら、それこそ万魔様を引っ張り出すくらいしか目はないだろう、けれど万魔様は天獄郷から外に出られた事はない。そもそもアレが自分一人で北条の精鋭含む12人を相手にすると言ったのだ。
詰みだ。間違いなくアレは完全に詰んでいる。好き勝手して来たツケを払う時が来たのだ。何も気に病む必要なんてない。後10日もすれば結果は出る。そうだ、勇輝と一緒に決闘を見るのも良いかもしれない。最近会ってなかったし。勇輝が憧れて、対抗心を燃やしてダンジョン探索にのめり込むきっかけになった奴の、無様な敗北を目の当たりにすれば、大したことないんだって事が分かれば、アレが無様に敗北する姿を見る事は、勇輝に良い影響を与えてくれるに違いない。アレと出会った時から私たちが見続けている悪夢から醒める時が遂に来たのだ。
それにしても、万魔様も本当に馬鹿な事をしたなと思う。なんであんなのに目を掛けるような事をしたんだろう?あの番組が切っ掛けだったとして、それなら私や勇輝に声を掛けていればきっとこんな醜態を晒す事にはならなかったのに。勇輝ならきっと、何処に出しても恥ずかしくない万魔様の後継者として立派に大成しただろう。零なんて私達よりたまたま少しだけ先に進んでいただけじゃないか。万魔様も意外と人を見る目がない…
見る目がないと言えば、天月ありすさん、彼女はこれから一体どうするんだろう?この決闘の発端として、あんな稀代のペテン師の幼馴染として周知されてしまった以上、この先、日常生活を送る事が出来るのだろうか?北条のみならず、他の禁忌領域守護領の人達からも目の敵にされるだろうし、周囲の人たちも黙ってはいないだろうし。とてもじゃないけど平穏な生活は送れないだろう。あんなのの幼馴染になってしまったばかりに…まあ、それも自業自得か。アレに頼らなければ良かっただけの話なんだし。あの曇りのない笑顔を浮かべられるのも後10日か…そっかぁ…いい気味なの…
ふぅ…よし、もう大丈夫、落ち着いたの。まったく、なんでアレの事をこんなに真剣に考えなくちゃいけないの?はぁ、無駄な事に時間使っちゃったの。でも、それもあと少しの辛抱なの。万魔央、いや零。番組共演の誼でお墓には花の一つも供えてあげるから、精々無様に派手に泣き喚いて盛大に無様に散ると良いの!!
ありえないありえないありありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありありえないありえないありえないありえないありえないありえない
なんでどうしてこんなふざけないでこんなのなにかのじょうだんでしょわかるわけないじゃないうそでしょうそだよねうそっていってよこんなことあるわけないこんなのわらうしかないじゃないあはあははあははははははははははははアハははははあははハハハはははははははははアハハハハハハハハハハハハハハハハノヽノヽノ \ / \ / \
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