第165話 切っ掛け

 草薙有希にとって、天月ありすは最初から気になる対象ではなかった。そしてそれは万魔の後継者・万魔央に対しても同様である。彼が関東探学に超特特待生として入学してきた時、人並みに興味は沸いたが、それは彼ではなく万魔に対してであり、仲良くなれたら万魔に勇輝を診てくれるよう仲介してくれるかも?という打算塗れによるものであり、そんな都合の良い考えも彼の自己紹介の内容を人伝に聞いた時に諦めがついた。


 元より勇輝が治る見込みはなく、伝手もない。それでも勇輝の事を思えば、藁にもすがる思いで万魔央に頼み込むべきなのかもしれない。実際その考えは頭を過ぎったが、そもそも面識のない、万生教とも無関係、後ろ盾もない一介の探学生をまともに相手してくれるとは思えない。ただでさえ万魔の後継者が関東探学に入学してきたと話題になっている。彼に覚えて貰いたい、あわよくば仲良くなりたいと思っている人たちは大勢いるのだ。それでもクラスが同じならそれをきっかけに交友関係を築けたかもしれないが、そもそもクラスが違う。しかも初日以降全く登校してこないから切っ掛け自体が作れない。


 仮に話が出来たとして、対価に出せるものがない。そんな奇跡に縋るくらいなら自分がやれる事をやっていくべき。何の為に関東探学に入学したのか。そもそも万魔央が、自分の人生に関わる事などない。ならばいないのと同じ。ない物ねだりをしている暇があるのなら、少しでも強くなるべき。そう結論を出し去る間際、彼のいないクラスで楽しそうに会話をしている天月ありすがチラリと視界に映った。何の苦労もしていない、世界は夢と希望で満ちていると思っているような天真爛漫な笑顔。天月ありす、万魔央の幼馴染らしいけど…いや、私には関係ない。


 もう自分の意思でここに来ることはない。説明つかないもやもやしたものを振り払う様に、あわよくば万魔央に会いたいと群がっている学生たちの間をすんなりと抜けて自分のクラスに戻った。


 ―――もし、この時自分が浮かべた表情に、抱いた感情に気付けていたら、何かが変わっていたのだろうか?自覚はなくとも、無意識に気付いていたのだろう。彼が、彼女が誰なのかを。


 そんな彼らに嫌でも意識を向ける事になったのは、万魔央の名を、その存在を日本中に知らしめる事になった出来事。無血粛清、沈黙の日曜日とも呼ばれる事になる、関東禁忌領域守護職である北条一門との決闘だった。


 当時の自分は発端となった現場にいたわけではなく、決闘に至る経緯を知ったのは急遽決まった生放送を観た際であり、そこで改めて知ったのだ。万魔央がどういう存在なのかを。


 最初に思ったのは、ありえない、こいつは一体何様だ。である。自分の幼馴染が男にちょっかいをかけられて困っている、だから助けようとした。その行動には好感が持てる。だが、何故一足飛びに決闘などという事になるのか。


 万魔も万魔だ。なぜこんな奴に好き勝手させているのか。こんなのが後継者で良いのか?こんな、虎の威を借る狐、いや、こいつの場合は狐の威を借る鼠か。万魔の権威を背景に、好き放題禁忌領域守護職を貶める不逞の輩。確かにどうでも良い相手から、一方的に好意を寄せられ、詰め寄られるのはキモい。私だってそんな事をされたら嫌だ。とはいえここまで大事にするかと問われたら、否と答えるだろう。


 言ってしまえば一般男女による色恋沙汰、痴情のもつれにすぎない。新聞の三面記事すら飾れない内容だ。そこにあろうことか万魔を引っ張り出して、雑事を大事にでっち上げ、あまつさえ相手を一方的に悪し様に罵るような事が許されるのか。


 しかも決闘、よりによって決闘である。そんな事は話し合いで解決出来るだろう。ここまで大事にする必要など一切ない。万魔の威を借りられるのならそれこそ穏便に、話し合いで済む話ではないか。にも関わらずこの暴挙、一体何がしたいのか。自分がどれだけ好き放題出来るのか試したいのだろうか?確かに一般人相手なら効果覿面だろう。睨まれた時点で白旗を上げて無条件降伏だ。だが、今回は流石に相手が悪い。こいつが相手にしようとしているのは関東禁忌領域守護職北条一門。それ即ち我が国の最強戦力の一角であり、万魔におもねる必要のない数少ない存在。そんな相手に決闘など無謀にも程がある。


 だがしかし、何だろう…この状況、デジャブを感じる。いつかどこかで見た事があるような……嗚呼、そうだ。この口調、この語り、人に、歴史に、背景に、立場に一切配慮しない、無思慮無神経な物言い。何故気付けなかったのだろう?こうしてマジマジと見ると確かに当時の面影がある。間違いない。こいつは、万魔央はあの零だ。


 なるほど確かに、あの番組に出ていた時既にB級探索者になるだけの才能があったのなら、万魔の後継者に選ばれる事もあるのかもしれない。その存在は万生教内ですら秘匿されていたのだ。私程度ではいくら探しても見つけられなかったのも納得出来る。つまり万魔の元で後継者として育成されていたという事なのか。切っ掛けはなんだったんだろう?もしかしたらあの番組だろうか。その可能性は高い気がする。でも、それを言ったら私達だって…



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 当時、この生放送を観ていた人達は総じて、北条に同情的であった。北条は体よく利用され、万魔央の箔付けに利用されたのだと。おそらく生放送すら仕込みであり、この後、北条側が万魔央に正式に謝罪をして終わりだろうと。だしに使われた大道寺家の子供は災難だが、これも一つの社会勉強。世の中には逆らってはいけない相手と言うのは確かに存在するのだから、と。


 当時の状況を鑑みれば分からない話でもない。今は最強仮面と呼ばれている、天獄郷天獄殿を単騎で強襲し、そして数多の万生教徒を相手に無双し、十傑衆すら下し万魔にまで手を届かせた隔絶した実力の持ち主。万魔央はそんな最強仮面に対するカウンターとして万生教が用意した偶像。万魔の権威を失墜させないために、万魔の後継者を持ち出したという意見はそれなり根強かった。万魔央の素性や実力が分からないというのもそれを後押しした。


 事実として、決闘前の万魔央の評価は芳しくなかった。万魔央と北条一門の決闘の賭け率がおおよそ7:3だった事が世間の評価を物語っている。万生教信者が総じて万魔の後継者の勝利に賭けた上でこの結果なのだから、推して知るべしだろう。それだけ禁忌領域守護家に対する信頼が篤いという事でもあり、万魔の後継者といえど、実績のない口だけの無礼者が世間に受け入れられなかったのも当然といえる。


 一方で万魔に対しては失望ともいえる感情が生まれる。流石にこんなのを後継者として指名するのはどうなんだと。とはいえ、優秀な探索者が優秀な指導者になるとは限らない。万魔とて人の子、完全な存在ではないのだと。その気付きが失望一転、好意的な感情を抱かせることになるのが万魔が万魔たる由縁だろうか。だからこそ万魔の後継者育成をサポートせず、静観どころか現在進行形で助長している万生教に対して不満の矛先は向くことになる。もっとも、万生教はそんな部外者の感情など知った事ではない。万魔が万魔央を推しているから自分達もそれに倣う。それ以上の理由は必要ない。それが出来るからこその万生教徒であり、万生教は多かれ少なかれそういった者達の集まりなのだ。


 その北条謝罪茶番劇に亀裂が走ったのは、いよいよ万魔央の舌鋒が鋭さを増していき、北条を貶し、そしてその矛先が他禁忌領域守護家にも向けられ、飛び火した時であろう。当事者の北条どころか他禁忌領域守護家に対しての暴言。人々は思い知らさせる。この生放送は伊達や酔狂ではなく、万魔央が本気で北条に決闘を吹っ掛け、退く意思はないと証明する為に行われたのだと。


 いかな万魔と言えども、禁忌領域守護家に喧嘩を売ってタダで済むわけがない事くらい分かっているだろう。万魔は確かに禁忌領域を解放した唯一無二の存在である。だがそれは偉業とは言え、1/8に過ぎないのだ。まだ7/8は解放されていないのだ。そして万魔がそれらを解放する事はなく、そしてその7/8の禁忌領域から国を、国民を護ってきたのは、禁忌領域守護職についている禁忌領域守護家達なのだ。そんな守護家への度を過ぎた横暴、万魔の実績と名声を以てしても看過出来るものではない。


 天獄郷以外で滅多に顔を見せない事で有名な万魔を公の生放送の場に引っ張り出し、万魔公認の上で、万魔の後継者としての発言である。万魔央の発言内容が、少なくとも万魔の見解と乖離してはいないと思われても仕方ないであろう。事ここに至り人々は戦慄した。事の重大さを理解させられた。すわ天獄郷、クーデターか!?ついに痺れを切らした万魔が日本制圧に動くのか!?と。最悪、日本が割れかねないと。そんな人々の心配をよそに、あくまで北条との決闘に関して話は進んでいき、そしてその具体的内容が白日の下にさらされ、更なる驚愕を引き起こす。


 万魔央と北条一門による1vs12の変則決闘。北条が勝った場合の報酬は、何でもあり。それこそ天獄郷も万魔も言うがまま、思うがままに。流石にこれはやらせでは?人々の間に再度やらせ疑惑が沸き上がる。よく考えてみれば、ここまで禁忌領域守護家に対して敬意も配慮もなく、暴言を巻き散らかす無思慮恥知らずな人間は存在しまい。万魔を奴隷の様に扱っても構わないといっても、本当にそのような扱いをしたならばどうなるかは北条が一番分かっているだろう。ならばこれは、全て壮大な仕込みではないか?そう、全ては万魔が関東禁忌領域を解放する為の!!


 思えば万魔央というのもふざけた名前だ。大きな声では言えないが、万魔に適当に一文字付けただけの、取ってつけたような名前からして明らかに偽名である。大方どこぞの大馬鹿を、天獄郷で生涯食っちゃ寝する生活を保障した上で、このような暴挙に手を貸すよう丸め込んだのではなかろうか。そもそも1vs12で何でもありの決闘など、ただのリンチである。そんな結果の分かり切った決闘をする必要があるだろうか?


 つまりこの決闘はやらせ。そうでなくとも青天井で吹っ掛けた上で、尻込みした北条から謝罪を引き出す為のブラフであり、各禁忌領域守護職達に危機感を持たせる為ではないか。こんな茶番劇を仕組んだのも、万魔なりの愛の鞭なのではなかろうか。現状維持に甘んじるだけでなく、勇気を持って一歩踏み出せと。自分の後に続く者が一向に現れず、万魔も内心は思う所があったに違いない。その割には選んだ方法が過激に過ぎるが、万魔としても苦肉の策だったのかもしれない。当て馬に選ばれた北条家は良い面の皮だが、その見返りが万魔の禁忌領域解放に対する助力ならば、余裕でお釣りが出るだろう。


 ただまあ、この万魔央という輩、頭はともかく、態度だけは万魔の後継者に相応しいと言えないこともない。決して退かず、媚びず、省みず、最後まで禁忌領域守護職を相手に堂々と罵倒し切った。その壊れ捻じれた精神性だけは称賛に値するだろう。

だが日本全国に喧嘩を売ったのは間違いない。とてもじゃないが今後の人生、天獄郷から一歩も外には出れないだろう。その分天獄郷での生活は安堵されるだろうが。


 だがそれも、ここまで虚仮にされた北条が謝罪で済ます可能性は限りなく低く、決闘で生き残ればという注釈が付く。もしかしたら開幕土下座で敗北宣言し、自身の身を守るつもりなのかもしれないが、そんな事をすればその場は凌いでも天獄郷での安寧は消し飛ぶ。四面楚歌。彼には碌な結末が訪れない。だがそれも自業自得であり、誰も彼を憐れんだりはしないだろう。間違いなくこの決闘後、万魔央という名は、稀代の道化、愚者の象徴、破滅の代名詞として後世に語り継がれることになる――――


 人々を狂乱の渦に巻き込んだ生放送は、一貫して北条及び忌領域守護職を貶し、貶め、罵倒する内容に終始した。この生放送を観終わった後に残ったのは、多大な疲労感と麻痺した思考。そして――――これを機に何かが変わるという、そんな曖昧模糊な感覚。そんな思いを人々に抱かせながら、恙なく生放送は終了した。

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