第164話 共通認識
天月ありすが織田遥と戦闘になり、そして生き残った。その事実は草薙有希にとって青天の霹靂であった。信じがたい事この上ないが、わざわざ自分に嘘を吐く意味がない以上、今この場に居るのが何よりの証拠である。不意の遭遇で見逃されたというのであればまだ納得も出来たが、本人が不意を突いて襲撃したと言っていたのでそれはない。そんな相手を敢えて見逃すほど織田遥は甘い人ではないはずであり。天月ありすは実質負けだのなんだの言っていたが、そんな事は些末な問題であった。
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織田家。現界した禁忌領域の内、関西禁忌領域の四神争哭・黄龍門の管轄を担い続ける筆頭守護家である。織田家に関わらず各禁忌領域守護家は長きに渡り禁忌領域の脅威からこの国を護る為に戦い続けてきた誇りある家系と言えよう。誰に命じられたわけでもなく、自らの意思により脅威に立ち向かう禁忌領域守護家の人々を、力を持たない者は畏れ敬い、またそんな無辜の民草を守る為に禁忌領域守護家に属する者達は力を振るう。禁忌領域に立ち向かう事を主眼とし、結果として人々を守護する役目を担う事になった彼らの存在は、数多の力なき人々にとって歓迎されるべきものであった。
身命を賭す禁忌領域守護家とそれを支える人々の、数百年に渡り培われてきた御恩と奉公的な関係は、その実績によって普遍であり不変なものとして人々の意識に確固たる地位を築き上げるに至る。その在り方に大きな変化が齎されたのは、200年前の万魔による東北禁忌領域、恐山天獄門の解放であった。禁忌領域の解放など夢物語であり、しかし禁忌領域守護家によって安寧は保たれると考えていた多くの人々にとって、その報せは正に青天の霹靂であった。
それは禁忌領域守護家にとっても同じである。なぜならそれは、たった一人の少女の手によって為されたのだ。長きに渡り大の大人が何百何千と挑みながらも成し得なかった難事を、誰とも知れぬたった一人の少女が達成する。普通ならば抱いた誇りは恥辱に濡れ、己の無力感に打ちひしがれ自暴自棄になってもおかしくはない。しかし禁忌領域守護家の人々は良い意味で普通ではなかった。
禁忌領域の脅威に立ち向かい、国を、人々を守護する。それを誰に頼まれるでもなく、自らの意思で率先し、連綿と受け継いできた血統なのだ。そんな彼らが禁忌領域は解放出来ると目の当たりにすれば、自棄になるどころかむしろ奮い立つのは当然と言うべきか。
禁忌領域の解放は絵空事ではない。その事実が満天下に知られた事で、多くの人々が次なる禁忌領域の解放を期待するのは当然の事だろう。その無知ゆえに生み出される圧倒的な熱量に後押しされる様に、いくつかの守護家は解放出来る算段をつけた上で禁忌領域解放に挑む事になる。ではその結果がどうなったか――――
結論から言えば万魔による禁忌領域解放より200年、未だにどの禁忌領域も解放されていない。いくつかの守護家の敗北は、禁忌領域解放は不可能ではないが、それこそ奇跡でも起こらない限り不可能だろうという無慈悲な結論を遍く人々に突き付ける結果で終わった。
とはいえ、その結果を以て禁忌領域守護家に対する風当たりがきつくなったかといえばそうでもない。これは守護家の在り方が禁忌領域解放のみに注力されていたことが大きい。力があるからといって、あちらこちらに手を出さず、あくまで守護家のリソースは禁忌領域にのみ割り振られる。それを崩さずに貫いてきた事が功を奏したと言える。禁忌領域守護家で駄目ならば仕方ない。そう納得できるだけの信頼が存在したのは、守護家の存在が人々に受け入れられていた証左であろう。
しかしながら子供一人に出来るような児戯にてこずっているような奴らに何を期待しているのか。そんな事を嘯く輩は少数なれど存在したのは事実である。が、そういった輩はすぐに口を噤み姿を消す事となった。そんな大口を叩く愚者が辿る末路など推して知るべしである。
何よりも禁忌領域の解放に失敗したとはいえ、浸食によって被害が拡大しなかったことが大きい。ならば現状維持で未来に繋いでいけばいつの日か活路も見いだせよう。禁忌領域は身近な脅威だが、禁忌領域守護家が身を挺にして自分達を護ってくれる。ならば生活は今まで通り変わりない。そして何時か万魔のような存在が現れ、新たに禁忌領域の解放を成し遂げるのだろう。ならば何も変わらない。むしろ時間が経つにつれ自分たちに有利になるのだ。それが今でないのは残念だが、いずれ時間が解決するだろう。そのような楽観的な考えが主流となり、今なお禁忌領域守護家の在り方は人々に容認されている。
当然そのぬるま湯の様な考えを禁忌領域守護家は良しとしてはいない。現れるかどうかも定かでない者に命運を託し、自身はそれまでの場繋ぎに甘んじるなど、受け入れられるわけもない。とはいえ結果を出せない以上表立って反論はできない。なら今すぐやってみせろと言われても困るのは自分達である。解放までの道のりが見えない以上、軽率に行動して致命的な破綻を迎えるわけにはいかないのだ。ゆえに内心はともかく打開策が生まれるまで、取るべき行動は現状維持が正解となる。
万魔による禁忌領域の解放による狂騒曲は紆余曲折あれど、収まるべき所に収まったと言えるだろう。だがそれはあくまで表面上は、である。禁忌領域の解放という禁断の果実は、禁忌領域守護家と人々の関係性に変化を齎した。
人々が内心どう思うかはともかく、禁忌領域に対する備えは必須であり、それに従事するのに禁忌領域守護家が適任なのは間違いない。これまで積み上げてきた実績が正しく評価された結果であろう。それはいずれ来るだろう新たな禁忌領域解放の日まで破綻する事無く続いていく。というのが、この国に生きる人々の共通認識であった。
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草薙有希に限らず、この国に住む人々にとって、禁忌領域守護家は畏敬すべき存在である。自ら進んで死地に赴いてくれる上に、理不尽な要求をしてくることもなく、見返りを求める事もない。彼らの希求するものは唯一つ、禁忌領域の解放のみ。それにどんな価値を見出しているのかは不明だが、少なくとも万魔が禁忌領域の解放により得た報酬はその領域の絶対的な支配権であり、魁がそうである以上、それ以上を望める事はないだろう。
元より禁忌領域は開発不可能な人外魔境であり、そこが人の手に戻るのならば、禁忌領域の支配権など些末な問題であろう。仮に問題が出るとすればそれは禁忌領域が全て解放されて後だろうが、そもそもそんな未来が来るかどうかすら不明である。ならば議論の余地などない。自ら進んで泥を被る、そんな理想的な存在によって自身の安全が担保され、その報酬も自分達が出す必要がないとなれば、文句など出ようはずもない。
そんな都合の良い存在に対して感謝どころか非難、ましてや公の場で罵倒するなど恥知らず、無知蒙昧、悪鬼外道の所業である。それ故に、北条とのいざこざに端を発する【緊急リモート会見!!万魔様とその後継者・万魔央による日本の未来に関する超重大発表!!】で語られた内容の苛烈さは、それを観た人々にとって、多かれ少なかれ素直に受け入れがたい出来事であった。
とはいえ、あくまでこれらは禁忌領域が身近に存在するこの世界の日本に住む人々にとっての共通認識であり、それは万生教徒も例外ではない。が、万生教徒に関しては事情が多少異なる。何故なら万生教徒の住んでいる場所は天獄郷。即ち禁忌領域が解放された場所であり、しかも天獄郷成立時のゴタゴタによって
万生教徒にとっての帰属意識はあくまで天獄郷にあり、万魔に対してである。当時の各禁忌領域守護家が万魔に対して阿ることなく尊重しつつも対等に接した事により関係は悪くはないが、あくまでそれだけ。天獄郷にとって禁忌領域の脅威は、万魔が居る以上既に過去の物であるからだ。とは言え禁忌領域を甘く見ているわけではない。仮に近場の関東や北陸禁忌領域守護家が下手を打った場合、災いが天獄郷に降りかかるのだから。ただ万生教徒にとっては万魔が全てであり、他は些事、それだけの事なのだ。
これは仮の話だが。もしそういった共通認識が通用しない例外がいるとするならば―――それは例えば異なる世界の記憶を持ち、その記憶に寄って立つ者であり。そしてそんな存在と共に過ごし、朱に交わった者であろう。そして異なる常識を持つ者が往々にして大きな問題を起こすのは、世界が違えど共通認識である。
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