第55話 敗北

 緊迫した空気がリビングに充満する。互いが互いを視線で牽制し、出方を伺っている。嫌な汗が背中を伝う。これは不味い…とても不味い気がする。


「ふふん?紗夜ちゃん。紗夜ちゃんは知らないと思うんだけどね、れーくんに相応しい人かどうかは、私が決める事になってるの。私に相応しい人かは、れーくんが決める事になってるの。つまり私の同意がない限り、れーくんの側にいる事は出来ないんだよ!!」


 なっちゃんとレナちゃんが、こいつマジか!?みたいな顔であーちゃんをガン見した。それめっちゃ小さい頃の口約束じゃん。


「そうなのですね。ではありす御義姉様。御義姉様から見て私は魔央様に相応しいでしょうか」


「お…お姉様!?未だかつて一度もれーくんに言われた事のない純粋なお姉様呼び!?えへへへぇ」


 一度も呼んだ事ないの気にしてたんだ…だってお姉ちゃんって感じじゃないよね、あーちゃんは。


「そ、そうだね…まずはそう、れーくんのどういった所を好きになったのかな?」


「ちょっとあーちゃん!本人の前でそういうの聞かないでくれる!?」


「魔央様、構いません。ありす御義姉様がお知りになりたいのでしたら、私に隠すような事などなにもありません」


 俺が構うんだが!?


「まず最初に、魔央様の事を知ったのは4月末でございます。お父様に呼ばれ、北条と魔央様の仲を取り持つ為、魔央様の元へ行き、礎となるように、と」


 いきなりハードな展開に、みなゴクリと唾を飲み込む。


「私としましても、北条の為となるなら否やもございません。それも相手は万魔様の後継者とも謳われるお方です。もっとも、その話は満様がありす様に対してやらかした事が原因で立ち消えとなりましたが」


 なんと…あーちゃんに糞程迷惑掛けたあいつが、人知れず役に立っていただと!?功罪プラマイゼロ…やっぱマイナスだな。


「どのような御方かを知ったのは、北条に対する会見を見た時です。北条に対する苛烈な発言の数々、正直その時の印象は良いものではありませんでした」


 そりゃ実家がボロクソ言われてるのを聞いて好印象もたれたらこっちが困るわ。


「そして決闘の日。私は北条の方達の勝利を疑っておりませんでした。ですが…決闘が始まるや否や、大胆不敵にもお休みになり、起きられるまで北条の攻撃は一切通らず、その後も北条でも名だたる猛者達を一切歯牙にも掛けず蹂躙し、果ては御父様すら赤子の手を捻るかのように叩き伏せ!」


 グッと手を握り、前のめりになり、顔が紅潮し、息遣い荒く話す紗夜ちゃん。


「私は本当ならこの方に嫁ぐ筈だったと思った時、頭がクラクラして何も考える事が出来ず、胸がカーッと熱くなりまして。これほどまでに殿方の事を想い、鼓動が激しく高鳴ったのは生まれて初めてです!!嗚呼、これは運命なのだと。私はこの方と添い遂げる為に、この方のお側で尽くす為に生まれてきたのだと悟ったのです!!」


 いやいやいや…それは恐怖とか絶望とか憎悪とか殺意とかそういった感情でしょ。ストックホルム症候群的な何かでしょ。絶対勘違いしてるぞ。


「なるほど…それは恋だね!!」


 したり顔で頷くあーちゃん。この恋愛偏差値0のポンコツめ…


「極めつけは、北条に対する温情です。あの誓約書、魔央様の発言を知る方が読めば酷い内容に思えますが、実際は曖昧な内容ばかりで、取りようによってはかなり融通が利くように思えます。北条がこれまでしでかしたことを水に流し、それどころか赦しを与えてくださるなど…!北条を代表して、いえ一人の女として、誠心誠意、お側でお世話させて頂きたく、取る物も取り敢えず伺った次第です」


 話を聞いてうんうん頷いてるこのポンコツは置いとくとして、なっちゃんが滅茶苦茶ショックを受けているのは何なんだ。


「バカな…私がシマちゃんに浮気したばっかりにそんな事が…」


 馬鹿なのは君だよ…ダメだ。どいつもこいつも役に立たねぇ。こんな時に頼りになりそうなレナちゃんは無言だし…仕方ない。ここはいっちょ百年の恋も冷めるような嫌われ方をするしかないな!


 決闘で滅茶苦茶目立ったからな。こんなこともあろうかと、勘違いして寄ってくる女性相手に、自分でさえドン引きするような嫌悪される問答を考えていたのだ。ぶっちゃけこの娘や北条にどれだけ嫌われようが関係ないしな。


「ギリギリ合格…かな?でもまだれーくんを任せるには色々足りないかなぁ」


 合格じゃねえよ。満点不合格だよ。


「お任せください、ありす御義姉様。炊事洗濯家事もろもろ、花嫁修業は幼い頃より熟しております。…夜のお世話も、書物と映像で勉強しておりますので…」

 

「よよよ夜のお世話!?それはアレかな?膝枕して耳かきとか、寝てる時に抱き枕になるとか、そういう健全なお世話の事かな!?」 


「序列を無視して貰っては困る。まずはわたしが最初」


 駄目だこいつら…早く何とかしないと。


「まぁまぁみんな落ち着いて。そもそもこれは俺が紗夜ちゃんを認めるかどうかの問題だ。あーちゃん達の意見は参考にはなっても、最終決定権を持つのは俺だよ」


 皆を見渡す。よしよし、ひとまずは納得してくれたようだな。


「紗夜ちゃん。最初に言ったけど、この家にお手伝いさんやメイドさんは必要ないんだ。こんなに可愛い女の子が三人も家事をしてくれているからね」


「はい。それを承知の上でお側に置いて下さいと、誠に身勝手ながらお願い申し上げます」


 くそ…ハーレム容認派か?そういや禁忌領域守護職って一夫多妻制なんだっけか。


「といっても、君がこの家で出来るような事って本当にないんだよね。俺から北条の当主に言うからさ。お家帰ろ?絶対その方が良いって」


「私に出来る事なら何でも致しますので、どうかよろしくお願い申し上げます」


 ふふん!待っていたぜ、その言葉を!!


「うーん、何でもするって言うけどさ。そういう人って、実際は何でもはしないからね。その台詞を使う人って信用できないんだよね」


「お言葉を返すようで申し訳ありませんが、私とて半端な覚悟で参ったわけではありません。文字通り、身命を賭してお仕えする所存でございます」


「本当に何でも出来る?」


「出来ます」


 ここで普通なら、覚悟の強さを試す意味で今すぐ死ねとか、裸になれとか言うんだろうけどな。そんな事を言うのは初心者よ。この問答は基本的に互いの信頼と覚悟を認め合う儀式のようなものなのだ。エロ同人やエロゲで使われる分にはその限りではないが。


 つまり何でもするなんて言う奴に、ありきたりな事を言った所でボロは出さない。

だからこそ、本心を曝け出させるために、相手の尊厳を破壊しつつも想像できない様な事を言う必要がある。


 結局この台詞を言う奴は甘えがあるのだ。何でもするといった所で、それはお互いの良識の範囲内で、良心が咎めない事を前提に、試し、試される儀式だという認識が。だが俺はそんな甘っちょろい考えはしていない。むしろ何でも出来るという奴をコテンパンにしてやりたい。ぶっちゃけこれで嫌われた所で全く問題ないからな。容赦なくいけるぜ。


「そうかそうか。なら今すぐこの家から出て最初に出会った男にその場で抱かれて来い。そうすれば君をこの家で受け入れよう」


 フッ…決まったな。流石にこれは誰もがドン引きだろう。ぶっちゃけ言ってる自分自身にドン引きだからな。この娘は自分の価値を理解している。名家と言っていい北条家当主の息女、その美貌とあざとい恰好で男受けを狙う強かさ、そして自らの清い心身。


 人は想定外に弱い。俺に何かされる事は想定していても、全く無関係の赤の他人、それも男が性的に絡むような事は完全に想定外のはず。これで少しでも言い淀めば、覚悟が足りないと証明したようなもの。穏便にお帰り願って二度と会う事もあるまい。ふはははは!この勝負、俺の勝ちだぜ!!この後のあーちゃん達が怖いが…これは必要な犠牲だったのだ。


「y

「畏まりました。この身汚れようとも、魔央様に対する想いは決して変わる事はございません。汚れた身と成り果てても、一度だけでもご寵愛して下されば幸いでございます」


 即答。そう言うや否や、スッと立ち上がり、迷いなく玄関へ向かっていく。


 え…マジで?いやいやいや…なんで躊躇わないの?おかしいでしょ!最初からどんな事を言われても了承する気でいたのか?いや、とてもそんな風には見えなかった。どうすんだこれ。完全に想定外なんだが!?なんで俺がコテンパンにされそうになってるの!?実際そんな事されたら大問題なんだが!止める以外に選択肢ないんだが?


 …最初の直感は正しかったか。話を聞かずにそのままお帰り願うべきだった。


 はぁ…俺の負けだな。頷くだけでその場から動かないなら口先だけだと言い張ってお帰り頂けたが、迷いなく行動までされた時点で本気と判断せざるを得ない。なんであんな事言われて即断即決出来るの…君中学生だよね?こんなの絶対おかしいよ。


 …まあいいや。一緒に暮らしてればいずれ幻滅して出ていくだろ。最悪真皇ボコって熨斗つけて北条に返せば良いし。まさかここにきて北条に負けるとは…


「ごめんね紗夜ちゃん。今言ったことは嘘だから。どこまで本気か試したくなっちゃってさ」


 ドアノブに手を掛ける紗夜ちゃんの肩を掴んで止める。振り向く紗夜ちゃんの目には涙が浮かんでいた。おぉぅ…罪悪感が半端ないんだが。だがこれは最後のチャンスでは?


「紗夜ちゃんも、冗談にしろこんな事言う奴の側に居たくないでしょ?鎌倉城まで送っていくからさ、帰ろう?」


「いえ、何も問題ございません。何よりこうして止めて下さったのですから」


 ニッコリ笑う紗夜ちゃん。涙の痕が痛々しい。止めて!もう俺のライフは0だよ!


 紗夜ちゃんと一緒にリビングに戻る。そこには説教モードのあーちゃんが待ち構えていた。合掌。

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