第24話
アフラムは途端に機嫌を悪くし、あからさまに苛立ちを見せて歩いていた。
この新人衛兵がソリバに何を吹き込まれたのかは知らないが、おそらく3年前の事件のことを聞かされたのであろうと予想する。それはアフラムにとって屈辱的であり、彼自身にとっても忘れたい出来事であった。
逃亡したディジャールとは違い、あの後のアフラムは文字通りの地獄を見たのである。思い出すだけでも後悔と吐き気が込み上げてきた。
胃がせり上がるような気分の悪さを隠しながら、何か別のことを考えようと試みる。だが、大通りの道沿いに並ぶ商店を見るも、興味をそそられるような物は見当たらない。王宮で見られるような宝石とアクセサリー、煌びやかな道具が並んでいるだけであった。太陽の日にそれが反射して、まばゆい光の粒が周囲に漂っていた。
(くだらない……)
青い顔をしたアフラムは、それを隠すようにフードを目深に被る。先ほどの衛兵の問いによって、あの地下牢獄のことを思い出してしまっていた。唾液が口の中に充満し、粘っこく頭を揺らしてくる。
考えないようにすればするほどに、記憶はこびりついてくる。目の前にその自分が見えそうなまでに鮮明に意識に訴えてくる。鼻の奥で残った悪臭が再び身を起こし、ドキンと一つ心臓がはねた。
(まずい)
咄嗟にそう判断したアフラムは、足を速めて大通りから路地裏まで急いで身を隠す。新人衛兵は面食らってから追いかけてきたが、アフラムはもう遠いところまで行ってしまっていた。
路地の、一番小汚く人の通らないところにうずくまっている。胸の辺りを抑え、苦しそうに地面に向かって嘔吐をしていた。吐き出されるのは黄色い胃液ばかりであり、固形物と思われるものは何もない。それでも彼は口の端から唾液を垂らしながら、黒ずんだ顔色でその苦しみに耐えていた。
「あっ……あの……」
「来るな」
衛兵が恐る恐る声をかけるも、吐息の多く混じった声でそう言われるだけだった。白い髪に隠れた横顔がちらりと覗く。ギリギリと音が聞こえてきそうなまでに歯が食いしばられていた。
アフラムは本来ならば、歩くこともままならないような状態だった。通常の人間ではありえない時間を、断食断水で過ごしていたのである。魔法で無理やり体力を戻し、基礎的な運動が出来るまでにはしているものの、心身的には、まだそのダメージが残ったままになっていた。
ほとんど死んだ状態の内臓に突然固形物が入り込んできたら、その刺激に耐えられるはずがない。そのために固形物がまだ食べられず、水ですらも危ういほどの消化器官をしている。それに加え長時間の閉鎖空間、衛生管理のなっていないストレスで、一種のトラウマのようなものが芽生えてしまっていた。
彼はいわば、動けるだけの病人という状態であった。
一通り吐き終えたアフラムは、ゆっくりと呼吸を整えて顔を起こす。微量な魔法で体の調子を少しいじってから、力なく立ち上がった。
大通りの方へ歩いていく。先ほどから何度か爆発音が遠くから聞こえるが、それはあえて無視しておいた。どうせディジャールが何かしているのだろうという勘であった。
光の照らす方へフラフラと歩いていると、突然、急に何かがアフラムの肩へぶつかる。ドン、という強い衝撃に思わず転倒しそうになるが、壁に手をついて事なきを得る。
アフラムがぶつかった何かを視線で追う。どうやらそれは女であるようだ。黒いローブで全身を覆い、ぶつかったアフラムに声をかけることもなく、物凄い速さで駆け抜けていく。彼女は新人衛兵をよけて、暗い路地の中を真っすぐに進んでいた。衛兵は不思議そうに振り返り、もう遠くの方にいる女性を眺めている。
すると、急にアフラムが女の方へと走り出した。先ほど苦しそうにしていた表情とは一変した、何か緊迫したような空気である。
「えっちょ、何?!」
うろたえた新人衛兵の襟首をつかみ、そのまま女を追い続ける。女の足は速く、並大抵の者ではないことは明らかだ。
衛兵は引っ張られるままについて走り、苦しそうに叫ぶ。
「い、痛いんですけど?! 何ですか、急に!」
「あいつ、イファニオンの者だ」
アフラムが声を落として言う。イファニオン、という単語に、衛兵も思わず声を上げた。
「えっ?!」
「うるさい。……ヤツはクリミズイ王国に向かっている可能性がある。捕らえるから手伝え」
「な、なんで急に?!」
「知るか! さっさと走れ」
その声と気配に女も気が付いたようで、さらにスピードを上げた。アフラムは舌打ちをしながら、さらに身体強化の魔法を強めた。
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