「魔、剣前に落つ」

◇◇◇


 「私も捜査に同行させてくださいッ!!」


大まかな情報を知ったリカードは、平手で机を叩いて叫んだ。


 「何度も言わせるな。貴殿は本件及び、容疑者の関係者だ。作戦への参加は原則認められない。」


 盛り上がる胸筋を、胸を貼る事で更に巨大化させた〝ハリバス王国軍大佐〟カーライル・ゴドウィンは、いかにも軍人らしいキビキビとした冷酷な口調で、リカードの頼みを突っぱねた。


 「ッ·····!」


ゴドウィンは、苛立ちを隠せないリカードの肩を叩き、部屋の外へと誘導する。


 「今後より、当対策本部は関係者以外立ち入り禁止となる。警備の者につまみだされる前に出た方がよかろう」


 「·····たとえアンタが百人いたとしても、ルーク師匠には勝てない」


 「その忠告は重く受け止める。だが生憎、それを理由に、小官が仕事から逃げることは無い。」


 「勝手にやってろ·····くそっ!」


 閉められた扉の前で言い捨てて、リカードは手元の資料にもう一度目を通した。


 

 〈容疑者 : ルーク・エメラルダス〉

本日未明、容疑者が道場主を務める〝剣牙館〟にて、殺人事件が発生した。


 被害者は、上記の道場に通う門下生六人で、死体の特徴としては、いずれも鋭い刀剣の類いで胴体から両断。

 その一直線の切断面と、剣士六人の全員をまとめて一太刀で斬っている事から、ルーク・エメラルダスの犯行と見られる。


 容疑者は現在行方をくらませており、西部の···············──────



 「こっちでも別で人手を集めた方がいいな·····」


 あのルーク師匠が弟子を斬るなど信じられないが、あの凄惨な事件現場を見た今となっては確証はない。


 とにかく軍より早く見つけ出して、問いただしたい。


 捜査に忙しいのか、慌ただしく出入りする軍人達を尻目に、軍舎から出たリカードは早歩きで道場に向かった。




◇◇◇


 「これで十人か····」


薄暗い路地裏でゴミを漁っていた浮浪者を斬り伏せて、ルークは苛立った顔を見せた。


 悪魔の言ったことは嘘ではなかった。

 

〝腕〟は、斬るたびに着実に力を増していった。

だが、元のルーク両腕には遠く及ばない。


 今の分だと、まだかなり斬らねば元の腕の力には戻りそうにない。


 「なんとも面倒な·····」


 剣を鞘に収めた右腕を愛おしげに撫でて、ルークは路地裏の奥へと消えていった。




◇◇◇



 武術祭当日─────、


楽器を打ち鳴らしたパレードが街を練り歩き、屋台の並ぶ通りには人間が敷き詰め、空には花びらが撒かれる。


 地面に落ちた濃い赤色の花弁をそっと摘んで、ルークは人混みの中を進む。


 人々の僅かな隙間をすり抜けて、今日の為に飾り付けられた巨大な闘技場の舞台に入る。

 短い廊下を流された後、外とは比にもならない喧騒が体を包んだ。


 地面からせり上がった舞台の上では、今まさに、〝天剣のアルベルト〟が、対戦相手の武器である巨大なハンマーをいなして、カウンターを合わせた所だった。


 所狭しと並んだ客席の間を通って、行きずりに拝借した案内状を見る。今しがたのアルベルトの相手は、〝砕力のリバーン〟という鉄槌使いらしい。


 ルークの見下ろす遥か下で、アルベルトは礼をして舞台から降りる。喧騒が一段と増し、拍手が爆発音を立てる。



 コロッセオと同様の、円を描くような客席の上部から真っ直ぐ舞台を見つめて、ルークは案内状を投げ捨てた。


 その両腕は、ついこの間までとは明らかに異なる濃い紫のオーラを纏っている。


 一足───、闘技場の石造りの床にヒビが入るほど踏み込んで、ルークの体は弾丸のように空中に飛び出した。


 口を開けて何事か叫ぶ人々を下に、重力に引き寄せられて、斜めに下へと落ちていく。


 ドガン───、と音を立てて、剣士は舞台の上へと降り立った。


 喧騒が増す。口々にざわめき、人の群れが揺れる。───「あれってルークだよな····」。誰かが言った。


 自分を取り巻くざわめきを無視して、ルークはアルベルトへと向き直った。


 「ル、ルーク·····!?」


「久しいな、アルベルト。」


 「その両腕はどうした·····!?」


 目を丸くするアルベルトを見て、ルークは子気味よく両腕を挙げて見せた。


 漆黒に変色した腕は筋肉の筋が入り、所々からは、皮膚を突き破って紫色の結晶が生えている。

 相も変わらず、紫色の影を振り撒く両腕を振って、アルベルトに声を投げかける。


 「決着を付けに来たんだ、俺とお前の」


「·····」


 それだけ言って、剣の柄に手をかける。


その構えを見て、混乱した様子で首を振っていたアルベルトも、スっと表情を引き締めて抜刀の構えを取った。


 だが分かる····。アルベルトの体からは、動揺が消えていない。体のの形が、目の運びが、足の角度が、それをルークに教えてくれる。···今の所、俺の方が優勢だ。


 ジリジリと段差を登り、アルベルトが舞台に上がる。

 十年·····いや、もっとだ。

記憶の底に埋もれるほどの時間を隔てて、ついに両者は向かい合った。


 先に静寂を破ったのは、意外にもルークの方だった────、


 一瞬の閃光が走り、距離を詰める。

途方もない力で空間を陽炎の様に歪めながら、袈裟懸けを浴びせかける。


 全てを刈り取るような斬撃が、未だ構えのまま静止するアルベルトに肉薄する。

 金属と金属のぶつかる甲高い音が、息を飲んで静まり返っていた闘技場に響き渡った。


 「む」


 自分の鋭い剣を防いだアルベルトに、ルークは唸る。想定を遥かに凌駕する腕前だったからだ。


 アルベルトは一歩も動かず、ルークもまた、飛び退った場で静止した。

 一瞬、ワッと沸いた観客達も、二人の気迫に呑まれて押し黙る。


 言葉は無かった────、


 アルベルトが体を沈ませる。

下段に緩く構えた剣が、残像を描いて移動する。

 迫る横薙ぎを無視して、ルークは真っ直ぐに剣を振り下ろした。


 アルベルトが、剣を〝裏返す〟─────。

技を行する刹那の中で、その動作は全く淀みなく、素早かった。


 アルベルトの〝突き〟が、ルークの人中に向かって放たれた。


 「···!」


 筋肉を緩め、首の関節を外す。

早めの決断が功を奏し、頭部をぐにゃりと曲げる事で躱しきる。

 突きが引き戻されると同時に、素早く力を入れて関節を嵌め込んで元に戻る。


 アルベルトが、もう半歩踏み込んだ。

風きり音は一つだったが、斬撃は三つだった─────、


『三連突きか···。』


 驚くべき練度だ。

剣の軌道に全くブレが無く、残像すら発生していない。


 だが突きというのはそれだけだ。

素早く、威力は高いが、少し軌道を変えてやれば当たらない。


 ルークは流れるように、突きの剣先を撫でた。

アルベルトの突きがなぜ当たらなかったのか、理解出来た観客はいなかった。


 だがそんな観客達を置き去りにして、二人は再び飛び退り、距離を取った。


 ルークの右頬に赤い線が入り、少量の血が滲み出る。一度目の突きを避けきれていなかったのだろう。


 かすり傷を負ったが、未だ勝負の優勢は自分にある。言葉では説明出来ない戦場の空気が、背中を押している。


 剣をゆるりと下段に構え、アルベルトを見据える。·····自身の骨が、肉が、流れる血が、細胞の一つ一つまでもが、相対する敵を注視している。


 「·····」


 息を一つつくと、体は大地に収まり、重く静かな音を立てた。


 アルベルトが、剣をゆっくりと上段に構え直す。白髪が微かに舞い上がり、筋肉がミシミシと音を立てているのが、離れた位置のルークにも聴こえた。


 ─────なんの前触れもなく、アルベルトは剣を振り下ろした。



 舞台の石床は割れて、突如として吹き荒んだ風に、石の破片が浮遊する。

 自分の体が、めちゃくちゃな方向に引っ張られる。


『ここに来て魔法を使ってきたか·····!』


 自分の脳天に吸い付くように振り下ろされた、アルベルトの剣を何とか受け止めながら、ルークは冷や汗をかいた。


 地面にめり込みながらも、何とかこらえている左足が、右上に引っ張られる。


『重力操作か·····!』


 受けの形をとっていた剣を斜めに押し上げ、アルベルトの剣を流す。


 連続でバックステップを踏み、追撃を躱し切った。


 危なかった····。盤上遊戯で致命的な一打を打たれたような嫌な感覚だ。


 戦いの高揚感に隠れていた不安が、ふとルークの頭に過ぎる。


 〝押されているのではないか?〟···と。


 先程の魔法を併用したアルベルトの技を受けて、戦場は姿を変えつつあった。───ルークに不利な方向へ。



『力が足りてない·····』


当然といえば当然。


 この十年間、両腕を無くして鍛錬もままならないルークと違い、アルベルトはしっかりと鍛えこんでいる。


 ·····剣聖と呼ばれるほどに。


疑惑が、確信へと変わる。


 『このままでは敗ける─────、』


 

〝なんとかして力の差を埋めなければ···〟



 「試合は終了だ!」 


   闘技場の空気が揺らぎ、大気中から緊張の成分が薄れる。

 集中はそのままに、ルークは眉を上げた。

 

 「アルベルト・ルーバルズ、そしてルーク・エメラルダス·····。素晴らしい試合だった。」


 闘技場の最上階。貴賓用の客席から、一人の男が声を張り上げていた。

 ルークも知る·····いや、国民なら誰もが知っている。他ならぬ〝国王〟が、高らかに手を打ち鳴らしていた。


 「すごかったな」、「両者に拍手を!」····次々と国王に続き打ち鳴らされた観客達の拍手が、試合を強制的に終わらせようとしている。


 理由は明白、ルークとアルベルトがあまりにも熾烈に闘っていたからだ。


 そもそも、武術祭の目的は武術交流。

試合も儀礼的なものが普通····。大事な戦力を見世物にして減らすなどあってはならないからだ。


 ルークのこめかみに、血管が浮き上がる。


『ふざけるな』


 俺は命を懸けてる。いや、もっと重い人生をかけている。〝最強〟になるために。

 それなのに何だ?国の戦力?大体お前達はいつも──────、


 「·····ルーク?」


 アルベルトに意識を集中させて、努めて落ち着いた風に言い切る。


 「これを決着とは認めない。」


「どうしたんだルーク。·····おい、その両腕はどうした」


 精神を鎮めて、剣を構える。


 「終わるまでやろう、どっちかが。」


「答えろッ!ルーク!!」


 鋼がぶつかり、音と火花を弾けさせる。

観客達はようやく不穏な空気に気付き、不安を見せる。


 「双方とも、止まれ!」


王冠を被った国王が、再び声を上げる。

 ルークは口の形だけで返答した。


 〝 だ ま れ〟


 アルベルトの太刀筋を避けたと同時に〝空〟を斬る。一直線に飛んで行った斬撃は、両手を広げる国王の体を両断して、雲を割って消えていった。


 闘技場が、悲鳴をあげる。


怒号と雑音が入り交じり、観客席は一気にパニックに陥った。


もういい、こうなったなら構わない。


 ───ルークが剣を天に掲げ、闘技場を〝斬る〟。


 斬撃に空気が巻き取られ、風が空へと吹き上がる。


 爆音と土煙を上げて、闘技場が崩壊する。


 「·····」


 かつて闘技場だった瓦礫の山の円の中で、二人が剣を構えて向かい合う。


 突然ピタリと風が止む─────。


一拍の間を置いて、真っ赤な血の飛沫が滝のように降り注ぐ。

 ····ルークによって切り刻まれて、風に吹かれて舞い上がった被害者達の血肉だ。


 己の白髪に赤い斑模様を作りながら、アルベルトは剣を握り締めた。


 「お互いお遊びはやめよう。ここからは、殺し合いだ──────」


 ルークの輪郭がぼやける。

次の瞬間、既に二人は剣を打ち合っていた。


 閃光が走り、炎がうねり、先程の比にならぬほどの剣戟が空中を切り刻んだ。


 斬撃の多分に入り交じった暴風の中で、互いにかすり傷だらけになりながらも、未だ決定打になりそうなものは無かった。


 だが確実に、ルークが押していた。


大量の人間の命を吸って、紫の結晶を肥大化させた腕は、剣を打ち合す度に少しづつ、アルベルトを押し込んでいった。


 あと少し·····。あと少しルークの腕力が上回れば、全ての決着がつく。

 どこかに逃げ遅れた人間はいないか。


 ──────いた。


 闘技場の倒壊で足に怪我を負った剣士が一人、ふらつきながらこちらを見ていた。


 アルベルトの攻撃の合間を縫って、斬撃を飛ばす。


 「ヒューイッ!!」


 人間の体を縦に割るはずの斬撃は、その隙間に滑り込んだアルベルトにぶつかり、左肩から左足首にかけて深い切り傷を作った。


 「師匠!!」


 ルークの目線がぶれる。

アルベルトの白髪に、戦場で自分を庇って死んだ父親の頭が重なって見える。


 「·····ッ!?」


 一瞬にも満たない僅かな時間の中で、アルベルトの剣がルークに迫っていた。

 剣は腹を切り裂き、体を上下に分断しようとして、ルークの遅れた防御に当たり、止まった。


 「グ···ッ··」


 しかしそれでも、アルベルトの剣はルークの腹の半分程の位置にいた。


 「クソ···クソ·····」


 飛び退って傷を確認して、ルークは呟く。


 ·····致命傷だ。


剣は内臓まで届いている。

 絶え間ない激痛に歯をくいしばり、ルークはアルベルトに背を向けて駆け出した。


 この傷では勝てない、どこかで傷を癒さねば─────


 「ルークッ!!逃げるのか!」


 体の半身を血で染めたアルベルトが、鬼の形相で叫んでいる。


 俺の寿命はあと一年。

それまでには決着を付けるさ。最強は俺だ、俺以外の人間がなっていいはずがない。


 王都は燃えていた─────、


黒炎と火花が降り注ぐ街道に、人の姿はない。

火の海と化した国を駆け抜ける。


 どこか、どこかで傷の手当をしなければ·····。

そうだ、これだけの火事だ。王都から離れた所に、緊急時用の治癒院が立てられているはずだ。


 顔を灼けばバレる心配もない。

とにかく最低限の応急処置をするべきだ。


 位置を確認するか。


 腹の傷に顔を歪めながらも、ルークは倒壊した家屋を蹴って上空へと飛び上がった────、そして·····


 目の前に迫る龍の、大きな口を最期に、ルークの視界が闇に染まる。


 なんだ、なんだ、なんなんだ。


 体の中で唯一、龍の口から飛び出して、外気に吹かれている両腕を動かす。

 握り締めた剣を振って、龍の顔に傷を付けようと────、


 龍が、顎をパクンと閉じて、ゆっくりと瞬きをした。


 切断されたルークの両腕が炎の中へと落ちていく。

 ·····まるで罪人が地獄へ落ちていくように、クルクルと渦を巻き、悪魔の様に笑う炎に呑まれて消えた。


 


 

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