「天龍へと至る道」

 「その対価として、お前は何を持っていくつもりだ」


 ルークは目を細め、絵の中の悪魔に注視する。


 「ククク、取り引きをする目になってきたじゃないか」


「条件を聞くだけだ」


 目を瞬いて、相も変わらずクルクルと回りながら、悪魔は言った。


 「お前の寿命と、人間の魂を十個程頂こうか」


「·····俺の寿命はどれくらい残る」


 「ハハハ─!人間の命の方は問題ではないと!?やはり見込み違いでは無かったようだな」


 喜色の笑みを浮かべて、本の中をうるさく飛び跳ねる悪魔を見ながら、ルークは考える。


 思っていたよりも安い取り引きじゃないか?···──、と。


 

 「一年─····いや、二年だ。それが取引の後に残る寿命だ。」


 「随分と短いじゃないか」


「あぁ、二年と言ったが、だんだんと肉体が衰弱して死ぬ事になる。自由に動けるのは、実質一年と少しだ。」


 なんの────、何の申し分もない取り引きだ。戦場で万単位の人間を斬り殺してきたルークにとって、十人分の命など無いに等しい。


 ····寿命に関してもだ。

自分の生きがいである剣を失って、このまま長く苦しむくらいならば、残り少ない命で剣を振ったほうがどれ程良い事か。

 

剣の道から真っ逆さまに落ちて、早くも十年。一日たりとも、自分の腕で剣を振りたいという欲望が止まる事はなかった。


 もしもう一度、己の手で剣を振れるなら────斬れるならば·····、苦楽を共にした道場も、苦心して育てた門下生達でさえも、ルークは差し出せた。



 だが·····、


一度、悪魔から目を逸らし、薄汚れた壁の松明を見てルークはふと我に返った。


 仮にも国を代表する剣士であった者が、悪魔と取り引きなど·····。

良いか悪いかで言えば、〝途方もなく悪い〟と即答できる。



 ルークの人生は二つに一つだった。


悪魔を誘いを斬り、国を代表する道場で剣士を輩出し続け、剣の普及と発展に貢献した偉人として年老いて死ぬか。


悪魔と取り引きをして国を、道場を、門下生を裏切り、短くなった余生を〝剣士〟として生きるか。


 剣士として生きたい────。

 

だがそのために何の罪もない十人を·····。

 いや、弟子の一人が牢獄で働いていたはずだ。権限を使って忍び込み、罪人を斬り殺せばいい。


 悪魔と取り引きと言っても、両腕を取り戻すだけだ。なんの危険もないはずだ····· 。

 ──、そうだ。両腕を取り戻すだけなのだ。至って自然な願いではないか?誰が文句を言えようか?


 「お悩みのようだな?」


「·····。」


 考え込んでいた顔を上げて、ルークは悪魔に向き直る。


 「そういうお前は、なぜ俺と取り引きをしたがる」


 そもそもの謎だ。

悪魔なので、戦争を起こしたり、人々を不幸に陥れるのが目的かもしれないが、ルークは国の要人でもなんでもない。


 

 「·····龍を、見たいからだよ」


「·····??」


 そう言って悪魔は、はぐらかすようにケタケタと笑った。


 「それで、どうするかは決まったのかな?」


「·····少し、時間をくれ」


 「駄目だ。生憎だがそれは出来ない。」


 絵の中の悪魔は、目を丸くするルークに向かって、毅然とした様子で答える。


 「我々は現世に姿を留めるのが難しい。忌々しい天上の取り決めとやら何やらでね。まぁこちらにも色々あるという事さ。」


 「それに、僕は〝今〟この瞬間、〝君〟に決めてもらいたい。それができないなら、この取り引きは無しだ。」





◇◇◇


 隣国、セントクレア王国──。


 

 「剣聖様、準備が出来ました。」


「ご苦労、ヒューイ」


 白髪の若い剣士が、これまた更に若い男に礼を言い、提げていた剣を背中に背負い直す。


 ヒューイと呼ばれた男は、羊皮紙のノートを捲って喋る。


 「師匠の相手は、順に〝黒刀のヒバリ〟、〝砕力のリバーン〟、最後に、軽い型合わせとして〝龍牙のルーク〟という順番になっています。」


 「分かってるよ、ヒューイ。君に何度もうるさく聞かされたからね。····それと、龍牙のルーク〝殿〟だ。君は確かに強いが、その驕りは弱点だぞ。」


 「····はい。」


 白髪の男にそう諭されて、金髪の剣士──ヒューイは、何やら言いたそうな表情を飲み込んで頷いた。


 「ルーク、実に十年ぶりの再開になる訳か·····。そう考えると、なんとも言えぬものがある。」


「両腕を無くしているそうですが。師匠の手合わせの相手を務めきれるのでしょうか?」


 「問題ないよ。···元気でいてくれると良いのだが」


 若かりし日の自分と、ライバルの姿を瞼に浮かべながら〝天剣のアルベルト〟──····、今は〝剣聖〟と呼ばれる、アルベルト・ルーバルズは空を見上げた。


 五体の欠損の恐怖は、同じ剣士ならば当然理解できる。両腕を無くしてからのルークの苦労は尋常ではなかっただろう。


 「急ごう、祭りの三日前には着きたいからね」


「はい。」


 彼ならば乗り越えているだろうが·····。


 「なにか····嫌な予感がする」




◇◇◇



 ルークは落胆していた──。


「聞いていた話と違うな」


 冷たく言い放ち、ピリピリと殺気を放つルークに、悪魔は本の中から否定する。


 「まぁ最後まで話を聞きたまえよ」


ルークは、〝一般人よりも遥かに力の弱い両腕〟で、地面に落ちた義手を拾い上げた。


 「その両腕は【悪魔の両腕】。殺せば殺す程力を増す逸品だ。」


「·····そうか」


 自分の腕をまじまじと見る。

黒く萎びた、枯れ枝のような両手だ。所々からは、漏れ出た魔力らしき紫の煙がぼんやりと立ち上っている。


 「さて、対価を頂こうか」


絵の中の悪魔が、こちらに腕を向ける。

 一瞬、白い光が全身を駆け抜けた様な気がして、ルークは目を瞬いた。


 「寿命はこれでよし、次は命だ。」


「もう終わりか」


 剣を振るには、些か心もとない握力の両手をプラプラさせて、ルークは実感を強めた。


 もう後戻りはできない。

悪魔との取り引きに一抹の不安はあったが、いざ終えてみればなんという事は無い。


 ····「安い対価で大きな獲物を手にした」という優越感と、何よりも自分の感覚の通った両腕があるという事実が、ルークのテンションを否が応でも引き上げていた。


 ニヤけて、犬歯を見せて、ルークは両手で扉を開けた───、



 「師匠!どうでしt──────」


 扉を開けた先で──。腕を広げて、例の狂信的な顔でルークに話しかけてきたレイブンの頭部が〝ズレる〟。


 「まず一人目」


 首から上を無くして血を噴き出す胴体が、地面に音を立てて倒れるのを眺めながら、ルークは薄暗い悪魔崇拝者達の根城を後にした。



 

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