龍牙鍊剣記
鰹節の会
「龍牙のルーク・エメラルダス」
──────
少年がいた····。
やがて、孤児であったその子供は、一人の剣士に引き取られた。
剣士は「師」として、「父」として少年を教え導いた。少年は、その天性の才能と厳しい修行の末に、この大陸でも屈指の強さを持つ剣士となった。
育て親亡き後も、少年は立ち止まることなく研鑽を続けた。
やがて、「最強」を目指した少年は、王国一の剣士となった。
どんな相手も一太刀で斬り捨るその剣士を、人々はこう呼んだ·····。
〝龍牙のルーク〟·····と。
―――――――
「ァァァァ─ッ────!」
二人の男が、咆哮を上げて向かい合う。
息を呑むような一瞬の空白の後、片方の男が木剣を振りかぶった。
甲高い衝撃音が、道場を駆け抜ける───。
「もっと脇を締めて」
裂帛の気合いと共に木剣を振り下ろしたものの、対戦相手に受け止められてしまった男に、そうアドバイスする。
そして、〝義手〟となった両腕で、手本を見せてやるのだった。
「ルーク先生」
「どうした?」
駆け寄る内弟子の言葉を聞いて、ルークは少しだけ眉を上げた。
「武術祭か」
「はい····」
ルーク達の住む「ハリバス王国」は、今年で建国800年だ。
祭りにパレード·····。カレンダーに並んだ数々の行事───。
だが、ルークの視線はその内の一つに集中していた。
武術祭。
国の武人達が集まり、その実力を誇示する行事。
·····問題が二つある。
一つは、国内だけでなく国外からも猛者達が集う事。二つめは、この行事の規模が大きすぎる事だ。
つまり何が言いたいかというと、自国の行事で、他国の武人に負ける事などあってはならないという事だ。
ましてやこの武術祭は、他国の貴族や国王も見物する。
国際的な場で、もしも他国の剣士達に敗北を喫すれば、それは戦争に弱いと自ら晒すようなもの····。
だから何があっても、他国の人間に負けてはならない。
この国は、10年前に戦争を終えたばかりだ。
他ならぬルークもその戦いで父親を失った。もう戦争はごめんだ。
「誰を出すつもりですか·····?」
木剣を振る手を止めた弟子が、ルークに聞く。
「うーん····」
顎に手を当てて考えた後、ルークはため息をついた。
この道場のどの生徒を出したとしても、武術祭で勝てるとは思えなかったからだ。
エメラルダスの剣術指南所は、優秀な剣士を多く輩出しており、国内からの評価は高い。
だが、ルークの満足には程遠い。
そもそも、剣を習いに来る生徒達の中には、強くなって軍に入る事を目的にしている者が多い。
純粋な気持ちで剣士の高みを目指す者は少ないという事だ····。
今の生徒達の水準では、かつての自分のライバルであるアルベルト·····〝天剣のアルベルト〟を含み、その他大勢の達人を有する隣国には勝てない。
·····剣を握れれば。
アルベルトも、他の剣士も、全て叩き切ってやるのに·····。
ルークは頭を振り、再び門下生に剣を教え始めた。
◇◇◇
武術祭が近い。
ルークは、生徒達の稽古により一層力を入れた。
·····だが、やはり自分の生徒が、隣国から訪問する剣士に勝てるとは思えなかった。
どうすればいいのか·····。
ルークは頭を抱えた。
門下生達にいくら厳しい修行をさせようが、剣の腕というのは一朝一夕で身につくものでは無いのだ。
俺が剣を握れれば·····。
第一線を退いてからは、なるべく考えないようにしていた声が、頭に響く。
ミスリルでできた高機能な義手は、剣を人に教えるという仕事には耐えている。
だが、強者との実戦に使うには話にならない。
だめだ、どうしようもない·····。
◇◇◇
「龍って····見た事あるか?」
「ある訳ないだろ、そもそも本当にいるのか?」
「あぁ、いる。」
木剣を構えて相対した相手の言葉に、リカードは、耳を疑う。
地稽古の相手は、ウェルネス・レイブン。
少しおかしな所があり、人はあまり関わりたがらない。
悪魔信奉者であるという噂もある。
「あんたは見たことあるのか?」
そんな相手に、リカードは丁寧に返事する。
剣士になると決意して故郷を飛び出した時、自分よりも上の要素を持つ者は、全てを師と仰ぐと決めていたからだ。
レイブンは変わり者で不気味だが、魔法と剣はかなりの腕だった。
「俺自身は龍を見たことは無い···」
木剣の先と先で、互いの喉を突き刺そうと構えながらも、レイブンは話を続けた。
「だが、龍に両腕を食われた人間なら見た事がある。」
剣を持って向かい合っているにもかかわらず、レイブンはチラと余所見をした。
視線の先では、ルークが弟子達の試合を見守っていた。
「じゃぁ、あの噂は·····」
ルーク師匠は龍と戦って敗れ、両腕を失った。·····というあの噂は本当だとでもいうのか。
だが、もしそうならば、〝龍牙〟の二つ名を名乗らなくなったのにも理由がつく。·····これ以上の皮肉はないからだ。
「にわかには信じがたいな」
「─── ─」
夕刻───。稽古を終えたルークに、弟子の一人が近づいてきた。
ウェルネス・レイブンといったか、少し得体の知れない男だが腕はいいし、稽古も真面目にこなす弟子と記憶している。
「師匠、お悩みですか?」
「いや、いいんだ。」
直前まで考え続けていた武術祭の悩みをひとまず置いておいて、ルークは弟子に向き直った。
「どうした、何かあったのか」
「いやいや、今日は師匠の悩みを解決しようと思いましてね?」
「····?」
どういう事だろうか。
「武術祭、お悩みでしょう?」
「まぁそうだが」
再び飛び出た話題に、ルークは顎に手をやり、唸る。
「隣国の剣士達は粒揃い·····。剣の腕の水準がこちらより高い」
「師匠」
レイブンが、ルークの目を見て言う。
「自分が出られれば···って思ってますよね───」
「·····」
ピタリと心中を言い当てられる。
あまりいい気持ちではないが、その通りだった。全て俺が出れば解決なのだ。
もっとも、この義手が本物の腕だったらの話だが。
「師匠、実は私、小指がないんです」
「·····?とてもそうは見えないが」
突然、話題が変わる事に眉を顰めつつも、ルーク返答した。
事実、レイブンの両手にはしっかりと小指が付いている。
「子供の頃に、包丁で怪我しましてね」
「·····」
「しかし今ではこの通り。これも全てマクスウェル様の御加護。」
自分で自分を抱き締め、狂信的な笑みを見せるレイブンに、少し不気味さを覚える。
「なんなんだ、そのマクスウェル·····とは」
「ふむ·····。」
宙を見てしばし考え込んだレイブンは、芝居掛かった動作で頷いて言った。
「実際に会っていただいた方が早いでしょう。宜しければこの後。」
「·····」
胡散臭いことこの上ない。
だが·····。
「再び剣を振りたいでしょう?」
◇◇◇
レイブンに連れてこられたのは、とある教会の裏手にある地下室だった。
「ここから先は·····どうぞおひとりで」
馴れ馴れしく背中を叩き、扉を手で示すレイブンが、勝ち誇った表情で言う。
一体なんだというのだ。なんとも不気味だ。
もっとも、義手とはいえルークは強い。
「変な奴が出てきたらたたっ斬ってやるからな」
「フフ·····きっとお気に召すと思いますよ」
その瞳に狂った光を灯しながら、レイブンは確信を持って言った。
真っ黒の装飾がなされた扉を開ける。
ギィー····と重苦しい音を立てて、扉は───地獄の扉は開いた。
どんな奴なのだろうか、マクスウェルとやらは。
「おや??これはこれは·····。ルーク殿では有りませんか。」
部屋の中を確認しないうちから、声はルークに話しかけてきた。
今しがたの慎重さをかなぐり捨てて、ルークは乱雑に扉を閉めた。
「誰だ」
剣の柄に、銀色に光る手を添えて、ルークは暗い室内を見渡した。
室内には一切の照明がなく、暗い部屋を僅かに照らすのは、壁に掛けられた小さな松明のみであった。
豪華で複雑な装飾のあしらわれた壁に囲まれて····一つポツンと、素朴な木の机が部屋の中心に佇んでいた。
「ここだよ、ルーク」
どこか遠くから響いてくるような声で、ルークの名を呼ぶ。
それは、机の上に広げられた一冊の本から聴こえてきた。
「初めまして·····とでも言っておくか。君は私を知らないが、私は君を知っている。」
「·····」
警戒しながらも、本の中を覗き込む。
そこには、酷く不気味な顔をした悪魔の絵が、こちらに向かって笑いかけていた。
「現役よりも少し痩せたか?目方が減っているようだが」
平面の紙の中で、悪魔が身をくねらせ、心底愉快そうに尋ねる。
「なんだお前は」
「このマクスウェルに随分な態度じゃないか」
肩を竦めておどける悪魔───改め、マクスウェルは、絵の中でクルクルと回っている。
「悪魔か·····実在するとは」
「君は龍を見たんだ。悪魔がいても不思議じゃないだろう?」
「あぁ、だが·····」
ごく自然に話す悪魔に、つい言葉を詰まらせながら、ルークは龍について思いを馳せていた。
空を進むあの巨大な胴、到底人智の及ばぬ所を見ている真っ青な瞳。·····そして、あの牙。
「古来より龍は、大災のある所に姿を現すという」
悪魔の言葉が、ルークの思考を誘導する。
それに気づくこと無く、ルークは記憶を追憶し続ける。
そうだ。あれを見たのは、俺が戦地から戻る時·····。
俺を庇って死んだ親父の遺体を背負って帰る時に──。
そこから先を考える必要は無い。
愚かにも龍に挑み、敗けた。そして命の代わりに、それ以上に大切な両腕を失った。俺は〝剣士〟を失った。
「···では単刀直入にいこう、ルーク殿。君相手に無用な口論は避けたいからな。」
マクスウェルの言葉に、ルークは記憶から呼び覚まされる。
「誠実かつ、速やかに取り決めよう。···商人のようにね」
「悪魔が商人の真似事か」
「君の両腕を甦らせてあげよう。」
「それが、僕の売る品物だ」───そう言って、マクスウェルは、とても商人とは思えない····、悪魔らしい残忍な笑みを浮かべた。
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