第27話 父として
俺とミーデルは、兵器開発の部署の建物から、研究施設へと戻ってきた。
だが、そこはすでに修羅場と化していた。
どこを見回してもイブラ、イブラ、イブラである。
「クソッ! さっそく仲間を増やし始めている!」
ミーデルが吐き捨てるように言う。
――そうか、俺とミーデルが気絶させていった刺客たちも、イブラたちに食われて……。
すると、俺たちに気付いたイブラたちが襲い掛かってきた。
俺は慌ててルーカムのプラズマの
プラズマの
「子供たちの救出が最優先だ!」
「はい! 研究室で隠れているといいのですが」
研究室――鎖に繋がれて、ミーデルやハラスに案内されたあの部屋か。あそこなら、隠れる所はありそうだ。なんとか無事でいてくれ。
「そこへ行くぞ!」
俺はミーデルに指示を出した。
「ついてきてください!」
ミーデルが俺を手招く。こんな状況だし、俺はずっと拘束されていたから、建物の内部のことはあやふやだ。おとなしくミーデルについていこう。
次々と襲い掛かってくるイブラたち。その中に、俺たちが気絶させるだけで済ませていた者も続々と現れる。
「クソッ!」
こんなはずじゃなかったのに……。
――これが報われるといいのですが……。
ミーデルの言葉を思い出す。今のところ、何一つ俺たちの行動は報われていない――。
せめて、子供たちだけでもなんとか――。
やがて、先を行くミーデルの動きが鈍り始めた。激しい戦闘の連続で、いよいよ疲れが出てきたのであろうか。
「ミーデル、俺の後ろに回れ! 行き先を指示しろ!」
俺は咄嗟に前へ出た。
「すみません、了解しました」
行く手を阻むイブラたちをルーカムで薙ぎ払い、道を切り開いていく。
と――あるガラス張りの部屋の前にやってきた。
ここは確か――。
俺はガラスの向こうに目をやる。そこには――《ルドワ》がいた。
だが、最初に出会った時の《ルドワ》の面影はなかった。筋骨隆々としていた体は痩せ細り、顔はしわだらけで生気を失い、ぐったりとしたまま目を閉じている。
まさか――。
俺は横目でミーデルの方を見た。
ミーデルが後ろめたそうな顔で、俺と《ルドワ》から目を逸らす。
なんてことを――。
ちょうどそこへ、一体のイブラがやってきた。俺は力一杯ルーカムを縦に振り切り、イブラを真っ二つにする。
ミーデルは俯いたまま、その場から動かなかった。
「何してる? 行くぞ。ここから研究室への道だけは覚えてるから大丈夫だ」
色々言いたいことはあるが、今はそれどころじゃない。
「……ええ」
ミーデルが神妙な面持ちで口を開く。
「言っただろ。お前を逃がしはしない。一生罪を背負ったまま生きてもらう。いいな?」
そんなミーデルに、俺は改めて釘を刺した。
「……分かりました。行きましょう」
まるで観念したかのように、ミーデルがゆっくりと動き出す。
と、その時。
研究室の方から、複数回の銃声が響き渡った――。
俺は思わずミーデルと目を合わせる。
「急げ!」
そして短距離走のスタートダッシュの如く、研究室へと駆け出した。
――銃声? 誰が――? なんのために――?
俺は一瞬のうちに、その問いに対する答えを導いた。
それは――〝最悪な結果〟を生み出しかねない答えであった。
「イブラども! こっちだ!」
戦闘は最小限にしたい。だが、〝最悪な結果〟にだけはしたくなかった。
そう、それだけは――。
俺はその〝最悪な結果〟を阻止しようと、遭遇したイブラにレサイドを放つ。
「アルフ隊長! 銃を使うと音で奴らを引き寄せてしまいます!」
「んなことは分かってる!」
声を上げるミーデルに怒鳴り返し、イブラたちを強引に
やがて、ようやく研究室の目の前まで辿り着いた。
「マルス! ヤイス! みんないるか!?」
俺は無我夢中で叫び、顔面ごと突っ込む勢いで研究室のガラスを覗き込んだ。
そこで目にしたのは――。
俺は言葉を失った。
それは――先ほどの問いに対する答えに全く当てはまらない、想像を絶するものであった。
研究室の中央に
「アルフ隊長……」
あまりの凄惨な光景に、ミーデルも絶句する。
と――俺の目に、あるものが映り込む。
マルスの右手に握られている黒光りの金属。
――あれは……銃……?
まさか――。
いや、そんなわけないだろ。何考えてんだ俺。あの子がそんな――。
ネアリムに来てから、つくづく自分のことが嫌になる。
俺は鍵のかかったドアを強引に開け、ゆっくりと研究室の中に入った。
「マルス……大丈夫か……?」
そして俺は気付いてしまった。さっきの銃声を起こしたのは、マルス以外いないという事実に――。
「何しに……来たの……?」
マルスが、目の前のヤイスに視線を落としながら呟く。
「何って――助けに来たんだよ。ここから出るぞ、さぁ早く」
この状況については、何も考えたくなかった。俺はただ、マルスをここから連れ出したい一心であった。
「もう……いいよ……」
マルスが再び呟く。
「……どういうことだ?」
マルスに会うのは久しぶりだ。ぎゅっと抱きしめてあげたい。
だが生気を失い、死んだ魚のような目をしたマルスはもはや別人で、近づくことすらできない結界を張っているかのようであった。
「この世界には――安心していられる場所なんてない。どこへ行っても、僕たちを殺そうとする化物だらけ……それに……もう……誰のことも信用できない。ハラスは僕たちに銃を撃たせてばかり……楽しく科学を教えてくれていた研究員の人も、最近は危ない実験ばかりさせるし、失敗すると怒ってばかり……ヤイスもみんなも、近頃はピリピリして
「マルス……」
俺が拘束されている間に、そんなことが起きていたなんて……。
「今にして思えば……セラームにいた時からずっとそうだった。ママやブラス、クレスにロイス――僕たちには適当なこと言って、いつも人を殺して……物を奪ったりしていたんだよね? みんな――本当はそういう人たちだった」
「なぁマルス、話を――」
聞いてくれ、と言おうとした俺を遮るように、マルスが続けた。
「その人が――ママを殺したんでしょ? その人が――この世界を化物だらけに変えたんでしょ? その人、ハラスとずっと一緒だった。その人、危ない人なんだよね?」
マルスがじっとミーデルを睨みつける。
するとミーデルが、ネズミの威嚇にびくついた猫のように目を逸らした。
「その人……アルフの仲間なんだよね? アルフ……本当はシネスタ人じゃないんでしょ? アルフ……僕に嘘ついた。アルフも――そういう人だったんだね……」
マルスが震える声で、今度は威嚇の目を俺に向ける。やがてその目は、光るもので溢れていった。
それはマルスが俺に見せる、初めての顔であった。
「マルス……」
「ハラスが言ってた。前の世界も――人間同士の争いが絶えない、ひどい格差の世界だったって。化物がいる今の世界と――同じようなものだったって。人間こそが――本当の化物なんじゃないの?」
「……」
俺は何も言えなかった――マルスが言っていることは、事実なのかもしれない……。
「どこへ行こうが……誰と会おうが……どれだけ生きようが……その先にあるのは――醜くて歪んだ世界だけ……きっとそう……だから……みんなを先に
次の瞬間、マルスが自分のこめかみに銃口を当てた――。
「――!」
気が付くと――俺は銃を払い、マルスのことを抱きかかえていた。
「放してよ!」
マルスが俺を振りほどこうともがく。
「すまない、マルス。お前の言う通りだよ。ろくでもない大人たちが、醜くて歪んだ世界を作り上げてきた――それをお前のような子供たちに押し付け、苦しめてきたんだ。俺も――そのろくでもない大人たちの一人だ」
俺はマルスをがっしりと抱きしめながら続けた。
「俺の本当の名はアルフ・ミラー。カーミア特殊部隊〈CSF〉の隊長で、ハラスを暗殺する任務のために、ここシネスタにやってきた。そこにいるミーデルは、俺の部下だ。本当は、優しくていい奴なんだ。俺が上官としてしっかり支えていれば、こんなことにならなかった。それだけじゃない、俺は自分の息子を苦しめ、死なせてしまった。俺は本当に――ダメな大人だ。すまない……」
「アルフ……」
「アルフ隊長……」
「俺は大切な人を失いすぎた。妻に子供、〈CSF〉の仲間たち、それにライアたち……頼む、お前まで――俺から離れていかないでくれ……」
これまで失ってきた、一人一人の顔が頭をよぎる。
心の中で泣きながら、訴えかけた俺の言葉に――マルスがもがくのをやめた。
「全部、僕のせいなんだ。僕が無能だったせいで……みんなをこんな世界に巻き込んでしまった。君のお母さんまで殺めてしまった……ろくでもない大人は僕だ……本当にごめんなさい、マルス君。アルフ隊長こそ、本当は優しくて素敵な方なんだ。どうか、彼の言うことを聞いてあげて」
ミーデルが、後ろでマルスに語りかける。
「……知ってるよ。初めて会った時から、アルフはいつも僕を気にかけてくれていた……一緒によく遊んでくれたし、僕を綺麗な川まで連れてってくれた。まるで――そう、パパみたいにね」
マルスが俺の腕の中で、そっと呟いた。
パパ――。
俺の心の中に刻まれた、呪いの言葉――永遠にはく奪された資格――。
だが――。
「マルス、ライアに頼まれたんだ。お前の父親になってやってくれ、ってな。息子を死なせた俺に――それをやる資格がないのは分かってる。だが、お前を守るために――もう一度、俺に父親をやるチャンスをくれ。お前に――本当の素晴らしい世界を見せるチャンスをくれ」
俺はマルスの顔を正面にやり、再び訴えかける。
「僕の……パパになってくれるの……?」
「ああ。どんな時でもお前を守ってやるし、あの綺麗な川みたいな所に、また連れてってやる」
「でも僕は……ヤイスたちを……死なせてしまった……人を……殺した……」
マルスの目に涙が溜まり、こぼれていく。
「……いいか。誰だって、本当は悪いことなんかしたくない。みんな理由があって――道を踏み外した。悩み、苦しんで、進む道を誤ってしまったんだ。ライアにハラス、ミーデル、俺たちもだ。前の世界も、今の世界も――みんなに対してあまりにも厳しくて、残酷すぎる。少しずつでいい、一緒にやり直して変えていこう。あの綺麗な川で、みんなが仲良く遊んでいる。それが本当の世界のはずだ。そうだろう?」
俺は人差し指を曲げ、その先でマルスの涙をそっと拭いた。ぎこちない笑顔を作りながら。
マルスの顔に、かすかながら、安堵の表情が浮かぶ。
「そうだね……分かったよ……パパ」
一瞬幼き日のカイルの姿が、マルスに重なった。
「ここを出るぞ」
「うん」
――今度こそ、守ってやらなければ。
「急ぎましょう。僕が先頭に立ちます」
ミーデルが俺たちを促す。
「大丈夫なのか? お前」
「大丈夫です。どんなことがあっても、必ずお二人を守りますから!」
それはこちらが言うべきセリフではあるが、ライアのことも含めた、ミーデルなりの意志なのだろう。
俺は床に放り投げたレサイドとルーカムを拾った。
「分かった。頼むぞ」
「はい!」
そして倒れているヤイスたちに、そっと心の中で「すまない。マルスを許してやってくれ」と語りかけながら、研究室を出た。
俺はすぐに片膝をつき、後ろのマルスに目を向けながら、左肩をぽんぽんと叩いた。
「ほら」
マルスが少しためらいながらも、川まで遊びに行ったあの日のように、俺の肩に乗る。
「しっかり掴まってろよ」
「うん」
マルスの体勢が安定したところで、俺たちは来た道を急ぎ足で戻り、ジェスとミアが待っているであろう中庭を目指した。
ミーデルが囮になるかの如く、どんどん前へと飛び出す。
銃声を何度も響かせてしまったせいか、なかなかイブラの波が収まる気配がない。
「無理するんじゃねぇぞ! ヤバそうだったら俺と代われ!」
「平気です! あなたはその子を守ることに専念して!」
ハラスと戦っていた時みたいに、ミーデルが華麗な動きで一体一体イブラを手刀で仕留めていく。だが、ミーデルの息は上がっており、無理をしているのは明らかであった。
償いのための使命感――それが、今のミーデルを突き動かしているのであろう。
やがて俺たちは、衰弱し、息絶えてしまった《ルドワ》の前を通り過ぎていった。
「もう少しだ、二人とも頑張れ!」
俺は必死に自分の務めを全うしようとするミーデルと、必死に俺のツノにしがみつくマルスを鼓舞する。
研究施設の出口はもうすぐだ。
ところが――。
俺たちの行く手を遮るかのように、出口の方からイブラの集団が一斉にやってくるのが見えた。よく見ると、その集団の中に、ラグナの住民たちの顔が――。
「そんな……」
俺は思わず後ずさりした。
いつの間に、さっきの場所にまでイブラたちが流れ込んでいたなんて……。
気のせいだろうか。イブラとなったラグナの住民たちの顔に、湧き上がるような憎しみを感じた。
お前たちのことは逃がさない――。
そう俺たちに言っているかのように。
あの集団が一遍に固まって押し寄せられると、ミーデルとマルスが危ない。
「別の出口はないのか!? あの集団を相手にするのはまずい」
俺は慌ててミーデルに訊ねる。
すると――。
「少し遠回りにはなりますが、ここを引き返して、すぐ右にある通路を道なりに進んでいくと、裏口があります。お二人はそこから中庭へと向かってください」
ミーデルが手を横に伸ばし、後ろ向きで俺たちを制するように言った。
「何言ってやがる!? お前はどうする気だ!?」
「ここで奴らを食い止めます。奴らの意識を僕の方へ集めますから、その隙にお二人は逃げてください」
「馬鹿野郎! 言っただろ、お前には一生罪を償ってもらう! 俺たちと共に!」
あの集団を一人で相手することは、今のミーデルにとって、ほぼ確実に死を意味する。
それはすなわち――俺にとって、部下を全員失うことになる。
「絶対にそんなことはさせねぇ! さっさとついてこい! 今度は俺が先頭に立つ」
「アルフ隊長、それにマルス君。本当にごめんなさい。あなたたちをこんなことに巻き込んでしまって――奴らは、僕が生み出した。だから責任を持って――始末します」
決死の覚悟を決めたかのように、ミーデルの澄んだブルーの目が鋭い
「ミーデル……」
「アルフ隊長、あなたと出会えて――本当に光栄でした」
そう言い残すと、迫りくるイブラの集団にミーデルが突っ込んでいった――。
「待て! ミーデル!」
「行ってください! 早く!」
あっという間の出来事であった。イブラの集団の真ん中にミーデルが飛び込み、その姿が見えなくなる。
大型動物の肉に群がるハイエナの如く、イブラたちがミーデルに襲い掛かっていった。
「ちくしょう!」
それ以上はもう、見たくなかった。
俺は後ろを振り向き、ミーデルに言われた通り引き返した。
そして、すぐ右に見えた通路を進んでいった。
パン、パン、パン、パン――。
銃声が鳴り響く。ミーデルが、自分の方へイブラたちを引き寄せるためにやっているのであろう。
――やるべきことをするんだ。今は、マルスをここから出すことだけ考えろ。
俺は自分にそう言い聞かせ続けた。
「あと少しの辛抱だぞ。いいな?」
「うん、大丈夫」
マルスの俺にしがみつく力は衰えていないようだ。俺がしくじりさえしなければ、もうすぐ出られるはずだ。俺はルーカムを握る力を強めた。
だが、こちらの通路は拍子抜けするほどイブラがほとんどいなかった。ただ行き来するためだけの通路という印象である。
最初からこの通路を通っていけば、こんなことにはならなかったのに……。
――まさかミーデルの奴、ここに残るためにわざと……?
ぐっと奥歯を噛みながら、俺は進み続けた。
そしてついに――裏口らしきものを見つける。
「うおおおりゃー!」
これまでのうっぷんを晴らすかのように、俺はガラスの自動ドアを蹴破り、外に出た。
中庭の方へ行ってみると、見覚えのあるスモークガラスの大型トレーラーが停まっているのが見えた。ラグナに来たものと同じだ。
俺は一目散にそのトレーラーの方へ走った。
すると運転席の窓が下りて、ミアが顔を出す。
「アルフさん! 早く乗って!」
俺がトレーラーの荷台に飛び乗ってマルスを下ろすと、今度は助手席のジェスが顔を出した。
「旦那! 坊主! 無事でよかった! 他のみんなは!? 綺麗な顔したお兄さんはどうしたんだ!?」
俺は一瞬だけ後ろを振り返り、研究施設入口に密集しているイブラたちの方を見た。
「いいから出せ! 早く!」
それからすぐに親子へ指示を出す。
「けどよう、いいのか旦那!?」
「父さん! 化物たちがこっちに来るよ!」
辺りを見回すと、中庭をうろついているイブラの意識がこちらへと向き始めた。
「ミア! 出せ! 早く!」
「分かった! 飛ばすよ!」
俺の怒鳴り声とともに、ミアがトレーラーを急発進させる。
突然の揺れでマルスが倒れかけたのを見て、俺はその体をしっかりと受け止めた。
「みんな! 掴まって! うおおおおお!」
トレーラーの走行音よりもうるさいミアの声がこだまする。
どうやら正門を強行突破する気でいるらしい。俺はマルスの体を抱きかかえて、衝撃に備えた。
ほどなくして、解体現場のダイナマイトみたいな爆音が鳴り響く。
振り返ると、派手に吹っ飛ばされた門の残骸の奥で、ネアリムが遠ざかっていくのが見えた。
「大丈夫。もう、大丈夫だから」
そっといたわるように、俺はマルスに声をかけた。
「うん、ありがとう。パパ」
マルスは安堵の表情を浮かべると、疲れ果ててしまったのか、荷台にぺたんと座り込んだ。
「少し休んでろ」
俺はマルスの頭を撫でた後、再びネアリムの方を見た。
「ミーデル……」
これまでのことを思えば、あいつには複雑な感情が湧き上がってくる。
だが、俺たちに身を
「ありがとう」
俺は小さく呟き、豆粒ほどの大きさになってしまったネアリムの方へ敬礼を捧げた。
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