第26話【ハラス】
よどんだ空気が漂う夜のスラム街。
点々と灯るオレンジ色の光だけが、いつも心をほんの少しだけ癒してくれる。
「ただいま」
いつ崩れてもおかしくない、トタンのボロ家。ここで僕は唯一の肉親である母さんと共に暮らしている。兄弟はおらず、父さんに度重なる借金があったことが発覚したのは、僕が生まれてからすぐのことであったらしい。それが原因で母さんと父さんは離婚し、僕を連れて母さんが流れ着いたのが、このスラム街であった。
「おかえり。いつもいつも悪いね」
数年前から痛めてしまった足を引きずりながら、母さんは夕飯の支度をしていたようだ。
「ごめん。今日は〝いいもの〟が見つけられたと思ったんだけど、いつもと同じくらいしか稼げなかった。たまには――母さんに美味しいものでもごちそうできたらと思ってたのに……」
俯きながら、僕は我が家の金庫である缶詰の缶に、換金したお金を入れた。
「あたしのことはいいんだよ」
そう言って、母さんは昔拾ってきたものらしいテーブルに皿を置いた。
朝は非政府組織によって設立された学校に通い、昼はゴミ山の中から売れそうなゴミを拾って売りさばいている僕に対し、母さんは一日中レストランやスーパーマーケットから出た、まだ食べることができそうな残飯を回収している。
皿の上には、そうした残飯を調理したものと思われるチキンとライスが盛り付けられていた。
と、僕の皿にだけ、状態のいい野菜が加えられていることに気付いた。
「これ……」
「ああ、それね、あんたが稼いだお金で買ったのよ。じっくりと味わいな」
母さんが笑顔を浮かべながら僕に言う。
「母さんにも分けてあげるよ」
「あたしはいいの。あんたが稼いだんだから、それはあんたのものよ」
「でも……」
「いいから食べなさい。できる時にしっかり栄養を摂らないと。ね?」
母さんが僕のためを思って言っていることは分かってる。
ふと、理髪店のガラス越しに見たテレビの、裕福そうな外国人たちの姿が頭をよぎった。
「母さん、いつか必ずどんなことをしてでも、いっぱいお金を稼いで、母さんを楽にしてあげるから」
――ちくしょう! いつか必ず這い上がってやる! どんなことをしてでも!
――そう、どんなことをしてでも。
「ありがとう。でもね、覚えておいてちょうだい。本当に大事なのは――お金を稼ぐことじゃないの」
――え……?
「大事なのは、みんながあたしたちみたいに苦しまなくてもいい世の中を作っていくことなのよ。いつの間にか――みんなが自分のお金を稼ぐことばかり考えるような世の中になってしまった。いくらお金がたくさんあったって、みんなに嫌われて幸せじゃなかったら、意味がないでしょう?」
母さんが自分の皿を見ながら呟く。
――確かに……そうかもしれない。
「あんたには、みんなを幸せにしてあげられるような人間になってほしいの。あたしたちみたいな人に手を差し伸べ、救ってあげられる人間にね。それがあたしの願いよ」
そう言って、母さんは僕の手を握った。
「……うん、分かった。僕、一生懸命勉強して、将来僕たちみたいな人がいなくなるような世の中にしてみせるから」
僕も母さんの手を握り返した。
「ありがとう、あんたなら必ずできるはずよ。一緒に頑張ろう、ハラス」
「うん」
――母さん……ごめん……世の中変えられなかった……やっぱり無理なんだよ……こんな世の中じゃ……もう……諦めるよ……。
今……そっちに行くからね……。
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