第23話 悪夢の果てに
目が覚めた――。
あれ? 体が、仰向けになっている。それになんだか――見覚えのある天井が、そこにある。
あれ? 体が……自由に動かせる気がする――。
俺はゆっくりと、自分の手を目の前に持ってきた。
人間の――手だ……。
――ウソだろ!? マジかよ!? 元に戻ったのか!?
俺は勢いよく起き上がり、辺りを見回した。
ここは……あの兵舎の……上官の個室……?
間違いない。ここはあの時、ミーデルに【ニトロ】を打ってもらった部屋だ。
俺は操られるようにして、部屋にある大きめの鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは――俺だ。化物じゃない、人間の俺だ――。
鏡を見ながら、体中を触る。
俺だ――人間の俺の……体だ。元に……戻れたんだ。
俺は部屋を出た。すると、そこにいたのは――。
「あ! アルフ隊長、やっと起きたんですね!」
〈CSF〉の部下の一人であった……。
「いつまで経っても目を覚まさないから、俺たち先に行って、ハラスの息の根を止めてきたんですよ。早く、みんな外であなたを待ってます」
――なんだって!? ハラスの息の根を止めてきただと!?
そいつに手を引っ張られ、玄関ホールから外に出てみると、〈CSF〉のみんながいた――。
「おはようございます、アルフ隊長! 寝坊で遅刻っすよ!」
「ほら! グラウンド十周!」
部下たちによる、巨大な笑いの渦が巻き起こった。
「お前ら……生きてたのか……」
俺は思わず涙声になる。
「おいおい、完全に寝ぼけちまってるようだ。今回アルフ隊長には、【ニトロ】が効かなかったみたいだぜ」
すると再び、部下たちによる巨大な笑いの渦が巻き起こった。
とその時、
「アルフ! お前何やってんだ!」
笑いの渦を吹き飛ばすかのように、怒声が響く。
部下たちを掻き分け、現れたのは――ベクターであった。
「任務はとっくに終わったぞ。まったく、いつまでも寝ていやがって!」
化物じゃない、人間のベクターだ……。
「ベクター!」
俺は思わずベクターを抱きしめる。
「おい、こら! 何をしてる馬鹿者! 放さないか!」
喚き散らしながら、ベクターが俺を地面に投げ飛ばし、三度目の巨大な笑いの渦が巻き起こった。
「ったく、お前って奴は!」
ベクターが顔を紅潮させ、呆れるように言う。
みんな、生きてた――よかった。今まで見てきたのは、ただの夢だったのか……とてつもなくリアルで、おぞましい夢だった……。
俺は部下たち全員の顔を改めて確認する。――誰かが、足りないような……。
そして、俺は気付いた。
――ミーデルだ。
「おい、ミーデルは? どこにいる?」
俺は辺りを見回し、ミーデルの姿を探した。
「ミーデル? 誰のことです?」
部下の一人が、ひょうきんな声を上げる。
「ふざけるな。ミーデルはどこだと聞いている」
俺はそいつを問い詰めた。だがそいつも他のみんなも、声を揃えて「誰ですか? ミーデルって?」と言うだけであった。
――どういうことだ……?
わけが分からない、といった感じで俺と部下たちは、お互いに顔を見合わせる。
「おい……なんだよ……あれ……」
すると突然――別の部下の一人が声を震わせながら、どこかを指差した。
後ろを振り向いてみると、そこにいたのは――。
「えっ……?」
俺だ――化物の……俺だ。その目は、なんだか怒りに満ちているようであった。
「どういうことだ……?」
俺を含め、その場にいた全員が立ちすくむ。
次の瞬間、化物の俺が
化物の俺が、部下たちに次々と襲い掛かる。
「よせ!」
俺は慌てて化物の俺に飛び掛かり、止めようとした。だが化物の俺に体を掴まれ、兵舎の玄関ホールまで投げ飛ばされる。
「ぐはっ……!」
なんて力だ……! あまりの衝撃に俺は体を痛め、身動きがとれなくなってしまった。
その後も部下たちが、容赦ない化物の俺の手によって倒されていく。ベクターでさえも、化物の俺の前では赤子同然であった。
「やめろ……! やめてくれ……!」
俺はその虐殺の様子を、ただ見ていることしかできなかった。
「助けて、アルフ隊長! がぁあぁああぁ……!」
ついに最後の一人が……断末魔の叫びとともに倒れていく――。
「そんな……」
――また……失ってしまった……大切な……仲間たちを……。
化物の俺が、ゆっくりと俺に近づいて来た。
「お前は一体……何なんだ?」
俺は這いつくばった状態で顔を見上げながら、化物の俺に問いかける。
化物の俺は、這いつくばる俺を見下ろしたまま、何も答えなかった。
そして化物の俺が、ゆっくりと右足を上げ、それを俺の顔に下ろす。
グシャッという嫌な音が、最後に響き渡った――。
*
目が覚めた――。
雲一つない、晴天の青空だ。
あれ? 生きているのか……? 俺……。
「アルフ、こんな所にいたの!?」
この声は……。
俺は首を声の方へと傾ける。
――ライアだ。
「何やってんの? みんな待ってるわよ。今日から私たち以外の生存者を探すんでしょ? さっさとトラックに乗ってちょうだい」
ライアが呆れたような口調で、手招きしながら俺に言う。
「お前……生きてたのか……」
俺は思わず涙声になる。
「は? 何を言ってるの? 寝ぼけてないで、ほら!」
ライアは顔をしかめながら、俺に手を差し伸べた。
俺はその手をしっかりと掴み、起き上がる。
そして、気付いた。
――あれ? 自分の手が……人間の手だ。
ライアと会った時、俺は化物になっていたはず。
「俺……人間に戻ったみたいだ」
自分の両手をまじまじと見ながら、俺は呟いた。
「もう、いい加減にして! 置いていくからね!」
ライアが背中を向け、歩き始める。
辺りを見回すと、ここはラグナであることが分かった。どうやらジュマーミの駐車場のど真ん中で、仰向けの状態で寝ていたようだ。
俺は慌ててライアの背中を追いかける。
するとゲートの前に、軍用トラックが停まっていた。そこに乗っていたのは――。
「おいおい、これから新しい世界を切り開きに行こうって時に、駐車場の真ん中で昼寝か? 勘弁してくれよ」
運転席にブラス――。
「
「ほらアルフ、銃はここにあるよ。早く乗って」
「今回もあんたの活躍、期待してるからね」
荷台にはクレスとロイス、それにメリアが乗っていた――。
「お前ら……」
俺は思わず立ちすくむ。
「ねぇ、行かないの? 留守番してる?」
「え? あ、いや……もちろん、一緒に行くさ」
助手席のライアに急かされて俺は荷台に乗り、ロイスからアサルトライフルを受け取った。
「おい……なんだよ……あれ……」
すると突然、見張り台にいた警備担当の奴が声を震わせながら、どこかを指差した。
と次の瞬間――警備担当の奴の頭が、甲高く鋭い金属音とともに砕ける。
「なんだ!?」
敵襲か――? 俺たちは急いで軍用トラックから降りた。
ゲートの向こうから、鈍くて大きな足音が迫ってくる。そしてゲートを覆うシートに、何やら大きな影が映り込んだ。
「クワイドか!?」
クレスが銃を構えたその時、ゲートが凄まじい勢いで倒れた。現れたのは――。
――化物の……俺……?
間違いない。ジェスとミアが俺に作ってくれたルーカムとレサイドで武装しており、その目は、なんだか怒りに満ちているようであった。
「ひぇえええ! なんだよコイツ!?」
ロイスが腰を抜かし、その場にいた全員が立ちすくむ。
化物の俺が咆哮を上げ、ブラスをルーカムで斬りつけた。ブラスの体が、縦から真っ二つになる。
「ウソだろ……おい……」
呆然とする俺をよそに、化物の俺はすぐさま尻餅をつくロイスにルーカムを突き刺し、軍用トラックを横から体当たりして吹っ飛ばした。反対側にいた、クレスとメリアが押し潰される。
「よせ!」
俺はアサルトライフルを化物の俺に向けて撃つ。だが銃弾は弾かれ、全く効いている様子がない。
化物の俺が、次の標的へ向かう。
――ライアだ……。
ライアは怯えた表情で化物の俺を見据え、後ずさりしている。
アサルトライフルの弾が切れ、俺は化物の俺に飛び掛かって止めようとした。だが、化物の俺がレサイドを振り払い、俺をぶっ飛ばす。
「ぐはっ……!」
なんて力だ……! あまりの衝撃に俺は体を痛め、身動きがとれなくなってしまった。
化物の俺が、ルーカムを構える。その刃先は――ライアに向けられていた。
「やめろ……! やめてくれ……!」
俺は這いつくばりながら、化物の俺に切願する。
だが――。
化物の俺のルーカムが、ライアの体を貫く――。
「がぁ、はぁあああ……!」
ライアが吐き出すように声を上げ、その場に崩れ落ちた……。
「そんな……」
俺はただ、血の海に沈んだライアの姿を見続けることしかできなかった。
ジュマーミの方で、激しい銃声や悲鳴が沸き起こる。化物の俺が、他の住民たちを襲っているようだ。
――ダメだ……あんな奴、どうすることもできない……。
俺にはもう、諦めることしかできなかった。
「アルフ、助けて!」
――え……? この声……まさか……。
俺は声の方を向いた。
マルスだ……マルスが、助けを求めて俺の方へと走ってくる……。
その後ろに、化物の俺の姿が見えた――。
化物の俺が、レサイドを構える。その銃口は――マルスの方に向けられていた。
「よせ! やめろおおおおお!」
甲高く鋭い金属音の銃声が響き渡る――。
「う……ううう……」
マルスが……俺の目の前で崩れ落ちていった――。
辺り一面に、血の海が広がっていく。
「ウソだろ……マルス……」
マルスの子犬のようにくりくりした目から、生気が失われていった。
化物の俺が、ゆっくりと俺に近づいて来る。
「お前……一体……何なんだよ……」
俺は這いつくばった状態で顔を上げながら、化物の俺へ憎悪の目を向けた。
化物の俺は、這いつくばる俺を見下ろしたまま、何も答えなかった。そして、ゆっくりとレサイドの銃口を俺に向ける。
「違う……俺は……お前なんかじゃない!」
化物の俺にそう言い放った直後、甲高く鋭い金属音の銃声が、最後に響き渡った――。
*
目が覚めた――。
あれ……? 生きているのか……? 俺……。
ここは――どこだ?
はしゃぎ回る子供たち。一緒にジョギングをしている若いカップル。犬を散歩させている老人。
――公園だ。ここは昔よく行っていた、カーミアの公園じゃないか。
俺はどうやら、ベンチに座っているらしい。自分の両手を見てみる。
人間の手だ――。
「ねぇ、ちょっと。聞いてるの?」
突然、俺のすぐ隣から声がした。
――聞き覚えのある声だ。
俺はゆっくりと、声の方へ顔を向ける。
「え……?」
隣にいたのは――俺の妻、エレノアであった。いや、元妻か。
「大事な話をしてる時に、何ぼーっとしてるのよ!?」
「お前……どうしてここに……」
「は? 何を言ってるの?」
俺が思わず涙声になると、エレノアが気味悪そうに俺を見た。
「ちょっと、大丈夫? 子供の名前を考えるのが難しすぎて、頭おかしくなっちゃったわけ?」
――子供の名前……?
俺はエレノアのお腹を見た。――膨らんでいる。
「カイル……」
「カイル? それがこの子の名前?」
――そうだ。確か……この公園で、このベンチで、俺たちの子の名前を決めたんだっけ……。
「ああ、そうさ。俺たちの子の名前は、カイルだ」
「カイル……ね。いいじゃない。きっと男前になるわ。あなたみたいに」
エレノアの顔から、笑みがこぼれる。
――今までずっと、夢を見てきたんだ。本当に……悪い夢ばかりだった……。
息子の集団暴行死。妻との別れ。部下たちの死。化物になった自分。新しい仲間たちの死。部下の暴走。化物の自分に殺される自分。
「今度こそ、いい父親にならないとな」
俺はそう呟き、心に誓った。
「『今度こそ』ってどういう意味?」
再びエレノアが怪訝そうな表情を浮かべる。
「え? ああ、いや……その……小さい頃、飼っていた子犬を自分の不注意で亡くしてしまってな。あの子の親として育てるつもりでいたのに……」
俺は慌てて適当にごまかした。
「そんなことがあったの……大丈夫よ、きっとあなたは――この子のいい父親になれるわ」
エレノアがそっと俺の肩に手をやる。
――こんな俺が、この子を無事に育てられるのだろうか?
――軍隊で突然死んで、エレノアとこの子を置き去りにするようなことがないだろうか?
――この子が俺と同じように、銃を手に命のやりとりをするようなことがないだろうか?
――本当になれるのだろうか……いい父親に……。
その時なぜか急に、不安な感情が俺の心の中を蝕み始めた。
「きゃあああああ!」
突然、断末魔のような叫び声が、どこからか聞こえてきた。
「なんだ!?」
叫び声の方を向く。
人々が、何かから逃げるようにこちらへ走ってくる。
遠くに見えたのは――。
「ウソだろ……」
まただ――化物の……俺だ――。
武装しており、手当たり次第に人を襲っている……。
「なんなの……あれ……」
その光景を見て、エレノアの顔が蒼白する。
「逃げるぞ! 早く!」
俺はエレノアの手を引っ張り、必死にその場を離れた。
ふと後ろを振り返り、化物の俺の位置を確認したその時だった。
――化物の俺と、目が合った?
いや、気のせいだ。このまま逃げよう。他の人間に紛れてもいい。できるだけ、遠くへ。
もう一度、後ろを振り返った。
化物の俺が――こちらの方へ向かってくる。奴の視線が、こちらに定まっているように感じた俺は、エレノアの手を引っ張る力を強めた。
「待ってあなた、痛い……」
だが急にエレノアが俺の手を離し、その場にうずくまってしまった。
「ダメだエレノア! 止まるんじゃない!」
「痛い……痛い……」
エレノアが腹部を押さえながら、苦しそうにしている。
「エレノア! 立つんだ!」
化物の俺が、コマ送りのようにこちらへ迫ってくる。
奴が俺たちに狙いを定めているのは、もはや気のせいなどではなかった。
「やめてくれ……もう放っといてくれ」
俺は両手を広げながら、化物の俺とエレノアの間に立つ。
化物の俺が、とうとう目の前まで来た。その目は、なんだか怒りに満ちているようであった。
「頼む、もう……やめてくれ」
俺は切願するように、化物の俺の目を見ながら言う。
だが化物の俺は、目の前のハエをはたくみたいに、レサイドで俺をぶっ飛ばした。
「ぐはっ……!」
あまりの衝撃に俺は体を痛め、身動きがとれなくなってしまった。
化物の俺が、ルーカムを構える。その刃先は――腹部を押さえながら腰を抜かし、恐怖に怯えながら後ずさりする、エレノアに向けられていた。
「よせ……やめろ……殺すなら……俺だけにしてくれ」
命乞いするみたいに、俺は化物の俺に頼み込む。
すると――化物の俺が、俺の方を見た。そして、構えたルーカムをゆっくりと下ろす。
「そうだ……それでいい」
――奴が俺であるなら……そんなこと、するわけない……。
しかし次の瞬間、化物の俺が、エレノアの腹部をルーカムで貫いた――。
――ウソだ……。
エレノアの腹部から、大量の血が溢れ出る。
「あなた……どうして……」
こちらに顔を向け、エレノアが言う。それが、彼女の最後の言葉であった――。
「貴様あああああ!」
俺は這いつくばりながら、痛みも忘れ、怒声を上げる。
化物の俺が、こちらにやってきた。俺の頭部を鷲掴みし、高々と持ち上げる。
「殺してやる! 殺してやる!」
俺は頭部を鷲掴みされた状態で、暴れ続けた。
すると――化物の俺が、口を開いた。
「お前は俺から――逃れられない」
それを聞いた直後、グシャッという嫌な音が、最後に響き渡った――。
目が覚めた――。
白い壁と灰色の床の広い部屋――腕や脚、腹部や尻尾に付けられた拘束具――。
夢――だったのか……おぞましい悪夢だった。夢でよかった。
でも、今の現実だって……悪夢でしかないのかもしれない。
「お前は俺から――逃れられない」
最後に夢の中で言われた化物の俺の一言が、脳裏に焼き付いて離れない。
あれは、何を意味しているのだろうか――?
その後も俺は、ミーデルの戦闘実験に付き合わされたり、血液を採取されたり、得体の知れない何かを投与されたりと、文字通り実験動物としての日々を過ごしていった。それで死ねれば、楽になれたのかもしれない。だが、この体――《フィシウス》が持つ身体能力と、回復力や再生力がそれを許さなかった。
時が経つにつれ、体とは対照的に、俺の心は病んでいった。
牢獄みたいなこの部屋で、拘束具を付けられながら孤独に過ごし、楽しみもなければ、生きる目標も見いだせない。無駄に明るい照明だけが、なぜか心地よく、唯一の救いであった。
戦闘実験が終われば化学兵器のガスで意識を奪われ、その度にこの間のような悪夢を見る。そして目が覚めた時には、再び拘束具を付けられた状態でこの部屋に戻っているという最悪のループである。
ふと、ライアに言われたことが頭に浮かぶ。
〝あの子を……守って……あの子の……父親になってあげて……〟
――ダメだ、ライア……その約束、果たせそうもない……もうマルスには、会うことすらできそうもない……でも、大丈夫だ。あの子は――俺たちが思っている以上に強い子だ。きっと俺がいなくても、生き延びていけるさ。
俺はそっと心の中で呟いた。
それから数日経ったある日、ミーデルが部屋に入ってきた。俺の血液でも採取しに来たのだろう。
意を決した俺は、ミーデルにあることを頼み込むことにした――。
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