第20話 力の意味
部屋の外から、誰かがこちらへとやってくるのを感じた。複数の大きな気配に、それよりも小さな気配である。
やがて、その気配の主たちが入ってきた。ハラスとミーデル、それにイブラと呼ばれているらしい化物二体だ。イブラの一体が、鎖の付いた何かを手にしている。
「そうか……彼女が〝落ちこぼれ〟だったとはね。残念だよ。有能な存在だとばかり思っていたのに」
ハラスがライアの方を見て呟く。
「ええ、僕も驚きましたよ。まさか、あなたに楯突こうとするシネスタ人がいるなんてね」
すると、ミーデルが呆れた、といったような口調でハラスに言う。そして、
「アルフ隊長、気を取り直してくれましたか?」
再び不敵な笑みを浮かべながら、今度は俺に話しかけた。
「ああ、お陰様でな。よかったらこの拘束具を外してくれないか? そしたらお礼に、お前らの顎をかち割ってやるからよ」
歯ぎしりしながら、俺はミーデルの問いに答える。そんな俺の様子を見て、ミーデルがため息をついた。
「そう簡単にはいかないか。あの魔女、よほど強い呪いをかけていたようだ……」
――こいつ、まだそんなことを……!
「まぁ、いい。大佐、彼にネアリムの案内をしてあげましょう。そうすればきっと、彼の気持ちも変わるはず」
「そうだな、私も付き添うよ」
ネアリムの案内? 新入りへのオリエンテーションってか? ふざけやがって……!
「今のあなたは、むやみに解放すると暴れ出しかねないので、お許しくださいね」
そう言うと、ミーデルは左手を変異させ、俺の太ももを爪で切り裂いた。
「つッ……!」
「じっとしててください」
そして傷付けた俺の太ももを変異した手で押さえつけ、反対側の手で傷口に注射器みたいなものの針を刺した。
「――貴様! 何を!?」
痛みとともに、得体の知れない何かが俺の体中を駆け巡っていくような、嫌な感覚を覚える。
「力を抜いて。大丈夫、命には影響ありませんから」
俺はだんだん自分の体に力が入らなくなっていることに気付いた。
「お前、何をしたんだ?」
「《フィシウス》を捕獲した時に使った、化学兵器のガスと同じ成分のものを使いました。注入したのは少量です。うまく力が入らなくなるかもしれませんが、一時的なものなので安心してください」
――なんだって……? こいつ、完全にイカれてやがる……。
「拘束具を外しますね」
ミーデルが端末機器のようなものを取り出して操作すると、拘束具が後ろへ引っ込んだ。俺はがくっと床に膝をつく。拘束は解けたが、やはり体に力が入らなくなっている。この状態では、こいつらをぶちのめすことはできない。
「彼の腕をそれで拘束して、支えてあげろ」
ミーデルがイブラの一体に声をかけ、そのイブラが俺の腕を後ろに組んで何かを取り付ける。
腕が全く動かせない。別の拘束具か。
そして、イブラ二体がその拘束具の鎖を掴んで俺を引き起こした。
「歩くことはできますよね? まずは一緒にネアリムを見て回りませんか? ずっとここにいても、何も始まらないですし」
ミーデルの言う通り、支えてもらえるなら、歩くことはかろうじてできそうだ。
このネアリムとかいうのがどんな所だろうが知ったこっちゃない。だが、マルスや他のみんなが本当に無事であるのなら、確かめておきたい。
「――仕方ねぇな、分かったよ。その代わり、お前らがここに連れてきた住民たちに会わせろ」
俺は渋々ミーデルの提案を条件付きで受け入れることにした。
「もちろん、喜んで。彼らも僕たちの仲間ですから。それじゃ、行きましょう」
ハラスが先に部屋を出る。ミーデルも俺の様子をうかがいながらそれに続き、俺も重い足取りで左右の化物二体に支えられながら、二人についていった。
ネアリムは無駄に広大で怪しげな研究施設、というのが俺の第一印象であった。設備が綺麗で充実している感じではあるが、毒々しい色合いをした奇妙な植物が栽培されていたり、様々な動物が
「ここは自然科学を研究し、私たちの暮らしをより豊かにしていくことを目的として作られた施設だ」
「どうです? 凄い所でしょう?」
ハラスによる紹介の後で、ミーデルが自慢するみたいに俺に言う。
「へぇ、自然科学を研究して暮らしを豊かにしていくための施設――ね。それが今では、ただの化物の生産工場になったと」
それに対して俺は、最大限の皮肉を込めて言ってやった。二人は特に気にする様子もなく、足を進めていく。
ふと、俺はあるガラス張りの部屋の前で足を止めた。
そこには――先ほどまでの俺みたいに拘束されている、全身が赤みがかったグレーで、筋骨隆々とした体格のゴリラのような生き物がいた。あれは――。
「あれが《ルドワ》ですよ。あの子が僕の研究をさらなる発展に導いてくれた。僕にとって、神からの贈り物なんです。《フィシウス》もそうですけど」
身動きできない様子の《ルドワ》と目が合う。その目は鋭く、力強さを感じさせる。だが一方で、「助けて」と俺に訴えかけているかのようにも見えた。
「あの生き物を放してやれ。もうハラスもお前も、十分な力を手に入れたんだろう? あの生き物に用はないはずだ」
「何をおっしゃっているんですか。あの子には――まだまだ無限の可能性が秘められているんですよ? 手放すなんてとんでもない」
「お前、いい加減にしないと――」
マジではっ倒すどころじゃ済まさないぞ、と言おうとしたところで、
「子供たちがこの先の研究室にいます。行きましょう」
ミーデルは俺の発言を遮り、ハラスと共に再び足を進めていった。
クソッ! こんな時に体に力が入らないなんて……。
「必ず、ここから出してやるからな」
俺はもう一度 《ルドワ》と目を合わせ、ガラス越しに誓いを立ててから、その場を後にした。
それから間もなくして、マルスや他の子供たちがいるらしい研究室の所に辿り着く。
「ほら、みんな無事でしょ? 今は科学に親しんでもらうために、色んな実験をやったりして楽しんでもらってますよ」
ミーデルの言う通り、研究室のガラスから、子供たちが学校の授業みたいに研究員の一人に教えられながら、何かの実験をしている様子が確認できた。
「変なことやらせたりしてないだろうな?」
俺がミーデルに小突くようにして言うと、ハラスが横から口を挟んだ。
「心配するな。彼らには――まずこの世界の基礎から学んでもらう。自分たちで道を切り開いていくのは、そこからだ」
「どういう意味だ?」
わけが分からず、俺はハラスに問いかける。
「アルフ! 無事だったんだ!」
すると子供たちの一人、リーダー格のヤイスが大声を上げてこちらにやってきた。
「アルフ、大丈夫?」
他の子供たちも釣られるようにやってくる。その中には、マルスの姿もあった――。
「随分慕われているようですね。さすがアルフ隊長だ」
ミーデルの言葉とは裏腹に、俺の心はかげっていた。とりあえず、ガラスの向こうに作り笑いをしておく。正直なところ、合わせる顔がない……特に――マルスに対しては。
「他の住民たちにも会わせろ」
「え? もういいんですか?」
「いいから早く!」
「……分かりました。それじゃ、次は外へ行きましょうか」
俺が声を荒らげると、ミーデルは少し驚いたような表情を見せ、歩き始めた。
「本当にもういいのかね?」
ハラスも俺に気遣うように言う。
「無事なのは確認できたからもういい。さっさと連れてけ」
本心ではない。ただこの場から――一刻も早く離れたかった。
最後にちらっとだけ子供たちの方を見る。みんなの顔はどこか寂しげで、まるで俺との別れを惜しむかのようであった……。
施設の外へ出てみると、ネアリムの全体像が見えてきた。背の低い複数の建物で囲まれた広大な敷地は緑豊かで、一流大学や大手企業のキャンパスのような雰囲気を思わせる。
昔の愚かな俺は、こういう所に自分の息子を行かせることばかり考えていた。
「施設によって用途は様々で、研究目的以外にも、ケガや病気をした者のための診療所もある。君たちの所にいた医者たちは、そこに配属させてもらったよ。さらに最近では、兵器の開発や生産を目的とした部署も作った。そこでは他の軍事基地から連れてきた、兵器の知識を持つ人員だけでもやっていけそうではあったのだが、君たちの所にいたジェスとミアを配属したおかげで、より一層強力なものになりそうだよ」
ハラスが背中越しに言う。ジェスとミア――無事だったのか。それならそれでいいのだが、あいつらの武器職人としてのスキルがハラスに悪用されてしまうと、厄介なことになりそうだ。
「外はのどかでいい雰囲気でしょう? 周りもしっかりとした塀が建てられているから安全ですし、さらに素晴らしいのがこの先なんです」
とミーデルが指差す先に、様々な作物が栽培されている農園や、牛や羊たちが放されている牧草地みたいな所があった。よく見てみると、そこには見覚えのある人物たちがいた。ラグナで農園や畜舎の動物たちを世話していた住民たちだ。料理を担当していたジイさんもいる。その周りでは、男たちがアサルトライフルを手にしながら、ラグナの住民たちを監視しているかのように歩き回っていた。
「あちらのみなさんには、ここで作物や家畜の世話を手伝ってもらっているんですよ」
徐々にそちらの方へと近づいていく。
「アルフ、無事だったのか」
俺の存在に気付いたジイさんが作業の手を止め、俺の方に歩み寄ってきた。
「持ち場を離れるな!」
すると監視役の男の一人が、アサルトライフルのストック部分でジイさんを横から殴りつけて倒し、銃口を向けた。
「やめろ!」
俺はその男に怒声を上げる。
「おい、よさないか」
ハラスもそれを制止すると、男はジイさんから離れた。
「ぐふっ……アルフ、大丈夫か? ライアはどこだ? 無事なのか?」
横向きに倒れたままの状態で、ジイさんが俺に訊ねる。俺は……何も答えられず、視線をジイさんから逸らした。
「ワシはお前などについていかぬぞ、ハラス。我が国の指導者を装っていた時も、ワシはお前を支持していなかった。ワシらを強くさせて導くと言っておったが、ワシら一般市民は弱くなどないのだ。お前は、ただの卑劣で臆病な略奪者だ! お前こそが――真の弱者なのだ!」
ジイさんが、ハラスの方を見て声を上げた。
「私が……弱者……だと……?」
ジイさんの言葉を聞いたハラスが声を震わせる。――なんだか様子がおかしい。
「そうだとも。貴様は弱者だ、ハラス! 世界がこんな風になったのは、貴様が弱いせいだ! 貴様の弱さが、世界を滅ぼしたのだ!」
ジイさんがとどめを刺すかの如く、さらなる罵声をハラスに浴びせた。
「やめろ、落ち着け」と言おうと思った、次の瞬間だった――。
ハラスが目にも留まらぬ速さでジイさんの顔を
そして――。
あまりにも突然の出来事に、その場にいた全員が言葉を失った。俺や、ミーデルさえも。
グシャ! という嫌な音とともに、ジイさんの体が地面に落ちる。その体には――顔がない。
ハラスの手から、大量の血が滴り落ちている。
ラグナの住民たちの一人が気を失い、その場に倒れ込んだ。
「――ミーデル……私は弱者か?」
「え?」
ミーデルの方を振り向き、ハラスが問いかける。その目からは、狂気じみたものが感じられた。
「私は弱者なのかと聞いているのだ」
再びハラスが、ミーデルに問いかける。
「え、いや……そんなわけないじゃないですか。ただの〝落ちこぼれ〟の戯言ですよ。あなたは今、この世界の玉座に就くのにふさわしい力を持っている。どうか、お気になさらずに」
「そうか……ならよかった」
ゆっくりとした足取りで、ハラスがこちらの方へ戻ってくる。
「貴様あああああ!」
気を取り戻した俺は、怒りのままにハラスの方へと向かっていった。だが、イブラ二体に鎖を引っ張られる。
「落ち着いてください。彼は協調性のない〝落ちこぼれ〟だった。我々の仲間ではない、この世界に必要ない存在です。ここは一旦、別の所へ行きましょう」
ミーデルのその言葉に、より一層怒りが込み上げた。
「もういい! 体の自由が戻ったら――貴様ら全員ぶっ殺してやる! こんなふざけた所、何もかもぶっ壊してやる!」
俺は力を振り絞り、叫んだ。
「なぜそんなことを言うんです!? まだ分からないのですか!? この世界は――一度リセットして作り直す必要があった。あなただって、さんざん見てきたでしょう? いくつもの醜い争い、差別に格差。それらはいつまで経ってもなくならなかった。なぜか? それは弱い人が多すぎたからです。僕たちは、強くならなきゃいけない。今の世界でも、生き続けていけるほどに」
ミーデルが俺に対抗するかのように、声を上げて続ける。
「ここは、そのための始まりの場所なんです。そのための研究は、順調に進んでいる。あなただって、強くなれたでしょう!? 僕の【ニトロ】は、決して無駄じゃなかったはず。あなたの使命は――僕たちと共に、新しい世界を作り上げていくことなんです!」
俺は首を横に振りながら、ミーデルの言葉を払いのけた。
「違うな。俺の使命は――貴様らのくだらない、イカれた野望を止めることだ。この力は、そのためにあるんだ」
ミーデルが、大きなため息をつく。
「……残念です。あなたはどうやら……あの魔女や、そこの老いぼれのように、ただの〝落ちこぼれ〟だったようだ……」
ミーデルの表情は、まるで絶望に満ち溢れているかのようであった。
「でも、あなたは《フィシウス》の貴重なサンプル。それならば、別の形で我々の役に立ってもらいましょう」
すると左手を変異させたミーデルが、再び俺の太ももを爪で切り裂き、傷口にあの化学兵器が入った注射器を刺した。最初の時よりも強い、嫌な感覚が体中を駆け巡る。今度は大量に注入したのだろうか。
「貴様――!」
「地面に押さえつけろ」
ミーデルがぱっと後ろへ飛んで下がり、イブラ二体に指示を出す。イブラ二体はミーデルの指示通り、俺を後ろから押し倒して、地面に押さえつけた。
抵抗しようとするも、だんだん体に力が入らなくなっていく……そしてついに、全身に力が入らなくなってしまった。
かろうじて動かせる首を上げて、俺はミーデルの顔を拝む。
「安心してください。昔のよしみで、殺したりはしませんから」
ミーデルが膝をつき、地面に這いつくばる俺に言う。
「ミーデル……これが……お前の望み……なのか……? こんなことをしてても……世界は何も変わらない……いずれまた……同じようなことが起きる……次に狙われるのは……お前だぞ……」
「もういい。あなたはただのサンプルにすぎない。僕たちが作り上げていく新世界に、あなたも一緒にいてほしかった……僕たちのことを、分かってほしかった……」
ミーデルがそう言ったのを最後に、俺の意識は遠のいていった――。
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