第18話 犠牲

「その後、僕とハラスはシスルの護衛を受けながら、研究施設に辿り着きました。それがここ、ネアリムなんです。ここではもともと、太陽光発電による灌漑かんがいシステムが研究されていたおかげで、食料や水、電気などには困らなかったんですよ。新世界の出発点に、ふさわしい場所でしょう?」


 ミーデルが微笑みを浮かべる。

 この世界になってから、俺は軍事基地から北の方で、ミーデルは南の方で生き延びていたようだ。


「お前……そんなことでハラスを信用したのかよ?」


 俺はミーデルに対して、低く唸った。

 部屋の奥の方では、ライアが何がなんだか分からない、といった顔をしている。


「ハラスは決して根からの悪党なんかじゃないんですよ、アルフ隊長。生まれついた環境が悪かっただけなんです。僕と同じように。それに、彼は僕のことをあなたみたいに――いや、あなた以上に評価してくれている。本当は素晴らしい人なんですよ、ハラスは」

「――自分が何を言ってるのか、分かってるのかお前……」

「いずれあなたも分かるはず。僕たちがこれからしようとしていることも、理解できるはずですよ」


 今俺の目の前にいるミーデルは――明らかに別人である。どうやら、ハラスによって完全に洗脳されてしまったようだ。


「お前の言う〝改良〟を加えた【ニトロ】、一体どんな生物から抽出したものを加えたんだ?」


 世界を破滅に導いた元凶であり、俺をこんな姿に変えた元凶――それは一体何なんだ?


「ああ、その生物の名は《フィシウス》。今のあなたそっくりの生物ですよ。まぁ、実際の《フィシウス》は四足歩行型の生物で、もう一回り大きくて見た目も多少は違いますけど」

「なんだって……?」


 今の俺そっくりの生物――? 《フィシウス》――?


「《フィシウス》は自然をつかさどり、あらゆる者をひれ伏させる力強さに貫禄かんろくある姿、風のように駆け巡る優雅さを併せ持つ、神のような存在だと言われていたんです。僕にとって《フィシウス》は憧れの存在で、科学者を目指すきっかけでした」


 ミーデルが活き活きとした表情で話す。


「ほんのわずかしか目撃証言がない《フィシウス》は、空想上の存在だという学者さえいるくらいでした。でも、僕は科学者だった頃から会える日を信じて探し続けていたんです。ある日、とうとうカーミアのとある森の奥で見つけたんですよ、《フィシウス》のことを。その姿は、言い伝えの通りでした。僕はすぐに《フィシウス》の持つ無限の可能性を感じ取り、《フィシウス》の捕獲を決意しました。それが見事に成功したんです」

「捕獲に成功した? そんな簡単に捕まえられるもんなのかよ、その《フィシウス》とやらは」


 今の格段にパワーアップした俺を作り上げている〝改良〟を加えた【ニトロ】が、《フィシウス》から作られているとすれば、普通の人間がその《フィシウス》を捕らえることなど、容易ではないはず。


「もちろん、そう簡単にはいきませんでした。銃や罠などの物理的な方法は全く通用せず、さすがに自然を司る存在というだけのことはありました。だから自然にはない人間独自の力――人工的に合成した物質で作り上げた、化学兵器を使ったんです。それも、僕が主導して作り上げたものでね。その化学兵器の中身は秘密ですけど」


 自慢したがる子供みたいに話すミーデルの言葉からは、もはや狂気すら感じられる。


「なんて奴なんだ、お前は……」

「でしょう? 僕は本当はできる奴なんですよ」


 いやいや、俺が言った「なんて奴なんだ」って、そういう意味じゃねぇぞ。


「《フィシウス》を研究した結果、驚くべきことが分かったんです。あの驚異的な身体能力を作り上げているもの、それが《フィシウス》に宿る寄生微生物〈Reinos(レイノス)〉。〈Reinos(レイノス)〉は凄まじい勢いで宿主の体内で活動して増殖し、桁違いの身体能力を与え、宿主が傷付けば瞬時にその箇所を再生させることができるんです。それに加えてわずかな水や、太陽光もしくはそれに近い光を与えるだけで、宿主が十分に活動できるようにしてくれる」


 ――寄生微生物〈Reinos(レイノス)〉……? ちょっと待て……。


「まさか……〝改良〟を加えた【ニトロ】って――」

「そう。《フィシウス》から抽出した〈Reinos(レイノス)〉を加えたものです」

「――!」


 俺の言葉を遮るように、ミーデルが恐れていた答えを口にする。


「〈Reinos(レイノス)〉をここでさらに詳しく分析しました。するとまたしても驚くべきことに、〈Reinos(レイノス)〉は完全に《フィシウス》と融合していたんです。しかも他の生物に投与した時、遺伝子構造をゆっくりと時間を掛けて、自身そっくりのものに書き換えようとしていたことが分かりました。興味深いことに、人間はほぼ確実にその初期段階で変化に耐えられず、急激に暴走して、あの化物のような不完全体になってしまう。つまりあなたは――その変化に耐えることができた適合者であり、奇跡の存在」


 ――バカな……そんなこと……ありえない……。


「不完全体の〈Reinos(レイノス)〉は大幅に弱体化しており、宿主を操って他者を襲い、唾液を通して、適合者を求めてさまよい続けるんです」


 不完全体――そうか、それが俺たちがクワイドと呼んでいた奴らなのか……。


「そして僕は、ハラスが言っていたシネスタにしか生息していない希少な固有種の動物 《ルドワ》、ゴリラの一種ですね。それから抽出した特殊細胞〈Etis(エティス)〉も研究しました。これもまた素晴らしいもので、身体能力だけでなく、知性も飛躍的に向上させ、有害と見なしたあらゆるものを自身のエネルギーに変える力があるんです。もうお分かりですよね? ハラスのあの姿は、〝改良〟を加えた【ニトロ】と〈Etis(エティス)〉を掛け合わせて、投与した結果なんです」


 シネスタにしか生息していない希少な固有種の動物 《ルドワ》……ゴリラの一種……〈Etis(エティス)〉……。


「要するに……今の俺にその《ルドワ》とかいう奴の力が加わった姿、それが今のハラスなのか」

「簡単に言えばそういうことです。〈Reinos(レイノス)〉と〈Etis(エティス)〉。今のハラスの力は、この二つを組み合わせることができたからこそ成し得た、僕の成果なんです。それだけじゃない。その新しい【ニトロ】は、あの化物たちも進化させることができたんですよ。単に能力が増しただけでなく、僕たちに従うほどの高度な知性が芽生えた者が出たんです」

「――なんだと……?」


 クワイドを――従わせることができた?


「新しい【ニトロ】を投与した化物、僕たちはシネスタの昔の言葉で〝進化〟を意味するイブラと呼んでいます」


 イブラ――。


「先日、あなたは軍事基地から北の方にある高級住宅街にいたでしょう? 従わせることができたイブラ三体の目に、シネスタ軍が開発したものを応用した、音声録音機能搭載の高性能レンズカメラを取り付けて、偵察に向かわせていたんですよ。そうしたら、あなたを見つけました。『俺たちはこれからジュマーミの方に帰るんだ』とかあなたが言っていたのを聞いて、僕たちはジュマーミに行きました。それで、あなたに会うことができたんです!」


 なんてことだ……セラームで会ったあの進化したクワイド――いや、イブラか。あいつらは、ミーデルが生み出したものだったのか……。


「高度な知性が芽生えるメカニズムが完全に分かれば、イブラを全て従わせることができるかもしれない。そうなれば、イブラの軍隊だって作れるかもしれません」


 イブラの軍隊……冗談じゃねぇぞ。


「あなたがここに来たのは、偶然なんかじゃない。運命だったんです。僕とハラス、それにあなたとで――新しい世界を作り上げていく運命だったんですよ。ここまで来るのに、多くの失敗を積み重ねてきましたけど、ハラスが言った通り、成功に犠牲はつきものなんですよ」


 ――成功に……犠牲はつきもの……。


 俺の脳裏に、〈CSF〉の仲間たちの顔が浮かぶ――。


「あなたは、僕の仲間。ここから共に、新しい世界を作り上げていきましょう!」


 ミーデルが不敵な笑みを浮かべ、俺に言う。

 だが、俺はそれを全力で拒否した。


「ざけんな! 俺は――今のお前なんかの仲間になるつもりはねぇ! お前は、俺の大切なものを奪った! 自分のエゴのために、みんなを犠牲にした! 仲間を裏切るような奴なんて、俺には必要ねぇ!」


 俺の言葉を聞き、ミーデルが唖然とする。


「お前はもう、俺の仲間なんかじゃねぇ! お前を――俺の部隊から除外する」


 最後に俺は軽蔑の目でミーデルを見据え、トドメの一言を浴びせてやった。

 すると――。


「違う……」


 ミーデルが首を横に振り、頭を抱えて俯いた。


「違う! 違う! 違う! 違う! 違う!」


 そして今度は急に、大声で喚き出したのである。

 ミーデルのあまりの変貌ぶりに、俺は思わず言葉を失う。


「こんなのウソだ! 僕が知っている――アルフ隊長じゃない!」


 ミーデルはそう声高に叫んだ後、まるで息を切らしたマラソン選手みたいに、激しい呼吸を繰り返した。


「お前……だな……?」 


 俺が困惑していると、ミーデルはゆっくりと首を回し、奥のライアの方へ視線を向けた。そして一歩一歩、ライアに近づいていく。


「お前……アルフ隊長に……何を吹き込んだ……?」


 ――なんだ? 何を言ってるんだ、こいつは……?


 ミーデルの声に、背筋が凍るような殺気がまとわりつく――。


「ミーデル? お前、何をする気だ……?」


 俺はふと、ミーデルの右手の様子がおかしくなっていることに気付いた。

 ミーデルの右手が、メキメキと音を立てながら、見る見るうちに大きくなっていく――。


「お前、その手……一体何なんだ……?」


 手が変異した――? まさか――。


「ああ――これですか? これはですね、〝自身の姿は変えずに、強大な力を得られないか〟っていう研究で新しい【ニトロ】にさらなる手を加え、僕自身にも取り込んでみたんです。そうしたら、研究は大成功。なんと、自分の意志で好きな部位を変異させられるようになったんです。凄いでしょう!? これが、僕の究極の力なんです! ハラスは姿そのものが変わってしまいましたが、僕は人間の姿のまま、ハラスと同等の力を手に入れることができたんです!」


 そう言って、ミーデルは俺に変異した自分の手を見せびらかした。確かにその手はまるで、今のハラスのようである。


「安心してください、アルフ隊長。もう、大丈夫。あなたを――この忌まわしい魔女から、解放してあげますから」


 ミーデルが俺に微笑みかけ、再びライアの方を向く。

 解放――? どういうことだ? 魔女って、まさか――ライアのことか? 

 と――。


「がぁ、はぁあああ……!」


 それは、瞬く間の出来事であった――。


 ライアが、吐き出すように声を上げる。

 ミーデルの変異した右手が――ライアの腹部を貫いていた……。


「――!」


 俺は一瞬、頭の中が真っ白になった。


「ぐ……うぅぅぅ……」


 ライアの口から、滝のように血がこぼれ出る。


「お前の――好きにはさせない。彼は――僕の仲間だ」


 ミーデルが、ライアの腹部に変異した右手を突き刺しながら言う。


「ミーデル! お前! お前! お前ぇぇぇぇぇ!」


 俺は体が動かせない中、無我夢中で叫び、もがき続けた。

 するとミーデルが、ライアの腹部から変異した右手を抜く。次の瞬間、俺の目でも捉えきれないほどの速さでこちらにやってきた。あまりにも人間離れしたそのスピードに、俺は度肝を抜かれる。

 ミーデルは軽く跳ね、腹部の拘束具に足をかけて乗った後、俺の口を両手で押さえつけた。よく見ると、ミーデルの足が変異している。


「シーッ。落ち着いてアルフ隊長。大丈夫、もう大丈夫だから。これで――あなたは自由だ。あなたはもう、苦しまずに済む。ね?」


 ミーデルがあの日と変わらない、澄んだブルーの目で俺の目を見ながら囁く。

 俺はその目を力一杯睨みつけた。口を開いて罵声を浴びせようとするも、ミーデルはいつの間にか右手だけでなく、左手も変異させたようだ。あまりにも凄まじい力で、口が開けない。


「なんてことだ……完全に洗脳されてしまっている……」


 首を横に振りながら、ミーデルが呟く。


「まぁいい。あの女はじきに死ぬ。そうしたら、あなたも元通りになるはず。しばらくの間、僕もここを離れます。次に僕たちが戻ってくる時には、気を取り直しておいてくださいね」


 ミーデルは俺の目を見ながらそう言い残して床に下りると、部屋の出口へと向かっていった。


「おい! 待て! ミーデルゥゥゥ!」


 俺はミーデルの背中に向かって怒鳴り声を上げる。だがミーデルは全く見向きもせず、そのまま部屋を出ていってしまった。

 そして――瀕死ひんしのライアと二人きりになる。


「ライア……」


 ライアが苦しそうにあえいでいる。口から、腹部から、止めなく血が流れていく。


 ――なんとかしなくては。


 だが、体が動かせない。必死にもがき続けるも、どうすることもできなかった。

 この姿になって、初めて味わう無力感、そして絶望……。


 ――クソッ! なんで、こうなった!? なんで!?


 俺はやり場のない怒りに体を震わせる。


「ねぇ……教えて……あんた……一体……何者なの……?」


 声の主は、ライアだ。


「シネスタ軍の……兵士で……元ラジュラ……だなんて……ウソ……なんでしょ……?」


 絞り出すように、一言ずつ俺に話しかけてくる。

 俺は思わず目を逸らした。

 しばらくの間、沈黙が流れる――。


「答えて……アルフ……」


 ――そういえば、初めて会った時から身分を偽っていた。でも、もうこうなってしまった以上、全てを正直に話すしかない――。


「俺の名は――アルフ・ミラー。カーミア特殊部隊〈CSF〉の隊長だ。ハラスを暗殺する任務で、ここシネスタにやってきた。さっきの奴、ミーデルは……俺の部下だ。今奴が話した通り、シネスタが、いや……世界中がこんな風になったのは――ミーデルの仕業だ」

「なんて……こと……」

「俺の……責任だ。お前が……そうなったのも……クレスたちが死んだのも……全部……」


 俺も、絞り出すようにして言うのがやっとだった。


「俺は……最低な上官で……最低な……父親だ。どうしようもなく……ダメな奴だ……」


 そして最後の一言を吐き出し、うなだれた。


「そうね……その通りだわ……あんたは最低よ……」


 ライアの言葉が、俺の胸の奥深くまで突き刺さる。


「でも……マルスを……守れるのは……あんたしかいない……」


 ――マルスを守れるのは、俺だけ……。


「お願い……あの子を……守って……あの子の……父親になってあげて……あの子……あなたのことが……好きみたい……だから……」


 ――マルスの、父親になる……。


〝あの子〟の姿が、脳裏に浮かぶ。


「ダメだ……ライア……それだけは……できない……」

「いいえ……できるわ。知ってるのよ……私。あなたの……歓迎会……あの……マルスの皿に残ってた……ピーマン……食べたの……あなた……なんでしょう……?」


 俺の歓迎会――セラームの家の庭でやった、あれのことか。

 ライアの奴、あのピーマンのこと、分かってたのか。


「本当の……あなたは……そういう人。いざとなれば……自分の身を……投げ出してでも……我が子を……守ろうとする人。そうでしょう……?」

「あれはただ……マルスが泣き出しそうだったから、食べてやっただけのことであって……」


 マルスとの距離を縮めることができた、あの歓迎会。今となっては、いい思い出だ。


「あの子の……父親になって……守る。それが……あんたの……償いよ……いいわね……?」


 ライアはもう、虫の息である。


 ――俺の償い……マルスの父親になって、守ること……。


「後は……頼んだ……わ……よ」


 そして――。

 ライアはそのまま、動かなくなった――。


「ライア……? ライアァァァァァ!」

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