第17話【八年前】
「よし、じゃあ数時間後に革命を起こそうぜ」
「ええ、自分たちの名を歴史に刻みましょう」
僕はベッドに寝転んでいるアルフ隊長の前に拳を突き出した。すると、アルフ隊長が【ニトロ】摂取後の副作用による眠気に耐えながら、それに応えてくれた。
その後アルフ隊長が意識を失い、眠りについたのを確認してから、僕は部屋を出た。
今回の【ニトロ】――今までとは違うんですよ、アルフ隊長。ある〝改良〟を加えたんです。きっと、あなたも驚くはず。僕のことを――もっと認めてくれるはず。
わくわくが止まらない! これから起きることに! ようやく、家族の無念が晴らせる。そして僕には――明るい未来が待っているに違いない!
アルフ隊長に指示された通り、寝室近くにある武器庫の武器を整えながら、戦闘兵のみんなが目覚めるのを待つことにした。
【ニトロ】の副作用による眠りから目覚めるまでの時間は、およそ三時間くらいだ。もうそろそろじゃないかな。
武器の整備をしながら、支援兵のみんなと辺りを警戒し続けていたが、幸い特にこれといった動きはない。ここまでは、順調のようだ。
アルフ隊長がいる部屋を覗いてみる。まだ、目覚めてないみたいだ。
寝室の戦闘兵たちはどうだろう? 誰かしら目覚めていてもいい頃のはず。
僕は寝室まで行って、様子を見てみることにした。
そっと両開きの部屋のドアを開ける――。
「おい、どうしたんだよお前……」
部屋の奥の方から、声が聞こえてきた。支援兵の一人が、ベッドから起き上がってきた戦闘兵の一人に話しかけているようだ。
ようやく、目覚めてくれたみたいだ。
だけど、なんだか様子がおかしい――。
目覚めた戦闘兵から、呻き声みたいなものが聞こえてくる。
「大丈夫か? なんだか変だぞ、お前」
支援兵が再び目覚めた戦闘兵に声をかけた。目覚めた戦闘兵は俯いたまま、呻き声を上げ続けている。
――どうしたのだろう?
いつもだったら、「よっしゃ! 生まれ変わったぜ!」とか言いながら、勢いよく目覚めていたのに。なんだか、凄く具合が悪そうだ。
――まさか……。
すると――目覚めた戦闘兵の体が、見る見るうちに膨らんでいった。そして全身が膨らんだ後、なぜか今度は、片腕だけが膨らみ始めていったのである。
「おいおいおいおい、どうなってんだよこれ!?」
支援兵が、そんな化物のようになってしまった戦闘兵の前で腰を抜かす。
――なんだあれ……? どうなって……。
愕然とする僕の周りで、戦闘兵たちが無言のまま次々とベッドから起き上がる。やがて、呻き声があちこちから湧き上がってきた。
「うわあぁああぁ!」
断末魔の叫びの方を見る。化物と化した戦闘兵が、支援兵を襲っていた。
――何なんだよ、これ……。
僕は慌てて部屋を飛び出した。
「どうしたんだ? ミーデル」
訊ねてくる支援兵たちを押しのけ、僕は一目散にアルフ隊長のもとへと向かった。
「アルフ隊長! アルフ隊長! 起きてください!」
僕はアルフ隊長の体を揺さぶって、無理やり起こそうと試みる。しかし、一向に起きる気配がない。
「うわあぁああぁ!」
再び、断末魔の叫びが響き渡る。寝室の方を見てみると、化物と化した戦闘兵たちが次々と現れ、廊下や玄関ホールにいる支援兵たちを襲っているのが見えた。
僕は慌ててドアを閉め、鍵を掛けた。そして部屋のユニットバスの浴槽の中で、身を屈めた。
何なんだよあれ……何かの冗談だろう?
――まさか、僕が【ニトロ】を〝改良〟したせいで……? そんなはずない……そんなワケない!
浴槽の中でも、悲鳴や叫び声が聞こえてくる。
――頼む。こっちには来ないでくれ……。
じっと浴槽の中で身を潜め続ける。しばらくして、この兵舎からは物音がしなくなった。だが、今度は外からだろうか、銃声のような音や、けたたましい警報のような音が聞こえ始めた。
――まずい……基地の方で騒ぎになり始めてるみたいだ。どうしよう……あの化物が、僕たちの部隊の人間だと知られてしまったら……。
僕の頭の中で、あらゆる最悪なシナリオがシミュレーションされる。
――こんなはずじゃ……なかったのに。みんなにもっと、認められたかっただけなのに……。クソッ! クソッ! これで僕はまた、見下されてしまうんだ……蔑まれるんだ……ダメ人間として、扱われてしまうんだ……。
迫害。逃亡。亡命。そんな言葉が、頭をよぎる。
「アルフ隊長……」
ふと、このユニットバスの隣にいる人物のことが頭に浮かぶ。
――アルフ隊長と、なんとかしてここから逃げよう。
この部屋では、物音はしなかった。きっと化物にも入られていないし、アルフ隊長は無事なはずだ。
ゆっくりと、ユニットバスから出る。
「アルフ……隊長……?」
僕はベッドにいるアルフ隊長であるはずの存在を見て、愕然とした。
ベッドからはみ出るほど膨れ上がった青みがかったグレーの体に、手足から生えている獣のように鋭い爪、それに顔が――。
「こ……この顔……まさか……そんな……」
僕は思わず部屋を出て、ドアを閉めた。
兵舎にはもう、誰もいなかった。
「みんな……どこへ……?」
開いている玄関の扉から、僕は慎重に外へ出た。
あちこちから、銃声や悲鳴が聞こえてくる。
「どうしよう……どうすればいいんだ……?」
僕はもはや、冷静さを失っていた。なぜかハンドガンを片手に、ハラスの官邸『クルシュット』の方を目指して、足を進めていく。
僕たちが制圧した兵舎の隣にある、横に長い兵舎の建物を通り切り、開けた所へ出た。
そこはまるで――戦場のようであった。
大勢のシネスタ兵たちが、様々な姿をした化物たちと戦っている。よく見ると、化物たちはシネスタ兵の軍服を身に着けている者がほとんどであった。
――なぜだ……? 彼らは【ニトロ】を打ったわけではないのに……。
そして化物たちの中に、僕たちの仲間が――奇声を発しながら、シネスタ兵たちを襲っている。僕はその光景に、足がすくんでしまった。
化物はシネスタ兵の息の根を止めた後、その死体を一口二口食らい、また別のシネスタ兵に襲い掛かる。すると死んだはずのシネスタ兵が起き上がり、変異して化物になった後、また別のシネスタ兵に襲い掛かる。
まるでそれは――増殖を繰り返すウィルスのようであった。
「なんてことだ……」
――僕は【ニトロ】に、とてつもない〝改良〟を加えてしまったようだ……。
なぜ、自分が『クルシュット』へと足を進めているのかが、今分かった。
――こうなったらせめて、ハラスだけでも僕の手で……!
少しずつ、少しずつ、『クルシュット』の方に近づいていく。
とその時、
「お前、何者だ? ここで何をしている?」
シネスタ兵の少人数のグループに、止められた。
「こいつ、俺たちとは違う服を着ているぞ!」
――しまった!
「さては、この敵襲と何か関係があるな!?」
――しくじった、クソッ! 今度こそ終わりだ……。
万事休す――そう思った次の瞬間、
「化物が来るぞ!」
一体の化物が、こちらへ向かってきた。そいつの顔をよく見ると、〈CSF〉の支援兵の一人であった。
「うわあぁああぁ!」
そいつは僕ではなく、シネスタ兵たちを襲っていった。
混乱に乗じて、そのグループから抜け出す。皮肉なことに、僕のせいで化物となってしまった仲間に助けられたのである。
「すまない、ありがとう」
僕は変わり果ててしまった〝仲間の化物〟に礼を言いながら、その場を全力疾走で離れた。
しばらくして、ついにハラスの官邸『クルシュット』の前に辿り着いた。細かい彫刻によって彩られた壮麗な石造りの建物、それはもはや官邸というより、宮殿と呼ぶにふさわしい。
だが明かりは消され、暗くなっていた。しかも、周辺に諜報機関の職員も警備の者も見当たらない。建物の中に避難したのだろうか? そして、この辺にはまだ化物たちが来ていないようである。
それほど高くはない柵を乗り越え、僕は『クルシュット』に侵入した。
さすがに正面から入るのは、少しリスクが大きい。僕は建物の側面へと回り込み、入口を見つけて入ろうとする。しかし、ドアには鍵が掛かっていた。
「でも、これくらいの鍵なら開けられる」
アルフ隊長から教わったピッキングの技術で鍵を開け、ゆっくりとハンドガンを構えながら中に入った。
中は真っ暗で、暗視ゴーグルなしでは何も見えない。
『クルシュット』の内部については、事前に僕たちの部隊の中でしっかりと共有されていた。
「ハラスめ、必ず見つけ出してやる」
とは言ってみたものの、僕一人でどうにかなるのだろうか……? ハラスが警備の者たちと共に、地下のシェルターにでも逃げ込んでいたら? その可能性は極めて高い。それに映画じゃあるまいし、このハンドガンだけで、警備の者たちと共にハラスまで殺すというのは無謀すぎるのではないか?
――僕は一体何をしてるんだろう……?
ここに来て、そんなことを考え出す。でも、もうここまで来たら引き返せない。
――僕のせいで、何もかもめちゃくちゃになってしまった……アルフ隊長や、仲間たちのことも犠牲にしてしまった……もう、このまま生きていても意味がない……。
自分の命なんて、どうなってもいい。どんな手を使ってでも、ハラスの命と引き換えにさえできれば――。
そうだ、ハラスの執務室に身を潜めていよう。
僕は意を決して、ハラスの執務室へと向かった。
シネスタ軍の軍事力であれば、じきにあの化物たちを抑えられるはずだ。この事態が落ち着いて、ハラスが執務室に戻ってきたところを狙ってやる。
暗視ゴーグルを通してでも感じられる、『クルシュット』の
やがて、僕はハラスの執務室の前まで来た。念のため、ドアに耳を当ててみる。中に人の気配はない。
ドアノブに手を掛け、そっと押してみる。開いた――。
僕はゆっくりと、ハラスの執務室の中に入っていった。いかにも高価そうな机やソファといった家具に、著名な画家の絵画や鹿の頭の
――こんな所、奴の血で真っ赤に染めてやる。
まさに独裁者たる空間といった感じの部屋で、僕はそう心に誓った。
とその時――後頭部に凄まじい衝撃が走る。
あまりの衝撃に声も出せず、そのまま僕は倒れ込み、意識を失ってしまった――。
「おい、起きろ!」
どこからか、声が聞こえてくる。と思った次の瞬間、左の頬に強い衝撃が走った。
「ぶっ!」
僕は思わず呻き声を上げ、目を開けた。
「大統領、奴が目を覚ましたようです」
顔を上げると、そこにはアサルトライフルを手にした、屈強な見た目の男たちがいた。
ここは……どこだ? まるで、どこかの地下室みたいだ。
まさか――。
僕は慌てて体を動かそうとした。だが、動けない。どうやら椅子に座っているようだ。それも、手足を縛られた状態で――。
――しまった……捕まってしまったのか……。
「そうか。どれどれ、話を聞いてみるとしようじゃないか」
どこかで聞いたことのある声……。
僕の前に現れたのは――。
「ハラス……?」
一瞬目を疑ったが、間違いない。ハラスだ。
「随分と小綺麗な見た目をした兵士だな。君は――カーミアの者だな?」
そう言ってハラスは僕の前に椅子を置き、どっしりと座った。
「貴様!」
僕は無我夢中で縛られた手足をほどこうとした。すると屈強な見た目の男たちの一人が、アサルトライフルのストック部分で僕の額を殴る。
「ぐっ!」
あまりの衝撃に、また意識が飛びそうになった。
「おい! よさないか!」
ハラスが、その男に向かって叱責の声を上げる。
「しかし大統領」
「いいか。次に同じことをしたら、貴様の首をはねる。分かったな?」
「……
男はハラスの言葉を聞き、僕から離れた。
「すまない。この者たちは、シスルという私の護衛を務める、精鋭中の精鋭たちで構成された部隊だ。君なら知っているであろう、ラジュラのその上を行く者たちだよ」
――なんだって!? ラジュラの上を行くハラスの護衛部隊!? そんな奴らがいたとは……。
「得体の知れない化物たちに我が軍事基地が襲われていて、悪戦苦闘していると聞いてね。混乱に乗じて新手の敵がここに乗り込んでくるかもしれないと思い、私は一足先にここへ避難したのさ。他の職員たちは外へ避難させ、明かりを消した状態で、一部のシスルを『クルシュット』内部の見回りに置いておいたんだ。そしたら君が乗り込んできたから、捕らえてここまで来させたというワケだよ」
――なるほど、そうだったのか。クソッ! 完全に油断していた……。
「ここに来たのは、君一人なのかい?」
ハラスが訊ねてきた。
――もうおしまいだ。このまま拷問でもされて、僕は惨めに死んでいくんだろう。ホント、僕はダメな人間だ……。
よくみんなから顔が綺麗だとか、ハンサムだとか言われるけど、自分では特になんとも思っていないし、そうだとしても外見だけの話だ。中身は役立たずで、何をやっても才能がないし、体も強くない。今にして思えば、両親や兄たちに見下されるのも、当然な気がする……自分自身のことが嫌いだし、いっそ最後に言いたい放題言って、いたぶってもらって死んだ方が、せいせいするのかもしれない。
「ああ、そうだよ! あんたが指揮するクソッタレ軍隊の攻撃のせいで僕の父が死に、母が寝たきりの状態になり、兄たちは腕や脚を失ったのさ。だからカーミアの特殊部隊に入って今日、この軍事基地を化物まみれにしてから僕一人ここまで来て、あんたのその醜いツラに鉛弾を撃ち込みに来たってワケさ!」
――ああ、すっきりした。もう悔いはない。後はどうにでもなれ。
「貴様!」
先ほど僕を殴ったシスルの男が、再びアサルトライフルのストック部分で僕の額を殴る。
「ぐっ!」
またしても、凄まじい衝撃が僕を襲う。どうでもいい……好きにすればいいさ。
「お前! さっき私が言ったことを忘れたのか!?」
ハラスが、再び男に叱責する。
「ですが大統領」
「私は自分がこうする、と言ったことは必ず行う男だ。おい、こいつをここに押さえつけろ」
すると、周りのシスルたちが僕を殴った男を、ハラスと僕の椅子の間でうつ伏せに倒し、押さえつけた。
「ナイフを」
そして他のシスルの一人が、ハラスに軍用ナイフを渡す。
「大統領! どうされるおつもりですか!?」
押さえつけられた男が、もがきながら言う。
「私は言うことを聞かない奴というものに、
「しかし大統領! こいつは大統領に無礼な口を」
男がそう言った次の瞬間、ハラスは男の髪を掴んで首を起こした。そして――男の喉にナイフを突き刺すと、そのままナイフを動かし続け、ついには首まで切断してしまったのである。
「あんた何やってんだよ!」
僕は思わず声を上げた。
「すまないな。私の無能な部下の失態を、これで許して頂きたい」
ハラスが切断した首を、男の背中の上に乗せる。
冷酷で無慈悲な独裁者ハラス――その悪魔のような所業を、目の前で見せつけられた。
「さて、本題に移ろう。そういえば、君の名前を聞いてなかったな。名はなんというのかね?」
「……ミーデル」
僕はハラスの不気味な笑みに
「ミーデルか。いい名前だ。今、この軍事基地を化物まみれにしたと言ったな。どうやったのかね?」
ハラスが興味深そうに僕に訊ねてくる。
「それは……僕が手掛けた薬物を仲間に使ったら……あんな風になって……」
――ちょっと待て。何を言ってるんだ僕は。そんなこと、言っちゃダメだろ!
「ほう、薬物か。それは一体どんな薬物だね?」
「大統領、もしや、これのことではないでしょうか?」
シスルの一人が、透明感のある緑色の液体が入った注射器を、ハラスに見せる。
――しまった! いつの間に……。
気を失っている間に、奴らが僕の軍服から抜き取ったのか。
「どれ、見せてみろ」
ハラスが注射器を受け取り、【ニトロ】をまじまじと眺める。
「これは何から作られたものなのかね?」
再びハラスが僕に訊ねてきた。
――もうしゃべるものか。何をされようと、絶対に。
僕は顔を背けた。
「最近、我が軍の者たちから妙な報告を受けるんだよ。常識じゃ考えられないほどの身体能力を持った兵士たちの攻撃を受け、撤退を余儀なくされた、とね。それも、カーミアを侵攻した時にだけ起こる事態のようなんだ。我が国は今やこの世界において、圧倒的な軍事力を誇っている。世界最高の武器職人、ジェスが生み出す武器なんかがいい例さ。それにもかかわらず、そのようなことが起きている。不思議な話だよ。ひょっとしてそれも、この注射器の中身が何か関係しているのかな?」
――ああ、そうだとも。僕が関わったそいつのせいだよ。
ハラスが顔を下に向け、少しの間を置いてから、再び口を開く。
「私は幼い頃、ゴミ山の中から売れるゴミを探して拾い、それを売って生計を立てるような暮らしをしていたんだ」
――なんだって? こいつが? そんな話、初めて聞いた。
「ある日、こぢんまりとした理髪店のガラス越しから、テレビの映像が見えた。そこにはワイングラスを手にし、高級そうなスーツやドレスを着て、満面の笑みを浮かべる外国人たちの姿が映っていたんだ。おそらくカーミア人だろう。幼かった私と同い年くらいの子もいて、スーツにネクタイまでしていたんだよ。その時思ったんだ。『あの人たちに比べて、僕はなんて無様な存在なんだろう……』ってね」
――本当かどうかは知らないが、もし本当なら……それは気の毒な話ではあるな。
「その日、私は心に誓ったんだ。どんなことをしてでも、必ず這い上がってやるってね。その後私は、とあるゲリラ組織に加入し、様々なゲリラ活動に従事した。それからゲリラ仲間と左派政治団体を結成して、議員選挙で当選を果たし、
――あっそ。
「君は凄い奴だよ。この軍事基地を突破して、たった一人で私の所まで来るなんて。そんなことができる奴なんて、この世界で君だけさ」
――僕が……凄い奴……?
「大統領! 未知の敵たちが、街にまで現れ始めたようです!」
シスルの一人が、ハラスに慌ただしく報告する。
――なんだって!? 化物たちが街にまで現れ始めた!?
「ほぉ、そりゃ大変だ」
その報告を聞いて、ハラスが呟いた。なぜか動揺する様子もなく、平然としている。
「事態が落ち着くまで、ここで待機していよう。随時状況を報告しろ。それと、彼を収容室に入れておくんだ。ミーデル、君は……この世界の救世主かもしれないな」
――僕が……救世主?
わけの分からない言葉を言い残して、ハラスはこの場を去っていった。
そして僕はシスルの男たちによって、ハラスが収容室と言っていた部屋に入れられたのであった――。
どれくらいの時間が経過したのだろう……体感的にはもう一か月ほど経っている気がするのだが、具体的な時間までは分からない。いまだに僕は、収容室に監禁され続けていた。この部屋のいいところは、それなりのシャワーに、トイレもあるということぐらいだ。
――もう、生きる意味なんてないのに。
監禁されている間、これまでのダメな人生のこととか、自分で命を絶つことばかりを考えて過ごしていた。それに、〈CSF〉のみんなのことも……。
一応、一日分の食事はシスルの連中がここまで運んできていた。そんな奴らに対して、何度も「僕をもう殺してくれないか」と頼んだのだが、奴らは食事を置いて無言で立ち去っていくだけであった。
奴らが僕を生かしておく理由は何なんだ? それにハラスが言っていた「君は……この世界の救世主かもしれないな」ってどういうことなんだ?
僕にはその意味が全く分からなかった。
そんなある時、シスルの奴が二人、僕の収容室にやってきた。
「大統領が、お前と話をされたいとのことだ」
「ついてこい」
すると、僕を収容室から連れ出したのである。
――ハラスが僕と話をしたい? 【ニトロ】のことか? 悪いけど、僕は何をされようが、絶対に話さないからな。
そう心に決めた上で、僕はそいつらについていった。
連れてこられたのは、モニターが壁に複数設置されている、会議室のような所であった。
机の真ん中にハラスが座っていて、そのそばには他のシスルたちがいる。
僕はハラスの向かい側に座らされた。
「やぁ、ミーデル。久しぶりだね。気分はどうだ?」
この間会った時のように不気味な笑みを浮かべながら、ハラスが僕に尋ねる。
「気分よさそうに見えるのか? 要件はなんだ? 外の様子はどうなってる? 化物退治が終わって落ち着いたのなら、僕のこともさっさと殺して終わらせたらどうなんだ?」
長らく監禁されていたストレスのせいもあり、僕は食って掛かるようにしてハラスの質問に答えた。
「そのことについてなんだが、周りのモニターを見てみろ」
ハラスに促され、僕は壁に設置された複数のモニターの映像を見てみた。そこに映っていたのは、世界各国の主要都市の様子であった。
だが、何か様子が変だ――。
どのモニターを見てみても、街中にいるのは人間――ではなく、あの化物たちばかりである。
「これは……どういうことだ?」
僕は目を疑った。なんで世界中に、あの化物たちがいるんだ――?
「見ての通りさ。我が軍事基地から現れた、あの得体の知れない化物たちが、街にまで現れ始め、そして今や――世界中にまで辿り着いていったのだよ」
「――なんだって!? 冗談だろ!? あの化物たちは、あんたらの軍隊で始末したんじゃなかったのか!?」
「それが、できなかったんだよ。あの化物たちの力が――想像以上でね。しかも奴らは、自分たちの仲間を次々と増やしていったのさ」
「そんな……嘘だ……こんなの……ありえない……」
確かに僕が『クルシュット』へ向かっていた際、軍事基地のシネスタ兵たちは、あの化物相手に相当手を焼いている様子ではあったが……。
僕はモニターに映る、非現実的な光景を見て呆然とした。
「この映像は紛れもない事実だ。君が生み出したという化物たちが、世界中にまで広がっていったのだよ」
――僕が生み出した化物たちが……世界中にまで広がっていった……?
「ミーデル、君は――私がいまだに成し遂げられないでいることをやってのけたのさ」
――え?
「この世界は、いずれ滅びゆく運命だった。だから私は――世界を一つにまとめ上げようとした」
――世界を一つにまとめ上げようとした……?
「まずはこの国の皆を強者にして、劣等感から解き放とうと思った。幼い頃の私のように、ゴミ山の中から売れるゴミを拾って生活する者をなくしたかった。今の世界は――弱肉強食の世界さ。弱い者は虐げられるだけで、強い者だけが生き残れる。劣等感から解き放たれるためには、強者になるしかないのだよ」
――劣等感から解き放たれるためには、強者になるしかない……?
「君は、今の自分自身に満足しているかね?」
ハラスが、僕の顔を覗き込むようにして訊ねる。
――僕が今の自分自身に満足しているかだって? そんなわけないだろ。
「僕は……何をやっても才能がないし、体も強くない。失敗ばかりで、誰の役にも立っていない。今回のことだってそうだ。科学だけが僕の取り柄だったのに、大勢の人を僕のせいで巻き込んでしまった……僕は……自分自身のことが、たまらなく嫌いだ……」
僕は机に視線を落とした。
「そうなのか? 私は全くそんな風には思わんがね」
「え……?」
「君は誰にもできないようなことができるんだ。モニターに映っていることだってそうじゃないか。ここまで一人で来たこともそう。君は才能と勇気で溢れた、最高にタフな人材さ。成功に犠牲はつきものなんだよ。モニターの彼らは、これから起こるであろう成功のための犠牲にすぎない。君自身がそんな風に思っているなんて、とても悲しいことだ」
――僕が……才能と勇気で溢れた、最高にタフな人材……?
「この間も訊ねたが、君が持っていた注射器の中身、あれは何から作られたものかね?」
「あれは……もともとカーミアにしか生息していない、希少な固有種の植物から抽出した成分で作られている。あれによって……人間の身体能力や感覚を、大幅に向上させることに成功したんだ。今回はそれに、これもカーミアにしか生息していない、ある生物を発見して捕獲することに成功して、その生物から抽出したものを加えたんだ。あの薬物にさらなる効果を生み出して、僕はみんなから認められるはずだった……それが……失敗してこんなことに……」
「ほう。それは興味深い話だ」
そう言って、ハラスは机に俯いた。
「実はここシネスタでも、シネスタにしか生息していない、希少な固有種の動物から抽出した特殊細胞を使った研究が行われていたんだよ。それを使って、人間の身体能力などを向上させられないか、とね」
――なんだって? そんなことが……。
「研究は順調に進んでいたのだが……君は私たちよりも、先にその実用化に成功したんだ。そこからさらに君は、世界を一つにまとめ上げたんだ。決して失敗なんかじゃない。ほら、君はやっぱり才能に溢れているじゃないか」
「……」
――そんな風に言われると、なんだか悪い気はしない……。
「私たちが研究に使っていたその動物は、人間と変わらないほど知能が高く、身体能力も極めて高い。君が生み出したあの化物たちには知性がないようだが、どうだろう? 例えば私たちが研究に使っていた動物が持つ特殊細胞と組み合わせて、あの化物たちを制御するようなことができたりするのであれば――あるいは、君や私たちが研究していた生物たちの力を――私たち人間に取り込むことができるのであれば、新しい世界だって作り上げることができるのかもしれない」
――新しい……世界……。
「研究施設は、軍事基地から南の方にある。そこはまだ健在なようだ。私が施設や設備に力を入れていたからね。世界は終わってなんかいない。むしろ、これから始まるのさ。君と、私とで作り上げていく世界がね。一緒にここを出て、そこへ向かおう。心配するな。このシスルたちが、私と君を守ってくれる。あの化物たちを倒す方法も一応あるようだしな。新しい世界には、君が必要なんだよ」
――新しい世界には……僕が必要……?
こんなにも僕を……必要と思ってくれる人がいるなんて――。
でも、こいつは僕の家族のことを……!
「ふざけんな! お前は――僕の家族をめちゃくちゃにしたんだ!
僕は机を思いきり両手で叩いた。
「そういえば、この間そんなことを言っていたね。そのことについては……申し訳なかった。しかし、君も世界中の家族を――めちゃくちゃにしたのではないのかね? しかもそれは、君が薬物を仲間に使って、めちゃくちゃにしたのがきっかけではないのかね?」
「――!」
――確かに……その通りだ……。
「言っただろう。成功に犠牲はつきものさ。成功するためには、強者になるためには、多少の犠牲は仕方ないことなんだよ」
――多少の犠牲は仕方ない……?
「君は自分のことを忌み嫌っているが、ご家族は君に十分な敬意を払っていたのかね? 君に十分なものを与えていたと言えるのかね?」
ハラスに訊かれて、僕は改めて家族のことを考えてみた。
「――いいや、そうとは言えなかった……僕は三人兄弟の末っ子で、上の兄たちは学業やスポーツで優秀な成績を収めていたのに対して、僕は兄たちよりはるかに劣っていた。だから今にして思えば、両親は兄たちの方を大事にしていたように思う。それに兄たちから、僕はいつも見下されていた……」
「そうか……それは残念な話だ。同じだな、君と私は」
――え? 僕が、ハラスと同じ……?
「環境が悪かっただけなのさ。生まれてきたところのね。でもそれは、自分でどうこうできる話じゃない。運が悪かっただけなんだよ。誰かが勝手に決めた運のせいさ。でも、今度は違う。自分たちで、何もかも変えられるんだ。自分に劣等感を持つ必要がなくなるんだよ」
――環境が悪かっただけ……誰かが勝手に決めた運のせい……自分たちで、何もかも変えられる……自分に劣等感を持つ必要がなくなる……。
「とはいえ、君のご家族に手を掛けてしまったことに変わりはない。そこでだ、私が君の研究の実験台になろう」
「え?」
僕と同じくらい、周りのシスルたちも驚きの表情を浮かべる。
「この世界で生きていくため、そしてこの世界において――強者であるための研究を君が行っていくんだ。私をその研究の実験台にするといい。もし、その研究が失敗して私が死ぬようなことがあれば、君の
――人生をやり直すチャンス……自分に誇りを持てるチャンス……。
「信じて……いいのか……? 僕を
僕はハラスに問いかけた。
「そんなことをする暇があったら、君のことなんかとっくに殺してるさ」
ハラスが笑いながら言う。――確かに、そうかもしれない。
「さぁ、私と共に行こう。私と共に――新世界を作り上げよう」
ハラスが立ち上がり、僕に手を差し伸べる。
僕は無意識のうちに立ち上がり、その手を握っていた――。
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