第13話 心の傷
俺は廃車のワゴンに寄りかかるようにして、コンクリートの地面に座った。
ライアが口を開けたまま、俺に視線を向けている。
深呼吸をし、気持ちを整理した後、俺は重い口を開いた。
「俺にはな……息子が一人いたんだ」
「そうなの? いくつくらいの?」
「十三歳だった」
〝あの子〟の顔が頭に浮かぶ……つらい……。
「『だった』って……今、その子はどこにいるの?」
「――死んだよ……殴り殺されてな……」
「え……?」
さすがのライアも、驚きを隠せないようだ。
「息子には……俺と違って、健全な道を歩んでほしかったんだ。それも、優秀な人材として。いい大学に入って、一流企業に就職して、いいスーツを着てそこに勤める――そんな道さ。銃を手に、戦場に赴いて命のやりとりをするような、俺みたいな人生は歩んでほしくなかった」
「アルフ……」
「だから俺と妻は、優秀な進学校に入るための予備校に通わせたり、家でも息子を勉強机に縛り付けてばかりいたんだ。テストの点が悪かったり、勉強を怠けていたりした時にはもう――ひどく怒鳴りつけたりしてたさ」
思い出したくもない、自分の姿。俺に怯える〝あの子〟の表情……。
「ねぇ、どうして……一体、誰に殴り殺されたりなんかしたの?」
俯く俺に寄り添うように、ライアが膝を落とす。
「あの子は……俺と妻の教育にきっと、嫌気がさしていたんだと思う。好奇心旺盛な子だったしな。それでいつの間にか、外で悪い連中とつるむようになっていたみたいで……ある日の夜、警察から連絡があって、変わり果てた息子の無残な姿を目の当たりにしたよ。集団暴行を受け、死亡したって。俺はその事件で
「――なんてこと……」
「あの日の光景が……頭から消えることなんてない。犯人たちに裁きを下してもだ。特殊部隊の仲間たちと戯れたり、任務で悪人どもをやっつけたり、旨い食事をしたり――色々なことをして、気を紛らわそうとしたさ。でも、ダメなんだ……」
やっとの思いで――俺の心に深く刻まれた、永遠に癒すことのできない傷について話すことができた。
心の中では滝のように涙が流れている。だが、この体は涙というものが作れないのだろうか。全くその感覚がない。
「俺があの子に、もっと色んな世界を見せたり教えたりしていれば、あんな悲劇は起きなかった。今でもずっと、後悔し続けている。俺は……ろくでもない父親さ。きっとこの姿は、俺の本当の姿なんだ……俺の中に宿っている悪魔が、姿を現しただけなんだよ……〈ムスタ〉どもがフェンスに括り付けたあの死体を見た時、あの日の光景が頭に浮かんだ。俺は怒りのままに、奴らをぶっ殺していったさ」
「アルフ……」
俺とライアの間で、しばらく沈黙の時間が流れていった。
俺はもう、息をするのもやっとの状態であった。
だがライアには――これだけはなんとかして伝えておきたい。
「いいか、ライア。親っていうのは――子供を自分の思い通りにするために、縛り付けちゃダメなんだ。テストでいい点を取る方法が大事なんじゃない。この世界でどう生きていくべきかが大事なんだ。泳ぎ方は、教えるべきだ。でも泳いで、どんな道を進んでいくかを決めるのは、その子自身であるべきだ。その道を進んでいる途中で逸れるようなことがあれば、正してあげる――それが親だ。俺は自分の息子を……間違った道へ導いてしまった。だからお前には……俺みたいな過ちを犯してほしくはないんだ……」
すると――ライアの目に、光るものが浮かんだ。やがてそれはライアの頬を伝わり、コンクリートの地面へと落ちていった。
「……そうね……その通りだわ……」
「お前はよくやってるさ。でも、子供が自立しようとしているのを止めちゃダメなんだ。お前が外は危ないからって言って、ここでもセラームでも、中に閉じ込められているようなのを、マルスは嫌がっていたぞ」
「そんな……私ったら……あの子のこと、何も考えてあげてなかった……のね」
今度は俺に代わって、ライアの方が俯いた。
「中に閉じこもっているだけじゃ、いずれは生きていけなくなる。危険であっても、外の世界を見たいと言うのなら、後押ししてやらないと。そこでどう生きるべきか、マルスならきっと学んでくれるはず。そのために、俺たちはいるんだ。そうだろう?」
俯くライアを見ながら、俺はさらに訴えかける。
「そうね……あなたの言う通りだわ……私が間違っていた……」
ライアが目に溢れた涙を拭う。
「けど、あなたもあなたでしょ。せめて、私には内緒にしないで言ってちょうだいよ」
「まぁ……それは……確かに。すまなかった」
俺とライアは互いに顔を合わせ、苦笑いした。
「話してくれてありがとう、アルフ。私たちで――子供たちのために、未来を切り開いていきましょう。クワイドのいない、安全で平和な元の世界を取り戻していくの。どうか、これからも手を貸してちょうだい」
「ああ、もちろんだ」
ライアが俺の膝にそっと手をやる。俺もその手を自分の化物の手で、そっと包み込んだ。
あまりにもつらい、心をえぐられる過去の記憶――。
だが、ライアのその言葉を聞いたことで、ほんの少しだけ救われたような、そんな気がした――。
その日の夜、引っ越した時以来のパーティが行われた。会場はジュマーミの駐車場である。
「さぁ、みんな! 今日はなんと! 牛の丸焼きだ! 活きのいい黒い牛を使ったんだぜ! 心ゆくまで食べてくれや!」
料理を担当しているジイさんの、威勢のいい声が響き渡る。
「よっしゃー! 肉だ!」
「わーい! 肉! 肉!」
老若男女問わず、ラグナの住民全員が歓喜の声を上げた。肉が嫌いだとか、食べられないだとか、そんなことを言う奴なんて、よっぽどのことがない限りいないだろう。今の俺じゃあるまいし……。
丸焼き機の上でこんがりキツネ色に焼けた牛が、ぐるぐると回っている。やがて料理の担当者たちが牛をどんどん切り分けていき、それを下の網に落としてさらに火が入れられた。
ちょうどよく焼き上がったところで、皿に載せられたこんがり肉が住民たちに配られていく。こんがり肉を受け取った住民たちは、様々な調味料が置かれたテーブルの所で自分好みに味付けしてから、口にしていった。
どいつもこいつも、幸せそうな顔をしてやがる。羨ましい……。
「こんな時だけでも、人間に戻れたらいいのに……」
俺の心の中で、再び滝のように涙が流れていく。
そこに、クレスとロイスが通りかかった。
「よぉデカブツ、食わねぇのか? こんなにウマいのに」
「食わないんじゃねぇ! 食えねぇんだ!」
「そういやそうだったな、お気の毒に」
食事を一切取らない俺を見て不審がっていたみんなには、もう俺の食に関する感覚のことを打ち明けている。
「神様って残酷すぎるよな、アルフ。一番俺たちのために働いているお前が、こんなウマいもの食えないなんて」
ホント、その通りだぜロイス……。
「俺はお前のスーパーパワーが羨ましいと思うけどな。この肉よりも」
――がぁあああああ! クレスの野郎、いつかぜってぇぶっ殺してやる!
「そんじゃ、せいぜいこの雰囲気だけでも楽しみな、デカブツ」
この上ないほど指に力を込める俺を横に、クレスたちが通り過ぎていく。
それにしても、こんな時に楽しめない今の俺って……快楽物質が出るのは、戦っている時だけ。自分に価値を感じる瞬間も、戦っている時だけ。〈ムスタ〉どもと戦ってここを手に入れたから、住民たちが受け入れてくれた。――今の俺って、一体何なんだ?
生物兵器――。
俺の頭の中で真っ先に浮かんだのは、そんな言葉であった。
「アルフ!」
声をかけてきたのはマルスだ。
「なんだよ。まさかお前まで、あのウマそうな肉を食えない俺のことを冷やかしに来たんじゃないだろうな?」
「え? 違うよ。よかったら、僕たちの所に来れば? って思って……」
マルスが指差す方には、他の子供たちがいる。
「そりゃどうも。俺のことはいいから、みんなと楽しんできな」
「いいの? 来たかったら、いつでもいいからね」
マルスは俺にそう言い残し、他の子供たちの所へと駆けていった。
続いて、俺の所に現れたのはライアだ。無言のまま、俺の隣に立つ。
「マルスの奴、引っ越し祝いのパーティの時は、一人ぽつんとしてたのに」
「そうだったの……私ったら、あの時は飲んだくれてて、気付いてもいなかった。ホント、ひどい母親ね」
「ああ、まったくだ。あの時のお前ときたら、ひどいったらありゃしなかったよ」
子供たちの輪の中で談笑しているマルスを見ながら、俺は嗤って言った。
「あなたの方が、よっぽど親らしいわね」
「俺は……ただの化物さ」
住民たちの話し声や笑い声が絶え間なく聞こえてくる。まるでBGMのように。
そして、あれだけの大きさがあった牛が、途切れることのない肉のおかわりを求める列によって、見る見るうちに痩せ細っていくのが見えた。
「ねぇ、そういえば、どうしてクワイドはあなたのことを襲おうとするのかしら? 姿は人間のものじゃないのに」
怪訝そうな声で、ライアが呟く。
「言われてみれば、確かにそうだな」
俺の姿は人間のものじゃないし、クワイド同士お互いを襲ったりはしていない。クワイドの変異した部分には、俺と似たような特徴がある。クワイドは言ってみれば、俺の出来損ないみたいな存在だ。
「ホント、なんでだろうな? そりゃ奴らに同類扱いされるのはゴメンだけどよ」
「たぶん、あなたの中にまだ〝人間らしさ〟が残っているからよ。だから、狙われるんじゃないかしら?」
「そう……なのか?」
「きっとそうよ」
「あんなウマそうな肉さえも食えないのに」
「そういうことじゃなくて」
ライアが呆れるように言う。
〝人間らしさ〟……ね。こんな姿の俺に、そんなものが残されているのだろうか? それにいつか、元の人間の姿には戻れるのだろうか?
そんなことを考えているうちに、牛はもうすっかり骨だけの姿に変わり果てていた。
パーティが終わった後、俺は夜勤警備のシフトの戦士たちと共に、施設周りの警備をしていた。とは言っても、ライア以外の戦士たちは、こんがり肉の魔の手による睡魔に侵され、居眠りばかりしている。実質ジュマーミの屋上でスナイパーライフルを構えたライアと、二人きりの警備だ。
「まったく、クワイドの大群でも来ちまえばいいのに」
俺は辺りを巡回しながら、そんなしょうもないことをぼやいていた。
こんがり肉の前にひれ伏していったアホどもが目を覚ましたのは、翌朝になってからのことである。
「悪かったなアルフ。でも、おかげさまで久しぶりに気持ちよく寝られたよ」
「お疲れ様、ゴメンね。快楽物質ってやつにやられちゃってさ。でも悪いのは、あのお肉だから許してちょうだい」
そう口にしたのは、ロイスとメリアだ。
あー、もう一人ひとり全力でぶっ飛ばしてやりてぇ……。
「みんな、ちゃんと休めた?」
警備担当のアホどもが目を覚ましたところで、屋上からライアが下りてきたようだ。
「ライアもゴメンね。今日は警備の仕事、休んでいいから」
「あら、いいの? じゃあ、そうさせてもらうわね。あ、そうだ。他のみんなにも言っておくけど、今後ラグナ周辺の警備だけでなく、外へ出て他に生存者がいないか探したり、クワイドを狩ったりしていくつもりだからよろしくね。それじゃ、これから子供たちに授業するから、あとは頼んだわよ」
俺たちにそう言い残し、ライアは病院の方へと向かっていった。
「他の生存者を探したり、クワイドを狩るために外へ出るですって!?」
メリアがすっとんきょうな声を上げる。
「ああ、クワイドたちのいない、安全で平和な元の世界を取り戻していくんだ」
俺はライアと昨日誓い合った約束をなぞるように言った。
「そんなこと、ホントにできるのかしら?」
「きっと、できるはずさ。俺も協力していくからよ。ホラ! 休んでた分、ちゃんと仕事するんだお前ら!」
俺は声を上げ、ほろ酔い気分が抜けていないアホどもに活を入れた。
「分かってるよ! アルフも休んでていいから!」
ロイスが慌てて言う。
「そうかい。じゃあ、気分転換と周辺警備も兼ねて、ちょっくら出かけてくるぜ」
「はーい、ボス」
メリアの気の抜けた返事を耳にしながら、俺はラグナの外へ出た。
ざっとそこらを巡回した後、マルスと一緒に来た、綺麗な川が流れる〝とっておきの場所〟にやってきた。
「これが俺にとっての至福の時よ!」
俺はそう呟くと、これまでのうっぷんを晴らすかのように、川の中へ飛び込んだ。
「ぷはーっ! マジ最高!」
大の大人の男の化物が一人川遊びする姿は、はたから見ればさぞシュールだろう。だが、これはここまで一人で来られて、昨日のあんなウマそうな肉も食えない哀れな俺にのみ許された、特権なのである。
透き通った水に、そこを泳ぐ無数の魚たち。鮮やかな緑に、美しい鳥の鳴き声。やはりこの場所は、心のオアシスである。きっと、ここがマルスの心さえも洗っていったに違いない。
「よし、そろそろ戻るとするか」
心ゆくまで遊んでから、俺は川を出た。
ラグナまで戻ろうとしたその時、ふと昨日セラームで出会った、謎のクワイドたちのことが頭に浮かび上がった。
銃弾をかわしたり、違う動きをしながら、連係プレーで攻撃してくるクワイド――。
あいつらはホント、なんだったんだろうか? あいつらのこと、ちゃんと殺せたんだよな? まさかあの後、再生機能とかで復活してた、なんてことないよな……? あの時はマルスもいたし、詳しく調べる余裕がなかった。
どうにも謎のクワイドのことが気になる俺は、一旦セラームに寄って、あいつらが死んでいることを確かめつつ、少し調べてから、ラグナへ戻ることにした。
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