第9話
「あ、そうだ。今日の検査結果的にナルミちゃんもう退院できるわよ」
複数枚の書類を見比べながらルクスさんはそう言った。
その言葉に安心すると同時に、これからどうしようという不安に駆られる。
結局、未だにプロポーズの返事はできずにいた。
どんな答えを返すべきかも分からないまま時間だけが過ぎていた。
「まぁ、まだ無理しない方がいいからしばらくは安静が必須だけどね」
「ありがとうございます」
「1週間も寝たきりだったし、ちょっとアヴィスと散歩してきたら?積もる話もいっぱいあるでしょ」
ルクスさんは機転を利かせて提案してくれた。
確かに、ずっと病室に閉じこもっていたから外の空気が吸いたい。
「じゃあ行こうか」
アヴィスさんは先に立ち上がると、さり気なく私に手を差し出してくれた。
私たちが出会った時と同じ景色がそこにはあった。
あの時はアヴィスさんと夫の顔が重なって怖かったはずなのに、この1週間の彼の真摯な態度に絆されたのか、今は不思議と怖いとは思わなかった。
「……はい」
小さく呟いて手を重ねれば、優しく握ってくれた。
そのまま病室を出て、ゆっくりと歩き出す。
「あの、アヴィスさん」
「何?」
「どうして私なんかにここまでしてくれるんですか?」
今まで聞けなかったことを口にすれば、彼は考えるように間を開けてから芯のある声で答えてくれた。
「ナルミさんのことが好きだから」
はっきりとそう言われ、胸が高鳴った。
彼はこんなにも私を見てくれているのに、私は…
自己嫌悪に陥りかけた時、アヴィスさんが唐突に立ち止まった。
つられて立ち止まると、彼は外へと繋がる扉の前で私を振り返っていた。
握っていた手に優しく力がこもる。
「僕はあなたと幸せになりたい」
真っ直ぐに見つめてくる彼に、私は何も言えなかった。
そんな私に彼はふっと微笑み、扉を開けた。
その先には何とも形容しがたい美しい景色が広がっていた。
完璧に整えられた庭園は色とりどりの花が咲き乱れ、小鳥が楽しげに歌っている。
澄んだ水が溢れる噴水からは涼しい風が流れ込み、爽やかな香りを運んでくる。
そして、陽光を浴びてキラキラと輝く湖面。
まるで楽園のような光景に思わず目を奪われた。
「ここは僕が1番好きな場所なんです」
「綺麗…」
「……ナルミさんにも気に入っていただけたようで良かったです」
彼に手を引かれて備え付けのベンチに誘導される。
そこに並んで腰掛けると、また自然と手が繋がれた。
先程よりも強く握り返せば、アヴィスさんの手もまた同じように力を込めてくれる。
それだけで心が満たされていくのを感じた。
この人なら信じられるかもしれない。
その瞬間、私の脳裏には夫とアヴィスさんの姿が再び重なった。
だが、それは一瞬のこと。
今目の前にいるのはアヴィスさんだ。
「……アヴィスさん」
「はい」
「……私、あなたのことを信用してもいいですか?」
勇気を出して発したはずの声は小さく、さらには酷く震えていた。
それでもアヴィスさんはしっかり聞き取ってくれたようで、涙目になりながら何度も首を縦に振っている。
「勿論です。絶対に裏切らないですし、手放しません」
嬉しそうにはにかみながら言う彼が愛おしくて堪らなかった。
「では改めてプロポーズさせてください」
そう言ってベンチに座る私の前に跪くと、真剣な表情でこちらを見上げてきた。
「ナルミさん、僕と結婚してください」
「こちらこそよろしくお願いします」
即答すると、アヴィスさんはこれ以上ないくらいの笑顔を浮かべた。
それから少し躊躇った後、優しく抱きしめてくれた。
お互いの体温を感じつつ、私たちはしばらく抱き合っていた。
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