第4話


ペンが紙の上を走る音が聞こえる。

目を開ければ見知らぬ天井が目に飛び込んできた。

ゆっくり起き上がれば、ペンを動かしていた人物が振り返る。


「おはよう。気分はどう?」

「おはようございます。頭が痛むぐらいで特には…」

「痛みに『ぐらい』ってつけないの。ちょっと検査するわね」


白衣を着て眼鏡をかけた女性はコツコツと靴を鳴らしながら近づいてきた。

そして手を伸ばしてきたので反射的に身構えてしまう。


「別に取って食おうとは思ってないから安心して」

「……はい」


彼女は慣れた手つきで脈拍や血圧を測る。


「うん、異常ないわね。全く、アヴィスが血相変えて連れてきた時は本当に驚いたわよ」


そうだ。

確か話している途中に倒れてしまったのだ。

この人の話し方的に、アヴィスさんがここまで連れてきてくれたのだろうか。

それにしてもここはどこなのだろうか。

キョロキョロと視線を泳がせていると、女性がくすりと笑った。


「ここはラティウム国の城内にある医務室よ」

「ラティウム国…」

「あたしは軍医長のルクス・アーカディア。よろしく」

「私はナルミです。よろしくお願いします」

「ナルミちゃんね」


そこで区切ってルクスさんは近くにあった椅子に腰かけた。

高い位置で結ばれている薄桃色の長髪がふわりと揺れる。


「言いたくなかったら言わなくていいから質問してもいい?」


あまりにも丁寧な前置きに身構えながら小さく頷く。


「検査をする過程でこちらで服を着替えさせてもらったんだけど、その全身の傷は一体どういう経緯でできたの?」

「それは……」


ここで嘘を吐いても意味がないと思う反面、これを説明するには元居た世界のことを話す必要があった。

信じてもらえないかもしれないし、虚言だと思われるかもしれない。

どうしようか迷っていると、ルクスさんは「無理をしなくていい」と改めて念押ししてくれた。


「いえ、話します。あと、その…できれば信じてください」

「安心して。ここには色々な事情の人がいるから」


そう言って強く握っていた手の平を優しく開いてくれた。

無意識の内に緊張していたようで、手の平に爪の跡が濃く残っていた。

いつからこんなに痛覚に疎くなったのだろう。


「実は私、別の世界から来たんです」

「別の世界?」


言葉は想像より簡単に音になった。


突拍子もない告白にルクスさんは目を丸くした。

当然の反応だと思う。

いきなりこんなことを言われても信じられるはずがないだろう。


「高い建物から飛び降りて、目が覚めたらこの世界にいました」

「傷はその時の?それにしては古い傷もあったけれど」

「…この傷は夫につけられたものです」


そこまで言うと、ルクスさんは私の手を握って首を横に振った。


「ありがとう」

「え」

「よく話してくれたね。怖かったでしょ?」


その一言で、ずっと我慢していたものが決壊した。

ボロボロと涙が溢れてきて、声を押し殺して泣いた。

その間、ルクスさんは何も言わずに頭を撫でてくれていた。


「すみません、お見苦しいところをお見せしました」

「大丈夫よ。落ち着いた?」

「はい、おかげ様で」


泣き止んだ後、ルクスさんは温かいミルクを出してくれた。

それをゆっくりと飲み干すと、不思議と心が落ち着いた。

改めてお礼を伝えようと顔を上げた時、部屋にノックが響いた。


「どうぞー」


ルクスさんが返事をして数秒後に扉が開かれた。

現れた人物は昨日出会ったアヴィスさんだった。

彼は私と目が合うと、安心したように笑みを浮かべた。


「よかった、元気になって」

「アヴィスさん、ご心配おかけして申し訳ありません。それとここまで運んでくださりありがとうございました」

「ナルミさんが元気になってくれればそれで、」


アヴィスさんがこちらに近づいてきたと思ったら、私の顔を見て石のように固まった。

あれ、どうしたのだろう。


「…ルクス、ちょっと話があるんだけど」

「奇遇ね。あたしも聞きたいことあるの」


2人は笑顔なのになぜか怖い。

何かあったのだろうか。


「あの、どうかされたんですか……?」

「あぁ、何でもないよ。気にしないで」


ルクスさんが爽やかな笑みを向けてくる。

アヴィスさんも同じ表情だが、どこか良くないものを感じる。


「私たちは少しだけ席を外すから安静にしていてね。そこの棚に本があるから好きなのを読んで待っていてもらえる?」

「え」

「あ、そうそう。栄養が足りていないようだったから軽食を用意したの。無理のない範囲で食べてね」


そう言ってサンドイッチを渡された。

わざわざ用意してくれたようだ。


「あ、ありがとうございます…」

「じゃあお大事に」

「すぐ戻ってきますので」

「はい」


部屋を出る2人を見送り、ベッドに座り直す。

そして貰ったばかりのサンドイッチに手を伸ばした。

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