第2話
それから私たちはお互いのことを少しずつ話し合った。
彼は自分のことを『水の魔法使い』だと言った。
両手をクルクルと回せば、そこから小さな水滴が現れ宙に舞う。
それが太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。
「綺麗…」
思わず感嘆の声をあげる。
その様子を見て彼はまた笑っていた。
「あなたはここで何をしていたのですか?」
彼は私の様子に気遣いながら聞いてくる。
その質問に少し考えてから答えた。
「えっと…ここかどこか分からなくて、気づいたらここに居ました」
「記憶がないということですか?」
「記憶はしっかりあります。…でも、こんな場所知らなくて」
「なるほど…もしかしたら、あなたがいた場所はここから見た異世界かもしれませんね」
アヴィスさんは心当たりがあったのか、すぐにそう結論を出した。
しかし、私は異世界なんてファンタジー小説でしか見たことがないから何とも言えない。
でも確かに、この状況は異世界という言葉がふさわしかった。
「多分…曖昧ですみません」
「大丈夫ですよ。では、元の世界に帰る方法を探しましょうか?」
アヴィスさんの言葉に全力で首を横に振る。
奇跡に救われてやっと逃げ出せたのだ。
あんな地獄になんて戻りたくない。
「…私、マンションから飛び降りたみたいなんです」
「まんしょん?」
「とても高い建物…?のことです」
「そこから飛び降りたんですか!?」
「はい。…で、気づいたらここにいました」
そう言い終わると同時に彼は心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「どこか痛いところはありませんか?気分が悪いとか」
「いえ、特にはないですね。寧ろ気絶していたからか、睡眠がとれて少しスッキリしています」
「眠れないほど過酷な生活をしていたんですか」
「まぁ……」
「大変でしたね」
それきり静かになってしまった。
それでも、その空間が心地よかった。
気づけば辺りがオレンジ色に染まっていた。
アヴィスさんも夜の気配も感じたようで、よいしょと言いながら立ち上がった。
「そろそろ暗くなりますね。この後はどうされますか?」
そういえばこの世界に来てしまったはいいものの、これからどうすればいいのだろうか。
行く宛もない私は途方に暮れるしかなかった。
「…あの、よければ僕の家に来ませんか?」
その言葉に一気に血の気が引くのを感じる。
思い出すのは…そう、私の初恋だった人。
恨んでも恨んでも恨み切れなかった薄情な先輩。
目の前にいるのはこんなにも優しい人なのに、トラウマが彼の手を取ることを阻んだ。
また私が騙されているだけなのか。
「……怖いですか?」
彼の問いに答えることができなかった。
そんな私を見て、彼は悲しげな表情を浮かべる。
「そうですよね。ならせめて、あなたが安全に一夜を過ごすことができるお手伝いをさせてください」
彼は私の反応を気にする様子もなく、両手を地面に向けた。
すると足元に淡い水色をした魔方陣が現れる。
「これは僕の魔力で作った結界です。これなら誰も入ってこられません」
「でも……」
「これから夜になるというのに女性を一人で置いていくわけにはいきませんよ。あとは…」
地面に向けていた手を上に振り上げる。
するとそれに応えるように水が溢れて何かの形を成していく。
「ちょっと離れておいてください」
アヴィスさんの言葉で数歩後ろに下がる。
やがて完成したそれは、美しい氷の家だった。
「凄い…」
「これなら安全でしょう。自由に使ってください」
「本当にいいんですか?」
「勿論です。僕もそろそろ家に帰りますね」
アヴィスさんは私が氷の家に入るのを見届けてから姿を消した。
私は恐る恐る家の中に足を入れる。
氷でできているから寒さを覚悟したが、意外にも暖かさが体全体を包んだ。
「…暖かい」
自然と頬が緩んだ。
どうやって作ったのか分からないが、部屋の中には家具のような物まである。
ベッドにソファー、テーブルや椅子まで。
どれも氷とは思えない出来栄えだ。
まるで夢みたい。
ベッドにゆっくり寝転ぶと、硬すぎず柔ら過ぎない不思議な感覚に包まれる。
「アヴィスさん……か」
彼との出会いは決して偶然ではない。
きっとこれこそ運命なのだ。
未だにこんなことを思っている自分に呆れてしまう。
過去の経験で心は十分すぎるほど傷ついている。
それでもまだ人肌を求めてしまうのは、まだ愛され足りないのか。
「明日も会えるのかな」
そう呟いて目を閉じた。
明日に期待して眠るなんていつぶりのことだろうか。
もう思い出せないほど昔のことだった。
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