第9話 服従

 俺がこの1週間を腐らずにやり切れたのは、ひとえにランニングという習慣のおかげだろう。


 どんなに嫌なことがあってメンタルが落ちていても、体に染みついた習慣が引っ張ってくれた。


 体を動かすことで、少しばかりメンタルも上向きになったし。


 とはいえ、やはりこの1週間を終えて、俺は何だか疲れていた。


 この週末は、家でゆっくりしていようか。


 そう思っていたのだけど……


 ピンポーン、とインターホンが鳴る。


 そう言えば、出掛ける時に母さんが、悠奈さんが家政婦をやりに来るからと言っていた。


 正直、今はあまり、悠奈さんの顔を見たくない。


 どうしたって、あの男の顔がチラついてしまうから。


 けれども、無視をする訳にも行かず、俺は玄関ドアを開く。


「ああ、悠奈さん。家政婦のお仕事、お疲れさまです……」


 俺の言葉は途切れた。


 なぜなら、目の前にメイドさんがいたから。


 えっ、メイド? しかも、悠奈さん?


 メイドの悠奈さん?


 メイド・イン・悠奈さん?


 いや、意味が分からん。


 とにかく、メイド服姿の悠奈さんがそこにいた。


「ど、どうしたんですか……その格好?」


 俺が驚きながら尋ねると、悠奈さんはすごく恥ずかしそうにしながら、


「……い、いっくんに喜んでもらいたくて」


 と言ってくれた。


 俺は数秒ほど、意識を失っていたかもしれない。


 あまりにも、可愛すぎて。


「……ありがとうございます」


「どういたしまして……あの、恥ずかしいから、お家の中に入れて?」


「あ、はい」


 メイド・イン・我が家。


 いや、やっぱり意味不明だ。


 とにかく、メイドの悠奈さんが、我が家に降臨なさった。


「じゃあ、悠奈さん。掃除とか、いつもみたいにしてくれる感じですかね?」


「……ねぇ、いっくん……いえ、ご主人さま」


「ふぁっ!?」


「今は私のことを……悠奈って、呼び捨てにしてください」


「……えっ?」


「だって、私は……あなたのメイドですから」


「…………」


「ご、ごめんなさい、いきなり……気持ち悪いわよね」


「……悠奈」


「は、はい」


「……で、では、掃除よろしく」


「か、かしこまりました」


 お互いにぎこちなく、言い合う。


 俺は悠奈さんの掃除の邪魔にならないように、ダイニングの方へと移動し、椅子に座ってメイドの悠奈さんを眺める。


「よいしょ、よいしょ」


 ……これは、ヤバいな。


 ただでさえ可愛い悠奈さんが、より可愛くなっている。


 メイド服なんて、ベタというか、古典というか。


 けど、やっぱり、最強だよな。


 何よりも、さっき『ご主人さま』って呼ばれた時、何とも言えない快感が……


 って、ダメダメ。


 ヤバい世界の扉が開いちゃうから。


 でも、また呼んで見て欲しいな。


「……は、悠奈」


「は、はい。ご、ご主人さま……どうされましたか?」


「いや……ちょっと呼んでみただけ……です」


「もう……お戯れはおやめください」


 ……何だ、この貴族の遊びは!?


 金持ちはいつも、こんな遊びをしているのか?


 それはもう、精神バグっても仕方がないよなぁ!?


「あー、何か肩が凝って来たなぁ~」


「えっ?」


「ああ、ひとりごとだから、気にしないで」


「……もう」


 悠奈さんは少しプクッと頬を膨らませて、掃除道具を置いてから俺の方にやって来た。


「ワガママなご主人さまですね」


「いや、面目ない」


「お若いのに、もう肩こりですか?」


「まあ、この1週間、ストレスがひどかったから」


「そう、ですか……」


 一瞬、気まずい沈黙が訪れた。


 やばい、ちょっと嫌味な感じだったかな……


「……では、お詫びとしまして、私が精一杯、ご奉仕させていただきます」


「精一杯……ご奉仕……」


 復唱して、思わず息を呑む。


 いやいや、そんなすぐにエロ方面に結び付けるな。


「これくらいの力加減でいかがでしょうか?」


「あぁ、良いですね……じゃなくて、良いぞ、悠奈」


「うふ、嬉しいです、ご主人さま」


 もみっ、もみっ。


 悠奈さんの柔らかな手が、硬くなった俺の肩を揉みほぐしてくれる。


 これ、正規料金を払うとするなら、いくらになるんだろうか?


 というか、母さんの戯れで、むしろ事前に大金を渡されている可能性まである。


 ま、まあ、悠奈さんは、そんなお金に目がくらむような女性ひとではないから。


 いや、でも、この前、英人さんと、美帆の将来がどうのこうのって言っていたし……


 って、またあの男の顔を思い出してしまう。


「ご主人さま、暗い顔をなさっていますね」


「あ、いや……悠奈……は。未練があったり……するのかな?」


「未練?」


「その……別れた旦那さんに対して……」


 我ながら、最低の質問だと思う。


 けれども、聞かずにはいられなかった。


「……ありません」


「いや、でも……超イケメンだし……俺なんかよりも……」


 直後、一瞬だけ、息が止められた。


 そして、柔らかい感覚に気が付く。


 悠奈さんに、キスをされた。


「……悪いお口は塞いじゃいますよ?」


「は、悠奈……さん」


「呼び捨てにしてください、ご主人さま」


「……悠奈」


「今日、私がメイドになった理由、分かりますか?」


「えっと、俺に喜んでもらうため……だよね?」


「ええ。でも、それ以上に……ちゃんと、示したくて」


「示す……何を?」


「私は……あなただけのモノで……あなただけに服従します」


「ふ、服従って……」


「ご主人さま、どうか命じてください。いま、あなたが私にして欲しいことを」


 ゴクリ、と唾を飲み込む。


「……もっと、気持ち良くして欲しい」


「……かしこまりました」


 再び、悠奈さんに口を塞がれた。







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