第7話 ひととき

 午前の体たらくが嘘のように、午後はピシッと背筋が伸びていた。


 授業の内容もバンバンと頭に入って来る。


 そして、待ちに待った、放課後のチャイムが鳴った。


「さてと……」


「ねぇ、柴田しばたくん」


「んっ?」


「良ければ、これから一緒にカラオケに行かない?」


「ああ……ごめん、今日これから、ちょっと大事な用事があって」


「もしかして……彼女とか?」


「いや……まあ、ちょっと」


「だよね、柴田くんカッコイイから、彼女くらいいるよね」


「そんなことは……」


「ごめんね。じゃあ、また」


「ああ、うん」


 誘って来た女子は手を振って俺の下を離れてから、他の女子たちに囲まれて、ヨシヨシとされていた。


 何だか、すごい罪悪感だ。


 でも、仕方がない。


 だって、俺にはもう、大切な人がいるから。


 誰よりも、何よりも。


 俺は決然として教室を後にする。


 荷物があるけど、帰り道のアスファルトを駆けていた。


 また、汗だくになって帰宅した。


 ピンポーン、と。


 すると、すぐに玄関ドアが開く。


「いっくん、お帰りなさい」


悠奈はるなさん、ただいま……あっ」


「どうしたの?」


「いや、家に荷物を置いて来るのを忘れて……しかも、汗だくだし」


「本当ね……そんなに急いで来てくれたの?」


「はい。早く、悠奈さんに会いたくて」


「いっくん……」


 玄関先で見つめ合う。


 うっかりすると、そのまま唇を重ねてしまいそうなくらいに……


「……ど、どうぞ、入って」


「お、お邪魔します」


 お互いにぎこちなくなりながら言う。


 俺は白井家にお邪魔した。


「そうだ、いっくん。良ければ、シャワーをどうぞ」


「えっ、良いんですか?」


「もちろんよ」


「あ、でも、着替えがないですけど……」


「大丈夫、ちゃんと用意してあるから」


「マジですか?」


「うん。余計なお世話だった?」


「と、とんでもない……最高に嬉しいです」


「うふふ……シャワー、どうぞ」


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」


 俺は微笑み悠奈さんにこそばゆさを覚えつつ、脱衣所に向かう。


 白井家のお風呂に入るのは初めてじゃないけど、何だか緊張してしまう。


 幼い頃ならともかく、もう良い歳した高校男子の分際で……


 いつも、悠奈さんが入っている、浴室へと、足を踏み入れた。


「……ほう」


 自分でも意味不明な吐息がこぼれる。


 やばい、マジで変質者のそれになる、ダサい。


 色々な意味で申し訳なくなるから、ちゃんと自重する。


 とりあえず、シャワーを浴びて、汗と共に邪念を洗い流す。


 浴室から出る頃には、心身共にサッパリとしていた。


「シャワー、いただきました」


「気持ち良かった?」


 キッチンに立つ悠奈さんは笑顔で言ってくれる。


「はい、とても」


 やがい、汗と邪念を洗い流したばかりなのに、悠奈さんとの何気ない会話で、いちいち俺のムスコが反応してしまいそうになる。


 それは、俺が悠奈さんを愛しているからなのか。


 それとも、悠奈さんが、女として魅力的過ぎるからなのか。


 きっと、両方だろう。


 申し訳ないけど、決して同級生には出せない色香。


 これが、熟女の魅力ってやつなのだろうか。


「今日はお鍋よ。って、マンネリかしらね?」


「そんなことないです。悠奈さんのお鍋、好きです」


「もう、いっくんってば」


「俺も手伝いましょうか?」


「ううん、平気。いっくんは、くつろいでいて」


「でも、悪いですよ」


「……だって、いっくんがそばにいたら、集中できないから」


「へっ?」


「お料理に……ねっ?」


「あっ……はい」


 お互いにまた目のやり場に困って、視線を逸らす。


 俺は気が抜けたように、ソファーに身を沈めた。


 借物のTシャツ、でもすごくフィットしていて、リラックスできる。


 こんな所にまで、悠奈さんの母性が宿っているのか。


 やばい、いっぱしの男になりたいのに、悠奈さんのそばにいると……


 マジで、童心に返って、ダメな男になりそうだ。


 でも、この居心地のよさから、抜け出したいと思えない。


 何とも言えない、ジレンマだ。


 そうこうしている内に、夕暮れ時。


「はい、完成よ」


「わあ、ありがとうございます。あれ、そっちの小さな鍋は?」


「いっくんのご両親の分。悪いけど、後で持って帰ってちょうだい」


「何から何まで、すみません」


「良いのよ。さあ、冷めない内に、いただきましょう」


「はい」


 2人そろって、食卓につく。


「「いただきます」」


 きちんと両手を合わせて。


「初めは私がよそってあげる」


「すみません」


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」


 ほわほわ、と湯気が立つ。


 まるで、今の俺の心持ちと同じ。


「あ、鶏肉だ」


「ええ。その方が、ヘルシーだから。ほら、最近のいっくん、トレーニングをがんばっているでしょ?」


「俺のため、ですか?」


「うん……また、余計なお世話だった?」


「いえ、最高すぎて、涙が出そうです。


「もう、いっくんってば」


「では、いただきます」


 悠奈さんの愛情がたっぷり込められたソレを、パクッと。


「……美味い。ダシがちゃんと染みています」


「良かったわ」


「今日、本当にお腹が空いているから……いっぱい食べちゃうかもです」


「どうぞ、遠慮しないで」


「はい」


 ああ、最高だ。


 大好きな悠奈さんと、2人きり。


 何よりも、幸せなひと時だ。


 こんな時間が、ずっと続けば良いのに……


「――ただいま~!」


 その時、響いた声に、ビクッとしてしまう。


「えっ? 美帆、もう帰って来たの?」


 悠奈さんも、驚いた様子だ。


「ママ、ただいま~。おっ、鍋じゃん」


「美帆、今日は帰りが遅くなるはずじゃ……」


「うん、そのつもりだったけどね~……あっ、お客さん連れて来たけど、上がってもらって良い?」


「お友達?」


「ううん、男」


「……彼氏さん?」


「ううん、パパ」


「パパ……? 美帆、あなた、まさか……」


「ああ、もしかして、一平と同じ勘違いしている? ウケるんだけど」


「ど、どういうこと?」


 まさか……


「――へぇ~、ここがお前たちの家かぁ」


 聞き覚えのある声がして、背筋がゾクリとする。


 一方で、その声の主は、軽やかな笑顔で現れた。


「よう、悠奈。久しぶりだな」


「……英人ひでと……さん?」


 決して、出会って欲しくない2人が、対面した。







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