第3部

第1話 ハイスペ

 今朝の目覚めはとてもスッキリしていた。


 起きた途端から、体中にエネルギーが満ちているのを感じる。


 朝5時、俺は部屋を出て、階段を下りる。


「あ、父さん」


「んっ、一平? 今朝は随分と早いな」


「父さんこそ、相変わらず……」


 と言いかけて、俺は口をつぐむ。


 メガネの奥に、クマが出来ている父を見て、色々とお察しした。


 ブラックとは言わないけど、けどハードワークな会社にコキ使われて。


 ようやく家に帰ったと思ったら、我が家の性欲モンスターに食われて。


 というか、2人は同じ会社に所属しているはずなのに、だいぶ生活が違うよな。


 母さんは6時ころに目覚めてから、ずっと優雅に朝を過ごして、そのまま出勤して、また優雅に遊んで帰って来て、家でも優雅に過ごして、仕上げに社畜ムーブで疲れ切った父さんをパクリと食べる。


 以前、母さんに、「父さんの仕事がもっとラクになるように手伝ってあげないの?」


 と、問いかけたことがある。


 そしたら、「あたしはどうしようもない、くたびれた社畜の雄二ゆうじくんが好きなの♡」


 と、ドS発言をかます。


 ちなみに、父さんにその発言も含めて、母さんと会社について聞いてみると、


「仕事は辛いけど、彩乃あやのさんがいれば、僕は生きていける」


 と、涙ぐましいことを言っていた。


 まあ、決して洗脳されているとかはないと思う。


 父さんも母さんも、お互いに愛し合っているのは、そばで見ていてよく分かるから。


 そして、俺も……


「ちょっと、走って来るよ」


「朝から精が出るな、気を付けて」


「父さんも」


 俺がランニングをしている間に、父さんは会社に行くだろう。


 一足先に、外に出た。


 快晴だ。


 青空にクッキリと浮かぶ太陽が、俺のことを見守ってくれている。


「あら、いっくん」


 その声に、振り向く。


 そこには、俺の愛しい人がいた。


悠奈はるなさん……おはようございます」


「うん、おはよう。いま、ゴミ出しをして来たの」


「ああ、そうですか。俺はこれから、ランニングです」


「まあ、健康的で良いわね。私も、一緒に走ろうかしら?」


「えっ、本当ですか?」


「うん、最近ちょっと、太っちゃったし……」


「そんな、全然ですよ。むしろ、その方が……」


「もう、いっくんのエッチ」


「ご、ごめんなさい」


「……じゃあ、今度また、一緒に走っても良い?」


「も、もちろんです」


「うふふ、いってらっしゃい」


 微笑む悠奈さんに見送られて、俺はアスファルトを蹴った。


 清々しい朝の空気を吸い込みながら、走って行く。


 朝の6時前、ちらほらと人影はあれど、やはりまばら。


 あまり人がいないこの空間が、心地良い。


 別に人混みが苦手なタイプじゃないけど。


 たまには、1人の時間を過ごしたいと思うし。


「よっ」


 いつの間にか、そばに誰かいた。


 その人物は、俺と同じように走っていた。


「……って、美帆みほ!?」


「なにそんな驚いてんの、ウケる」


「いや、それはもう……」


 色々な意味で驚く。


 いきなり声をかけられたこともそうだけど。


 このキング・オブ、ワガママ女が、早朝ランニングとか……似合わなすぎだろ。


 陽キャのギャルだし。


「あたしだって、努力してんだよ?」


「そうなのか?」


「元からスレンダーちゃんだけど、より体を引き締めるために、さ」


「へぇ~。もしかして、モデルとか目指しているのか?」


「それもアリだね。ぶっちゃけ、何度かスカウトされたことあるし」


「マジで? さすが、だな。ホント、お前は昔から、見た目は良かったからな~」


「じゃあ、性格はどうなの?」


「いや、それはまあ……モデルの世界ってちょっと怖そうだから、お前くらい強気な方が、良いと思うぞ」


「とか言って、一平はママみたいな女が好きなんでしょ?」


「えっ?」


「豊満で、優しい……あたしと真逆の女」


 思わず、ゴクリと息を呑む。


 美帆の顔が、ちょっと怖い……気がした。


 まあ大概、怒ると怖い女だけど。


 でも最近のこいつ、より一層怖いというか……ナイフみたいに鋭い。


「その……美帆も優しいじゃんか。この前、俺が途中で帰ったこと、許してくれたし……」


「許してないよ」


「へっ?」


「近い内に必ず、埋め合わせしてもらうから」


「な、何かメシでもおごれば良いか?」


「う~ん、それも悪くないけど……」


 美帆は悩む素振りを見せてから、


「……1個だけ、あたしの言うこと、何でも聞いてくれる?」


「な、何でもって?」


「何でもは、何でも。例えば、あたしが死ねって言ったら、死んでね♪」


「絶対に嫌だよ、そんな契約!」


「安心して、死ぬ時は、一緒だよ?」


「ぜんぜん安心も信用もできないから」


「大丈夫だよ、あたし、死ぬのには慣れているから」


「はぁ?」


「死ぬほどつらい思い、あんたはしたことある?」


 またしても、美帆がナイフみたいに鋭く、凍てつくような表情を俺に向けた。


 思わず、ゾクゾクしてしまう。


 たぶん、悪い意味で」


「……お前みたいな生粋の陽キャでも、そんな思いすることあるのか?」


「そりゃあ、あるよ。人間だもの」


「そっか……まあ、俺で力になれるなら、いつでも言ってくれ」


「ふ~ん? じゃあ、あたしのモノになってよ」


「……えっ?」


「あたし、あんたが他の女のモノになっているの想像したら、何かすごくイラついちゃったからさ~」


 美帆はおどけながら言うけど、その目は笑っているようで……笑っていない。


「……美帆、そのことだけど……俺は……好きな女性ひとがいるんだ」


「……うん、知っている」


 頷く美帆を俺はハッと見た。


「何となく、分かっていたよ」


「美帆、俺は……」


「大丈夫、気にしないで」


 美帆はクスっと微笑む。


「ほら、こうしてあたし、前向きに行動しているでしょ? どこぞのホルスタインが相手だろうと、負けないから」


「えっ、ホルスタ……」


「じゃあ、お先ぃ~」


 美帆はシレッとした顔で加速する。


 その背中を追いかけようとするけど、追い付けなかった。


 鍛えてから体力には自信があったけど、やっぱりあいつは……


「……ハイスペだな」


 見た目はもちろん、運動神経も良いし。


 勉強だって、何だかんだ、そこそこ点数を取っているし。


 性格だって、ワガママ放題だけど、根は悪いやつじゃないし。


 そんな幼なじみに、恋をしていたのは事実。


 でも、遅かれ早かれ、俺は気付いていたんだと思う。


 ずっと先を行く彼女よりも、そばにいてくれるあの女性ひとのことが好きだって。


 やっぱり、俺は悠奈はるなさんを愛している。


 今度、2人でゆっくりと、走ろう。


 今日みたいに、少し無理めなハイペースで走るのも悪くないけど。


 そうすると、大切なモノを見落としてしまうかもしれないから。


 ずっと先を行く、小さくなった美帆の背中を見て、俺はどこか不安な気持ちになっていた。







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