◆とあるカップルのおわり

 はぁ、まだお口の中に残るいっくんの香り。


 ずっと浸っていたい女としてのさが


 それと同時に、美帆の母としての立場。


 その間で、私は密かに激しく揺れ動いていた。


「それにしても、美帆は幸せ者ですねぇ~」


 と、笑顔で言うのは、娘の彼氏の野中くんだ。


「えっ?」


「だって、優しい幼なじみと、優しくておまけに美人のママさんがいて」


「ふふ、どうもありがとう」


 世間一般からしたら、野中くんみたいにイケメンな子が女子に人気なのだろう。


 けど、私個人としては……いっくんみたいに、純粋な子が好き。


 というか、いっくんが好き。大好き。


 いけない、私ってば、娘の彼氏くんが目の前にいるのに。


 もうまた、いっくんが欲しくなっている。


「そうだ、ママさん。折り入って、1つ相談があるんです」


 失礼ながら、普段はチャラけた雰囲気の彼がマジメな顔をするものだから、私は戸惑ってしまう。


「ど、どうしたの? そんな風に改まっちゃって」


「実はオレ……いや、やっぱりこんなこと、ママさんに相談しちゃ迷惑かなぁ~?」


「良いのよ、遠慮しないで。あの、美帆のことかしら?」


「ええ、そうです。実はオレ……あいつと別れようと思っていて」


「えっ……?」


 思わぬ相談に、私は指先から力が抜けて行くようだった。


「ど、どうしてまた? もしかして、他に好きな子が出来たの?」


 まあ、野中くんはモテるだろうから、美帆以外にも……


「いや、オレというより……美帆ですよ」


「……どういうことかしら?」


「美帆に他に好きな人ができた……というか、いるんですよ、ずっと」


「そ、そうなの?」


 なぜだろう? 急に心拍数が上がって来た。


「ちなみに、ママさんもよく知っているやつですよ」


「だ、誰なの……?」


「柴田です」


 口から心臓が飛び出しそうになった。


 私はグッと、飲み込む。


「い、いっくん……なの?」


「はい。昔からずっと、好きだったみたいですよ? まあ、オレも何となく気付いてはいたけど……結局、あいつのハートをモノにすることは出来ませんでした」


 野中くんは肩をすくめて言う。


「まあ、まだ決定事項ではないですけど……美帆の体調が落ち着いたら、ゆっくりと話をしてみます」


「そう……なの」


「でも、残念だなぁ。美帆と別れたら、ママさんや柴田に会いづらくなっちゃうなぁ。4人で海に行ってホテルに泊まったの、良い思い出ですよね」


「ええ、そうね……まあ、でも別れる理由が美帆のためを思ってのことなら、あの子もそんな毛嫌いすることはないだろうから……また、いつでも遊びに来てちょうだい」


「えっ、良いんですか? やっぱり、ママさんは優しいなぁ」


 と、野中くんは笑って言う。


 私も笑顔だけど……目の前の景色が、だんだんと遠のいて行くようだった。


 ガチャリ、とドアが開く。


「おっ、柴田」


 野中くんはソファーに座ったまま、何気なく言う。


「あら、いっくん」


 私も反射的に、微笑んでいた。


「美帆、喜んでいたか?」


「えっ? ああ、まあ……」


「どうした? 浮かない顔してさ」


「な、何でもないよ」


 何やら、いっくんの様子が……


 えっ、もしかして、美帆と何かあったんじゃ……


 私は胸がズキリと痛む。


 同時に、子宮がキュンと締め付けられるようだった。


「あっそ……じゃあ、オレはそろそろ帰るわ」


 野中くんは立ち上がる。


「じゃあ、ママさん、ごちそうさまでした」


「ええ、気を付けてね」


「柴田も、じゃあな」


「お、おう」


 ニコッと、あくまでもさわやかに去って行く野中くん。


 パタン、とドアが閉じると、私といっくんの2人きりになった。


「……大丈夫でしたか?」


「えっ、何が?」


「いや、野中と2人きりで……」


 いっくん、少し声が震えている……


 もしかして、私のことを心配してくれたの?


 どうしよう、そう考えたらなおのこと、子宮が疼いて。


 あなたのこと、欲しくなっちゃう……


 ――美帆、ずっと柴田のことが好きだったんですよ


「平気よ。野中くんから、美帆のこと色々と聞かせてもらったの」


「あっ、そうっすか……」


「それよりも、いっくん。今晩、夕飯はどうする?」


「えっと……今日のところは、遠慮しておきます。美帆の体調が良くなったら、またお邪魔します」


「分かったわ」


 私は微笑んだまま、頷く。


 きっと、ハリボテの微笑みだけど。


 でも、いっくんは、恐らく気付いていない。


 ああ、いっくん……気付かなくて良い。


 けど、気付いて欲しい……




      ◆




 彼にメッセを送る時は、いつもドキドキしながらも、同時にワクワクしていた。


 けど、今回ばかりは……




『いっくん、私たち……別れましょう』




 涙が、こぼれてしまう。







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