第10話 微笑み

「今から、あたしと……エッチしない?」


 この幼なじみが、奔放で、ワガママで、突拍子もないことを言うのはよく分かっていた。


 けど、今回ばかりは、ちょっと理解が追い付かない。


「……ごめん、聞き間違いかな? いま、何かあり得ないことを言われたような気がして」


「じゃあ、もう1回だけ、ハッキリ言ってあげる」


 美帆はスッと、ベッド脇に佇む俺に顔を寄せた。


「一平、あたしとエッチしよ?」


 黙っていればS級美少女、それがこいつに対する俺の素直な評価だ。


 いや、評価だなんて、偉そうな言い方だけど。


 事実、野中みたいなイケてる1軍陽キャ男子を射止めている訳だし。


 その魅力は伊達じゃない。


 実際、今こうして目の前にして、俺の心拍数は急上昇していた。


「……何か言いなさいよ」


 信じられない。


 いつも、俺のことを小バカにしてばかりの、この女が。


 初めて、俺の目の前で、女の顔をしている……ように見えた。


 頬が赤く染まっているし……


「……あっ、これってもしかして、何かのドッキリ?」


 気まずい沈黙を打ち破るために、ひねり出した回答がそれだった。


「ドッキリ……ね」


「あ、あれ、違うの……か?」


 おかしい、もう夏は終わっているはずなのに。


 ジワリ、ジワリ、と汗が噴き出して来る。


 美帆のパッチリ大きな瞳が、俺のことを捉えて離さない。


「だとしたら、どうなの?」


「ど、どうって……」


 思わずゴクリ、と息を呑む。


「お、お前には、野中っていう彼氏がいるだろうが……」


 俺は言葉尻がしぼんでしまう。


 そうだ、いくら高校生とはいえ、浮気はいけないこと。


 だから、幼なじみとして、注意してやらなくちゃいけないのに。


 やはり、普段からの上下関係が影響しているのか……


「……ほら、秀太くんって、イケメンでモテるでしょ?」


「ま、まあ、だろうな」


「だから、あたし以外にも女の影がチラついていてさぁ……」


「あぁ……」


 浮気(?)していたのは、野中の方か。


 まあ、意外でも何でもないけど。


 ただ、我が幼なじみが傷付けられたとあっては、ちょっと黙っておけないな。


「何なら、俺からちょっと文句を言ってやろうか?」


「いいよ、あんたじゃ頼りになんないし」


「うぐっ……」


「……ぷっ」


「はっ?」


「やっぱ、あんたのマヌケ面を見ていると……何だかホッとするわ」


 バカにされたから、怒らないといけないのに。


 美帆が今まで見たことないくらい、優しい顔をしていたから。


「……うるさい」


 と、弱く抵抗することしか出来ない。


「てか、今の話、マジに思っている?」


「いや、その……冗談……だよな?」


「ううん、本気だよ」


「えっ……」


「ぶふっ」


「おい」


「ハァ~、ごめん、ごめん。最近、秀太くんとエッチしてないから、ちょっと溜まっちゃってさ」


「知らないけど……じゃあ、さっきは本当に何もしてなかったんだ」


「えっ?」


「いや、何でも……」


「てか、いまってママと秀太くんが2人きり?」


「へっ? ああ、まあ……」


 言われて、俺は何だか胸の奥底が疼く。


 まさか、いやいや、そんな……


「ママ、あんなに美人でスタイル抜群なのに、ずっと独り身だからさぁ……アラフォー女の性欲ってすごいって言うし……」


「お、お前、自分の母親に対して、何てことを言うんだよ……」


「あれ、一平? もしかして、動揺しているの?」


「そ、そんなことは……」


 と言いつつ、俺は立ち上がる。


「ちょっと、下に行くわ。お前はどうする?」


「あたしは……もう少し、休んでおく」


「分かった」


 いつもより、多少はしおらしい幼なじみのことが気になりつつも、俺は部屋を出た。


 階段を下り、リビングドアの前に立つ。


 意を決して、ガチャリと開いた。


「おっ、柴田」


 ソファーに座っていた野中が振り向く。


「あら、いっくん」


 悠奈さんも、微笑みながら。


「美帆、喜んでいたか?」


「えっ? ああ、まあ……」


「どうした? 浮かない顔してさ」


「な、何でもないよ」


「あっそ……じゃあ、オレはそろそろ帰るわ」


 野中は立ち上がる。


「じゃあ、ママさん、ごちそうさまでした」


「ええ、気を付けてね」


「柴田も、じゃあな」


「お、おう」


 ニカッとさわやかに笑う野中に、どこか引っかかりを覚えつつも、俺は見送るしかなかった。


 パタン、とドアが閉じると、悠奈さんと2人きりになった。


「……大丈夫でしたか?」


「えっ、何が?」


「いや、野中と2人きりで……」


 と、俺が半ば震える声で問いかけると、


「平気よ。野中くんから、美帆のこと色々と聞かせてもらったの」


「あっ、そうっすか……」


「それよりも、いっくん。今晩、夕飯はどうする?」


「えっと……今日のところは、遠慮しておきます。美帆の体調が良くなったら、またお邪魔します」


「分かったわ」


 悠奈さんは微笑んだまま、頷く。


 どうやら、本当に何もなかったようだ。


 悠奈さんは大人の女性だけど、マジメというか、純粋な人だから。


 野中に嫌らしく迫られていたら、こんな風にニコニコ出来ないだろうし。


 でも、どうしてだろう?


 いつものように、優しく微笑む悠奈さん。


 そのはずなのに……俺は先ほどの野中に感じたのと同じような、違和感を覚えていた。




      ◇




 風呂上がり、自分の部屋に戻ると、スマホがチカチカしていた。


「あっ、悠奈さんからだ」


 俺はスマホを手に取り、メッセの内容を確認する。




『いっくん、私たち……別れましょう』







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