第2話 下僕 (幼なじみ)

 夏休み明けというのは、誰も彼も憂鬱だろう。


 かくいう俺も、憂鬱の真っただ中だ。


 なぜなら、新学期の朝っぱらから、俺をいじめるツートップに虐げられたからだ。


 そして、その内の一角は、ひどくご満悦な表情でいらっしゃる。


「ふひひ」


 ニッコ、ニッコと。


「……なあ、美帆」


「なに、一平?」


「今日はまた一段と、ご機嫌な様子だな?」


「んっ? まあ、そうね~♪」


 美帆はニヤッとして言う。


 どうせこいつのことだから、夏休みもさぞ陽キャ、あるいはパリピだったんだろう。


 野中とよろしくやっていたんだろう。


 ああ、羨ましいこって。


 でも、俺は……


『いっくん……♡』


 ……何だかんだ俺も、しっかりとひと皮むけちゃったんだよなぁ。


 ていうか、剥いてもらった。


 好きで、大好きで、愛しい……悠奈はるなさんに。


 やべ、俺も下ネタじゃん。


 母さんのこと言えないわ……


「……おーい、ドスケベくん?」


「へっ? い、いきなり何だよ?」


「今すごく、ドスケベな顔していたよ~?」


 美帆はジト目を向けて言う。


「し、してねーよ」


「どうだか……ていうか、夏休みに何か良いことでもあったの?」


「……別に」


「ていうか、毎日のように、ママの手料理を食べていたよね?」


 ギクリ!


「そ、そうだな……は……おばさんには、本当にお世話になって」


「ていうか、食事以外の世話もしてもらったでしょ?」


「えっ……」


「バイトとか」


「あ、ああ……本当に、お世話になりました」


「頭が高いんだよ」


「ははぁ……って、何でお前に頭を下げないといけないんだよ!」


「だって、あたしのママだし、あたしにも感謝するのは当然でしょ?」


「そんなの関係ないだろうが。おばさんはおばさん、お前はお前で……」


「関係あるよ」


 ふいに、それまで陽気だって美帆の声のトーンが、沈んだように聞こえた。


「だって、ママはあたしの母親で家族だから、関係ないことはないよ」


「あっ……」


 俺は言葉が出て来ない。


「……なーんてね」


 美帆はぺろっと舌を出す。


「てか、早くしないと。遅刻するぞ、ドスケベくん!」


 ベシッ!と背中を叩かれる。


「イッテ!?」


「ほら、走れ、走れ~!」


「お、おい、待てって!」


 美帆はダラけた陽キャ女だけど、意外と運動神経は悪くない。


 制服のスカートから伸びる、色白でスラっとした脚が軽やかに躍動し、アスファルトを駆けて行く。


 あれでイタズラな、イジワルな性格じゃなければ、もっと魅力的なんだけどな。


 まあ、もうすでにイケメンの彼氏を捕まえているから、どうあがいても勝ち組なんだけど。


 羨ましいなぁ……と思いつつも。


 以前のように、ひどく劣等感にさいなまれないのは……やっぱり。


 悠奈さんのおかげだ。


 ああ、早く学校から帰って、会いたい。




      ◇




「うっ、ひっく……」


 正に、天国から地獄。


「お前さぁ……案の定、夏休みの宿題やっていなかったのな」


「だって、いっぱいやることがあったんだもん。お買い物して、メイクして、オシャレして、デートして、ドラマ見て、動画見て……」


「それでもみんな、ちゃんと宿題をやっているんだよ」


「ていうか、一平の分際で何でちゃんと終わってんの?」


「いや、俺もギリギリになりつつも、何だかんだ毎年ちゃんと終わらせているから」


「……ドスケベのくせに?」


「なあ、マジで誤解を招くから、それ言うのやめろ」


「でも、誤解じゃないじゃん」


 机に突っ伏していた美帆がふっと顔を上げて、俺を見つめる。


 ギクリ、としつつ、いつにない幼なじみの顔にドキリとした。


 こいつ、マジで黙っていれば、ただの美少女なのに。


「ご、誤解じゃないって……どういうことだよ?」


「だって、一平ってドスケベじゃん。あたしのママのこと、いつもエロい目で見ているし」


 サーッ、と血の気が引くようだった。


 いつも、軽口でそれを指摘される。


 けど、今はこの場の雰囲気、そしていつもよりもダウナーのこいつの様子も相まって……


「……はぁ、お腹すいた」


「へっ?」


「一平、ちょっと焼きそばパン買って来てよ」


「いや、もう放課後だから、購買やってないよ」


「じゃあ、近くのコンビニまでダッシュ!」


「嫌だよ、そんなの」


「ちっ、使えない男だなぁ」


「お前、幼なじみのことを何だと思っているんだよ?」


「えっ? 下僕とか?」


「可愛らしく小首をかしげるのが余計にムカつくわ」


「わ~い、可愛いって言ってもらった~」


「ウザすぎる……」


 俺は額に手を置いてため息をこぼす。


「……てか、いま教室、あたしらだけだね」


「えっ? ああ、そうだな。でも、よそのクラスってやっぱり落ち着かないわ。3組って、お前みたいな陽キャが多くてちょっと近寄りがたいイメージだし……」


「陰キャ乙(笑)」


「そこまでじゃねーよ」


「ちなみに、あたしの友達も夏休みの宿題やってないけど、シカトして帰ったんだよ」


「それは後が怖そうだなぁ~」


「その点、ちゃんとマジメにやるあたしって、エライでしょ?」


「じゃあ、夏休みの間にやっておけよ」


「だって、一平が手伝ってくれないから」


「いや、俺も自分ので精一杯だったから」


「むぅ~」


「ならいっそのこと、おばさんに見てもらえば良かっただろ? 小さい頃、おばさんに勉強を教えてもらったことあるけど、普通に分かりやすかったぞ?」


「……それはダメ」


「何で?」


「だって、ママは……」


 言いかけて、美帆は口をつぐむ。


「……何だかんだ、忙しいからさ」


「まあ、そうだな。家事にパートにと。おまけに、こんなワガママな娘がいるし」


「一平、刺して良い?」


 美帆が笑顔でシャーペンを構える。


「おまっ、やめろ!」


「冗談だよ~」


「お前なぁ~……」


「……でも、あまりひどいと、本当に刺しちゃうよ?」


 美帆はまた小首をかしげて言う。


 けど、先ほどみたいなチャーミングさは感じられなかった。


 いつにない真剣、というか真顔で、俺のことを見つめて来た。


 不覚にも、先ほどは苛立ちつつも、少しばかりドキリとしたけど。


 この時ばかりは、何だかゾクリとした。


 心臓を鷲掴みにされて、背筋を撫でられるかのごとく……


「……やめて下さい」


 俺が半ば放心状態になって言うと、美帆はくすっと微笑む。


「じゃあ、ちゃんとあたしにも、優しくしてね?」


 頬杖を突きながら、夕日に照らされる彼女は、やはり少しおぞましくて。


 でも、正直に言って……今までにない魅了を放っていた。


「……いや、お前こそ、俺にもっと優しくしろよ。野中に対するみたいに」


「あはッ、それはムリ」


「何でだよ!」


「だって、イケメンじゃないし~」


「うるせえよ、バカ!」


「うるさいのは一平でしょうが~」


「ああ、もう本当に……」


 ムカつく女だな、という言葉は、とりあえず飲み込んでおく。


 これ以上、不毛な言い争いはしたくないから。


「で、あとどれくらいだ?」


「とりあえず、今日はここまで終わらせて先生に見せれば許してもらえるから」


「じゃあ、あと少しだな」


 でも、悠奈さんとゆっくり会って話す時間は……なさそうだな。


「一平、どしたの? もしかして、何か用事でもあった?」


「えっ? まあ、その……大した用事じゃないよ」


「だよね。あたし様のそばにいること以上に大切な用事なんて、この世に存在しないよね」


「だから、俺はお前の下僕じゃないっての」


「へっ、そうなの?」


「マジで驚いたような顔すんな」


 俺が呆れたように睨んで言うと、美帆は何だか楽しそうに笑う。


 全く、のんきで羨ましい限りだよ。




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