第13話 うかつ

 薄暗いシアター内から出て明るい照明にされされても、俺の意識はまだ覚醒しない。


 ずっと、頭がボーっとしたまま。


 ちなみに、映画の内容なんて、これっぽちも頭に入っていない。


 かと言って、頭が空っぽという訳でもない。


 俺の脳みその大部分をいま占めているのは……


「…………」


 悠奈さんだ。


 俺たちは無言のまま歩いて、ロビーにある丸いテーブル席に腰を下ろした。


「「…………」」


 2人して、押し黙ったまま。


 このままだと、さすがに気まずいから。


 とりあえず、何か話題を……


「……あの、どうでしたか?」


「へっ?」


「その、感想と言いますか……」


 まあ、ベタな話題だ。


 いま見た映画の感想を言い合うと。


 あっ、やばい、俺は感想なんてロクに言えないぞ。


 だって、いま見た映画の内容というか、感想は。


 とりあえず……エロかったとしか言えない。


「えっと、その……どうしても、言わなくちゃダメ?」


「へっ? いや、嫌なら別に……」


 あれ? 俺ってばそんなにまずいことでも聞いたかな?


 ていうか、俺がロクに映画を見て内容を覚えていないのがバレていて、そんな俺と感想を言い合いっこなんて無理だから、言うのを渋っているのかもしれない。


 まずい、これはマイナスポイントか……?


「……き、気持ち良かったよ」


「…………はい?」


「い、いっくんの指先で、私の指をこしこしされるの……気持ち良かったです」


「………………」


 たぶん、いま俺、白目を剥いています。


 人生で初めてのことだわ……


「……あの、悠奈はるなさん」


「なに?」


「その、感想というのは……映画の方の……なんですけど」


 と、俺が遠慮がちに訂正すると、一瞬だけ悠奈さんの時間が停止した。


 けど直後、その顔が真っ赤に染まる。


「ご、ごご、ごめんなさい! わ、私ってば……はぁ~!」


 すっかり赤く染まり切った顔を両手で覆い隠す。


 いつも優しく落ち着いている悠奈さんのこんな姿、レアかもしれない。


 だから、俺はついつい網膜に焼き付けようとしてしまう。


 けど、そんな自分の考えがよこしまだと思い、ガタッと席を立つ。


「すみません、ちょっとトイレに」


「う、うん」


 頷く悠奈さんに背を向け、俺はスタスタと歩いて行く。


 いまは一刻でも早く、乱れに乱れた己の精神を整えなければならない。


 だから、別に大きな便意はないけど、俺は個室に入った。


 個室の数は豊富だから、咎められることもないだろう。


「……ふううううううぅ~!」


 まず、俺は深くため息を吐く。


「ヤバすぎだろ、悠奈さん……」


 もちろん、悪口ではなく、褒め言葉というか……


 いや、でも、とにかく……ヤバい。


 今はその言葉が一番的確だと思う。


 悠奈さん、天然というか……エッチなんだな。


 そうか、俺のあんな童貞じみた攻撃が……気持ち良かったんだ。


 ふぅ~ん? へぇ~? ほぉ~?


 じゃ、じゃあ、もっと大胆に攻めたら……どうなっちゃうんだろう?


『ああああああぁ~ん! いっくん、私もう……らめええええええぇ~ん!』


 ……やばい、うっかり股間に手が伸びかけていた。


 ていうか、いまここで抜くのが1番の落ち着く方法だろうな。


 と思いつつも、さすがにそれは気が引けるので、しばし瞑想をしてから個室を後にする。


 よし、少しだけ気持ちが落ち着いたぞ。


 ていうか、悠奈さんを待たせちゃって、申し訳ないな。


 お詫びに何か飲み物でもご馳走をして……


「ねぇ、彼女。オレらとお茶しない?」


 いかにもなナンパ男が、ナンパをしていた。


 悠奈さんに対して……


「いえ、私はその……」


「えっ、なに?」


 口ごもる悠奈さんに対して、ナンパ男が笑顔で聞き返す。


「……デート中なので」


「ふぅ~ん? でも、いまは1人でしょ?」


「お手洗いに行っているので……」


「じゃあ、オレらも行く?」


「おい、オトコとオンナが一緒の便所には入れないぞ」


「いや、多目的があんじゃん」


「それはクソムーブすぎるからwww」


 あいつらぁ~……


 よくも、悠奈さんに……


 と、気持ちは怒り、勇みつつも、足がなかなか前に進まない。


 ナンパ男たちは3人組で、俺よりも年上。


 もしケンカになれば、俺に勝機は……ないだろう。


 かと言って、このまま悠奈さんを奴らに渡す訳には……行かないんだ。


「……悠奈さん」


 俺が声をかけると、


「いっくん……」


 少し涙目になっていた悠奈さんが振り向いた。


「んっ? 誰、こいつ?」


「か、彼は、私の……」


「あー、弟くん?」


「いえ、その……私はアラフォーなので」


「えっ、マジで!?」


「ぜんっ、ぜん見えんわ!」


「でも、言われてみれば……」


 ナンパ野郎どもは驚いている。


「ええ、ですから、こんなおばちゃんを相手にしても……」


「いや、むしろ興奮するわ」


「やっぱり、時代は熟女だよなぁ~」


「マジでサイコーだわ」


 こいつら、引くどころか、むしろ前のめりになってやがる。


「てことは、彼は息子くんかぁ~」


 やつらの目が俺に向く。


「なあなあ、息子くん。君の最高に美人でおまけに爆乳のママ、オレらに貸してくんない?」


「ほんの、1時間ほどで良いからさ」


「まあ、ヨユーで延長ありだけど」


 こいつら……


「い、いっくん……」


 悠奈さんの顔色が青ざめている。


 俺は拳を握り締めた。


「……ちげーから」


「あっ? 何だって?」


「この人は、俺の母親じゃねーよ」


「はぁ? じゃあ、何だよ?」


「まさか、ママ活ってか?」


「だったら、似た者同士じゃん、ウェーイ」


 と、言って来やがるけど、


「ちげーよ、バカ」


「「「あ?」」」


「この女性ひとは俺の……」


 ゴクリ、と生唾を飲み込む。


「……彼女だ」


「「「はっ?」」」


「だから、手を出すな……以上」


 俺は最後に早口で締めくくり、悠奈さんの手を掴む。


「行こう、悠奈さん」


「あっ……うん」


 立ち上がり、立ち去ろうとする。


「おい、ちょっと待てよ!」


 と、ナンパ野郎が追いすがろうとするけど、


「お客様、どうされましたか?」


 と、スタッフが間に入ってくれた。


 すると、さすがのナンパ野郎どもも、少したじろいだ様子だ。


 その間に、俺たちは外に出た。


「「はぁ、はぁ……」」


 お互いに、少しばかり吐息が弾んでいた。


「……ごめんなさい、悠奈さん」


「いっくん?」


「うかつでした、1人にするなんて……こんな可愛い悠奈さんを、野郎どもが放っておく訳ないのに……クソ」


 俺は自分の不用心さを呪い、拳でももを叩く。


「……かっこよかった」


「へっ?」


「さっきのいっくん……すごく、男らしくて……映画の途中で……ちょっとエッチなことをされた時よりも……ドキドキしちゃった」


「は、悠奈さん……」


 お互いに見つめ合う。


 一瞬、周りの人々を忘れて、うっかりキスしそうになった。


 けど、すぐ我に返る。


「……お、お腹空きませんか?」


「そ、そうね。そろそろ、お昼どきかしら?」


「はい……あっ、ロクに金がないから、良いお店には行けないですけど」


「平気よ……あなたとなら、どこでも」


「えっ?」


 俺が顔を向けると、悠奈さんはにっこりと微笑んでくれる。


 それだけでもう、お腹いっぱいの気持ちだった。




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