第11話 ちゅるる

 モテる男、と検索バーに入れるのは、モテない男です。


 そして、検索結果は……


「……料理男子、か」


 昨今、女子の肉食化の影響か、どんどん社会進出している。


 一方、男子は草食化の影響で、どんどん家庭帰化している。


 主婦ではなく、主夫だなんて、今どきは珍しくない。


 クズヒモ野郎が、料理だけは達者で、女を満足させているとか聞くし。


 まあ、俺はそんなクズヒモ野郎なんて目指している訳じゃない。


 ただ、素敵な彼女のために、出来ることをやりたいだけ。


 たった1ヶ月の恋愛関係……いや、疑似恋愛関係だけど。


 少しでも、俺という男を印象付けておきたい。


 悠奈さんの心に……なんて、傲慢と言うか、気持ち悪いかな?


「母さん……は仕事か。そもそも、そこまで料理好きって訳じゃないし」


 バリキャリと言うかは分からないけど、よく働いているみたいだし。


 収入は恐らく、父さんと同等以上だ。


 我が家においても、男女の力関係が逆転しつつある。


 ならば、その波に逆らわず、乗ろう。


 今どきの男子らしく、料理上手になろう。


 とはいえ、悠奈さんがそもそも料理上手で、そんなバリバリ働いている訳じゃないから。


 俺が料理上手になるメリットは、彼女にとってあまりないかもしれない。


 けど逆に言えば、いつも料理をして、主婦をしちゃっているから。


 その負担を、少しでも俺が軽減してあげることは、ほんの小さなことでも、すごく大きいことなんじゃないだろうか。


 と、わずかな希望と、大きな自己満足を腹に据えて、俺はキッチンに立っている。


「男の料理……と行くか」


 この短期間で、悠奈さんと同等の料理スキルを身に着けることは無理だろう。


 ならば、彼女にはない価値、俺ならではのクオリティーを披露するのがベスト、いや、ベターだろう。


「……ラーメンだな」


 パッと思い付いたのがそれだった。


 ラーメンと言えば、食うのはだいたいカップ麺。


 たまに、外食でラーメン屋にも行くけど。


 そして、俺の目に入ったのは、袋めんだ。


 思えば、この中間択は、実は1番選んで来なかった道。


 カップ麺ほど手軽でなく、お店ほどのクオリティーはない。


 そんな中途半端な存在の彼を、今まで無視して来た。


 けど、今回は良い機会だ。


「塩ラーメンか……」


 俺はこってり系のみそかしょうゆ豚骨が好きだ。


 けど、悠奈さんはそんな風にこってりラーメンを食べるイメージがない。


 そもそも、ラーメンを食べている印象はないけど。


 何より、今は夏だ。


 比較的さっぱりしている、塩が良いだろう。


 とりあえず、俺は鍋にお湯を張って、コンロの火をつける。


 チチチ。


「……あつっ」


 ものの数分で、一気に周囲の温度が上がった。


 ちゃんとエアコンを効かせているのだけど……


「こんな熱いのを食べたら、悠奈さんが汗だくになってしまう」


 汗だくで、ラーメンをすする、悠奈さん……


『はぁ~ん、いっくん、暑くてもう……らめぇ~!』


 ……はぁ、はぁ。


 ヤバい妄想世界に浸るところだった。


 うっかり股間に触れることはしなかったけど、とりあえず手を洗い直して再び料理と向き合う。


 くだらないエロ妄想は置いておいて。


 現実問題、女性として、汗だくになるのは勘弁だろう。


 ならば、どうするべきか。


 いっそのこと、冷やし中華にするか?


 でもあれって、具材がごちゃごちゃしていて、何かテンパりそう。


「……あっ」


 俺はふと、思い付いた。




      ◇




 玄関ドアが開く。


「お邪魔します、いっくん」


「は、悠奈さん……」


 当然ながら、こちらが白井家にお邪魔するばかりでなく、あちらが我が柴田家にお邪魔することだってままある。


 まあ、今回は俺が招待した訳だけど。


「今日はスーパーの仕事、お休みなんですよね?」


「ええ」


「ごめんなさい、お休みのところ、呼んでしまって」


「良いのよ。だって……彼氏にお呼ばれしたから」


「あっ……」


 俺が呆けたような返事をすると、悠奈さんの顔もみるみる内に赤く染まって行く。


 何なんだ、この異次元の可愛さは。


 同年代の、クソ生意気な女子(言ったらシバかれる)、特に我が幼なじみの数倍、数十倍、いや、数百倍かわいい。


 ていうか、その幼なじみの母親だった、この人。


 えっ、マジで母娘だっけ?(最低


「ど、どうぞ、おあがりください」


 モテない童貞だから、意味不明にかしこまった態度になってしまう。


 これがクソ美帆なら、クソほど俺のことをバカにしてくれるだろうけど。


「ありがとう」


 どこまでも優しく素敵な悠奈さんは、微笑んでそう言ってくれる。


 俺は万感の想いで涙しそうになりながらも、何とか堪えてリビングにご案内する。


 もちろん、しっかりとクーラーで冷やしてある。


「すぐにお持ちしますので」


「うふふ、お願いします」


 上品に微笑み、上品にクッションの上に腰を下ろす悠奈さん。


 俺はあのクッションになりたい……って、アホ!


 言っている場合じゃないっての。


 俺は既に作り終えていた料理をテーブルに運ぶ。


「お、お待たせしました」


「まあ、これは……」


「はい、冷やしつけ麺です」


「すごい……これ、いっくんが1人で考えて作ったの?」


「いや、レシピは何かバズっているレシピの動画を参考に……袋めんをアレンジしただけです」


「まあ、そうなの。でも、すごいし、嬉しいわ」


「塩味で、レモンを効かせているんですけど……大丈夫ですか? そういえば俺、悠奈さんの食の好みを把握していなくて……」


「大丈夫、好き嫌いはしない方だから。おかげで、健やかに育ちました」


「た、確かに……」


 とか言いつつ、俺の目線は悠奈さんの豊満な胸に向き、ついつい鼻の下が伸びかけたところを、寸前で堪えた。


「さ、冷めない内に、どうぞ……って、もう冷めているか!?」


「うふふふふ!」


 ハ、ハズすぎる……けど、悠奈さんが笑ってくれたからオーケー!


「じゃあ、早速……いただきます」


「ど、どうぞ」


 俺がぎこちなく言うのに対して、悠奈さんは変わらず優雅な所作で、長い髪を耳にかける。


 その仕草に、いちいちドキッとしてしまう。


「ふーふー……あっ、もう冷めているんだった」


 ぺろっ、と舌を出す。


 この可愛さ、異次元。


「つ、ついついやっちゃいますよね。冷やし中華とかも」


「そうなのよ~……じゃあ、気を取り直して」


 悠奈さんは、よく冷えた麺を、同じく冷えたつけダレにインする。


 そして、ちゅるるっ、と。


 意外にも、良いすすりっぷり……


「……美味しい」


「ほ、本当ですか?」


「ええ、すごく……」


 その時、悠奈さんのきれいな瞳から、一滴のしずくがこぼれた。


「えっ? えっ? は、悠奈さん……? も、もしかして、実はまずかった……とか?」


「ううん、違うの……何か、嬉しいというか……感激しちゃって」


「そ、そうなんすか?」


「だって、あの小さくて可愛かったいっくんが、こんなに立派になって……」


 確かに、小さい頃から、もう1人の母親として、悠奈さんにはお世話になって来た。


 だから、そんな風に言ってもらえるのは、嬉しいけど……


「……まだ、立派とは言えないですけど……俺も1人に男として、成長しました」


 俺がまっすぐに見つめると、悠奈さんも見つめ返してくれる。


「だから、その……いつまでも、子供じゃない……っすから」


「……うん、分かっている。この前も言ったけど……いっくんのこと、ちゃんとそういう風に……意識しているから」


「悠奈さん……」


 俺たちは見つめ合う。


 えっ、これって、もしかして……


 キ、キキ、キスとか……


「は、悠奈さん……」


 俺は思わず前のめりになり、悠奈さんに顔を寄せる。


「ダ、ダメよ、いっくん……」


「あっ……や、やっぱり、そこまでするのは……ダメですかね?」


「と、と言うか……食べたばかりでキスをするのは……」


「た、確かに……」


 と俺は大人しく引っ込みかける。


 けど、俺のイケないジュニアは、ひたすらに前向き、いや上向きだった。


「……でも、これレモン風味だから。むしろ、良い香りですよ?」


「へっ?」


「ほら、ファーストキスの味は、レモンガムの味だって、よく言うじゃないっすか? だから、その……」


 ええい、下手くそ、この童貞野郎がぁ!


「……た、確かに」


「えっ?」


 こ、これは、まさか……


「……いっくんって、キスしたことある?」


「な、なな、ないっすよ」


「そっか……でも、その、出来れば……いっくんの方から、して欲しい」


「~~……」


 もう歓喜を通り越して、むしろため息が出るレベルだわ。


 このアラフォーのおばさん、いや美女、女神さま……死ぬほど可愛いんですけど。


 マジで永遠に呼吸を忘れて、そのまま窒息するレベルなんだけど。


 え、何これ、やばっ。


「じゃ、じゃあ……そっちに行っても良いですか?」


「……うん、来て」


 えっろ……じゃなくて。


 ウカウカ、鼻の下を伸ばしている場合じゃない。


 ていうか、立つと俺が股間パンパンなの、バレちゃう?


 でも、ここまで来て、逃げる訳には行かない。


 前進あるのみ!


 俺は立ちつつも、立たずに移動する。


 悠奈さんの横にやって来た。


「は、悠奈さん……い、良いですか?」


「う、うん……」


 お互いに、見つめ合う。


 マジでこの美人すぎるお方と、俺はこれから……キスをする。


 恋人としての……キスを……


「い、行きます……」


「はい……」


 悠奈さんがスッと目を閉じると、いよいよ心臓がバクり、バグり出す。


 けど、ここまで来て逃げ出すのは、男じゃない。


 草食系だって、やる時はやるんだ!


 行くぞ!


「は、悠奈さん……」


「い、いっくん……」


 お互いの吐息が、超至近距離まで迫る――




 ピンポーン。




 …………


 よし、気合を入れ直して……



 ピンポーン。



 えっと、ちょっとだけ、待ってもらって……


 ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポーン♪


「クソがああああああぁ!?」


 俺は絶叫しながら立ち上がる。


 このクソ空気の読めない訪問者めぇ!


「は、悠奈さん……少しだけ、お待ちを」


「う、うん」


 俺は悠奈さんにニコッと微笑みかけつつ、怒り顔で玄関へと向かう。


 ちっ、どこぞのクソ配達員だよ。


 母さんあたりがまた通販で何か買い物でもしたのか?


 どちらにせよ、クソうぜぇ!


 このクソ暑い中、配達してくれたおじさんよ。


 悪いけど、事と場合によっちゃ、顔面パンチするぞ(犯罪です


 俺は玄関ドアを開く。


「はいはい、どちらさまっすかねぇ~?」


 とあからさまに不機嫌な声を出して言った時――


「やっほ~♪」


 そこにいたのは炎天下の配達でムレムレになったおっさん……ではなく。


 美少女だった(ガワだけの


「……美帆?」


「そうだよ~」


「えっ、お前、何で……彼氏とデートって聞いていたけど?」


「それがね~、秀太くんが部活の先輩に呼び出し食らっちゃって。ほら~、体育会系って、そういう付き合いが大事でしょ~? だから、泣く泣く、ご帰宅したあたしでございます」


「……いや、お前のお家、あちらですよ?」


「こっちもあたしのお家じゃん。ねっ、幼なじみくん?」


「…………」


 うっぜ。


「んっ? あれ、何か見覚えのある靴が……あっ、ママのじゃなに?」


 ギクリ!


「えっ、もしかして、ママがいるの?」


「ま、まあ……」


「でも、おばさんいま仕事でいないよね? じゃあ、一平とママが……2人っきり?」


「…………」


 ヤバい、言葉が出て来ない。


 別に、俺と悠奈さんが2人きりだって、本来は何も問題ない。


 だって、親子みたいな関係だから。


 けど、今の状態、状況だから……


「一平、どした~? まさか……何かやましいことでもあるの?」


 美帆は目を細めて言う。


 いつも無駄に明るくうるさいだけなのに、冷静に問い詰めて来やがる。


 その薄ら心から凍えて来るような迫力に、俺は言葉が出て来ない。


「ねえ、一平ってば……」


「――あら、美帆じゃない」


 口を閉ざす俺の背後から、スッとやって来た。


「あっ、ママ……てか、何かオシャレじゃない? たかが、一平と会うだけなのに」


「こら、幼なじみのいっくんをそう悪く言うんじゃないの」


「で、ママはここで何をしているの?」


 美帆の問い詰めモードは止まらない。


「お昼ごはんをいただいていたの」


「お昼ごはん?」


「そう。いっくん、最近なんか料理に目覚めたみたいでね。私が、ちょっと教えてあげていたの」


「……ふぅ~ん? そうなの?」


 美帆がぐりんと俺に顔を向ける。


「そ、そうそう。ほら、は……おばさんって料理上手だからさ~、色々と教えてもらっていた訳だよ」


「そっかぁ~……てか、ちょうどあたしもランチ食べ損ねてお腹空いていたから、食べて良い?」


「えっ?」


「何よ、何かまずいの? ていうか、実際にまずいの? 一平の料理」


「お前なぁ……」


「そんなことないわ。すごく美味しいわよ」


「おばさん……」


「へぇ~? じゃあ、いただこうかな~」


 美帆は遠慮なしにズケズケと上がり込む。


「わっ、何これ?」


「冷やしつけ麺……」


「ほぇ~、一平の分際で、なかなかにセンス良いじゃん」


「あ、ありがとう」


「まあどうせ、バズってるレシピか何か参考にしたんでしょ?」


「……おっしゃる通りです」


「まあ、良いけどね~。ほら、あたしの分は?」


「あっ、ていうか、2人分しか作っていない」


「ちっ」


「舌打ちだと!?」


「じゃあ、美帆。私の分をあげるから」


「えっ、良いの?」


「いや、でもおばさんはまだほとんど食べていないから……俺の分をやるよ」


「やだよ、一平が口をつけたのなんて」


「その料理、思い切り俺の手アカがついていますけど~?」


「えっ、ちゃんと手も洗わずに作ったの? キモッ」


「お前、もう帰れよ」


「嫌だ」


「ちっ」


 俺は苛立ち、舌打ちをしてしまう。


 すると、そっと手に甲に触れられる。


 悠奈さんだった。


「ごめんね、いっくん」


「あ、いえ、そんな……」


 口ごもる俺に、悠奈さんは優しく微笑みかけてくれる。


 それだけで、苛立ちマックスだったのが、すううぅと収まって行く。


「いただきまーす♪」


 ちゅるるん♪


「あっ、おいちい~♪ 一平のくせに、やるじゃ~ん♪」


「はいはい、どうも」


「てか、ママが食べられなくて可哀想じゃん」


「お前のせいでな」


 俺はまた苛立ちつつ、


「あの、おばさん。良ければ、俺の分をどうぞ」


「いえ、でも……」


「お願いします、食べて下さい」


 俺が微笑んでずいと渡すと、悠奈さんは遠慮がちに受け取ってくれた。


「ありがとう」


 そして、また上品な所作で、つけ麺をすする。


「……あっ」


「えっ、どうしました?」


「い、いえ……何でもないの」


 そうは言っても、心なしか悠奈さんの顔が赤いような……


「……あっ」


 悠奈さんは、俺が箸をつけたつけ麺を食べている。


 当然、その箸は、俺が口をつけている。


 つまり、これって……


「ふぅ~、食べた、食べた♪」


「って、お前はやっ」


「一平、おかわり♪」


「ねーよ、バカ」


「じゃあ、作って♪」


「自分で作れ」


「ドケチ~!」


 と、美帆がうるさく抗議をして来るけど、俺はシカトする。


 だって、今はそれどころじゃないから。


 ちゅるる、ちゅるる……


「……美味しい」


「あ、あざす……」


 今は目の前のすごく可愛い悠奈さんを網膜に焼き付けるので必死だったから。




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