無音の響き (6)


 

 礼もそこそこに軽音楽部室を辞したヒカリ達が、工作研究部の部屋に戻ってみれば、原田がドライバー片手にオルゴールに挑みかかろうとしているところだった。

「わー! 原田さん、何するんですかっ!」

「壊すなー!」

 ヒカリは右手、茉莉は左手、と見事な連係プレーで二人は原田を押さえにかかった。期せずして両手に花となった原田が、ちょっと赤い顔で叫ぶ。

「壊すか馬鹿!」

「じゃあ、なんでドライバーなんか持ってるんですか!」

 間違いなく姉譲りの茉莉の恫喝に若干怯えつつ、原田はそろそろとオルゴールを指差した。

「この櫛を外してみようかと思って」

「何故そんなことをする」

 憮然としたヒカリに得意そうな笑みを投げてから、原田はルーペを手に取った。さっきとは違って、今度は櫛のネジのあたりを拡大して見せる。

「……これは……」

「台座の酸化した部分と、櫛の端っこと、ほんの僅かだがズレてるだろ。さっき見た時は、気のせいかなと思ってたんだが――」と、そこで原田は勿体ぶるように言葉を切った。「――たぶん、この櫛は『違う』んだ」

「違う?」

「元々このオルゴールについていた櫛とは違うものに、取り替えられているんだろう」

 原田はあらためてドライバーをネジに当てた。

「取り替えられた櫛は、恐らくハ長調。『ファ』の音に、シャープはついていなかったんだ」

 原田の言葉を聞き、ヒカリの背筋が、ぴん、と伸びた。

「そうか、だからわざわざ『ファ』の歯を切り取ったんだ」

「そう。そのままだと櫛が違っていることがすぐにばれてしまうからな。音の違う一本を折っておけば、単に壊れているとしか思われずにすむ」

「え、でも、どうして兄ちゃんてばそんなことを……」

 きょとんとする茉莉に、ヒカリが口角を上げた。

「兄ちゃん、とやらは、たった一人にだけ、知らせたかったんだよ。櫛が壊れているんじゃなくて、櫛がんだ、ってことを」

「絶対音感を持つ、たった一人に、な」

 原田の言葉が終わるのと同時に、ネジが、ころん、とテーブルに落ちた。

 自重で櫛が、外れる。

 三人は一様に小さく声を上げた。

 櫛に隠されていた台座の部分に、何かが刻まれていた。目打ちか何か針のようなもので彫られた、五ミリにも満たない小さな文字が三つ、スタンドライトの光にきらきらと浮かび上がる。

 それは、たった三文字のメッセージだった。思いの丈を込めて刻みつけられた、たった一言のメッセージ……。

 一同は、しばし無言でそれを見つめ続けた。

 

「……何と言うか、あれだな、他人宛のラブレターを間違えて読んでしまった気分だな」

「まさしく、そのとおりだろーが」

 律儀にツッコミを入れつつも、ヒカリもすっかり疲れきった表情で天を仰ぐ。その横で茉莉が頭を抱え込んだ。

「兄ちゃん……まわりくどすぎるよ……」

 三者三様で茫然とすることしばし、やがて我に返った原田がそそくさと櫛を再びネジどめする。

 アクリルカバーを元どおりにし、オルゴールを箱に戻し、紙袋に入れ、……それから三人は同時に大きく溜め息をついた。

 

「ねえ、姉ちゃんがこのメッセージに気づかなかったらどうしよう……」

 次の講義に出るべく文化部棟を出たところで、茉莉が不安そうな言葉を漏らした。

 うむ、と唸るヒカリとは対照的に、原田の声はやけに素っ気なかった。

「その男が自分で選んだ修羅の道なんだから、松山さんが気にすることはないさ」

「思いっきり他人事だと思ってるだろ」

「あったりまえだろ?」と、底意地の悪い笑みを浮かべる眼差しが、ふと、遠くなる。「幸せは自力で掴むもんだからな」

「そんなー! ね、ヒカリ、どうしたらいい? このままじゃ私、気になって夜しか眠れないよ!」

 うむ、と再びヒカリは考え込んだ。

 ……とはいえ、原田の言うことも確かに一理ある。送り主は熟考の末に、運試しをする覚悟を決めたのだろう。それを第三者がどうこうするのはいかがなものか。

 結局、他人事ってことか。ヒカリはそっと息を吐いた。

 いつも、いつも、肝心なところでこの男には敵わない。普段、あんなにちゃらんぽらんなことを言っているくせに、こういう時だけは正論を吐くのだから。

 ――だから、ムカつくんだよ。

 もう一度、ヒカリは深く息をついた。そうして、ほんの束の間、そっと目をつむる。

 それから彼女は、原田には見えないように茉莉に微笑んでみせた。

「大丈夫だよ。茉莉の姉ちゃんならきっと気づくさ。音の無い音に」

「無音の音、ね。禅問答みたいだな」

 原田が、顎をさすりながらしみじみと頷く。

 と、突然、茉莉が何か思いついたように「あっ」と手を打った。

「そうだ。もし仮に気づかなかったとしても、『よくも不良品を掴ませてくれたね!』って兄ちゃんを締め上げて、本当のことを聞きだすよね、姉ちゃんなら」

 あまりにあんまりな言いざまに、ヒカリは思わず足を止めた。

 なーんだ心配して損したー、と満面の笑みを浮かべる茉莉をまじまじと見つめるうち、ヒカリの喉から、知らず「怖えぇ」と声が漏れる。

 それと全く同じタイミング、同じ調子で発せられた同じ言葉に気づいて、ヒカリは思いっきり顔をしかめた。

「真似するな」

「そっちこそ」

 対峙する、仏頂面とにやけ顔。

 その傍らで、いきなり茉莉が盛大に吹き出した。息をするのも苦しい様子で、身体を二つに折って笑い転げている。

「ま、松山さん?」

「や、だって、もう、だって……」

「どうした、茉莉」

「……だって、さっきから、ふたりってば、息、ぴったりで……」

「冗談じゃない!」

 

 待ってよヒカリ置いていかないでー、と縋る声を振り払いながら、ヒカリは、一人早足でその場をあとにするのだった。

 

 

 

    〈 了 〉

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