無音の響き (3)


 

「ねえ、どうしてそんなに原田さんのことを目の仇にしてるのよ」

 原田に先導されての道すがら、茉莉が不思議そうにヒカリを見やった。五メートルほど前方を歩く原田の背中にちらりと視線を投げかけ、ふう、と溜め息をつく。

「ヒカリが言うほど悪い人じゃないと思うけど」

「随分あいつの肩を持つじゃねーか」

「だって、原田さん、私に訊かないんだもん」

「何を?」

 怪訝に思って眉根を寄せるヒカリに、茉莉が悪戯っぽい表情で片目をつむってみせた。

「『彼女、いつもあんな感じにつんけんしてるの?』とか『どうしてあんなに男みたいな喋り方してるの?』とか」

「何だそれ」

 反射的に言い返したものの、それらの台詞はヒカリにとって決して珍しいものではなかった。

『ヒカリちゃん、どうしてそんなに乱暴な言葉を使うの?』

 さも不思議そうに投げかけられる問いかけの言葉。だが、そこに潜んでいるのは「疑問」ではない。おのれの期待にそわぬものに対する、「非難」だ。

『お姉ちゃんと同じように育てたはずなのに、一体何の影響なのかしら』

「……何だそれ」

 再度ぼそりと呟いたヒカリに、茉莉がにんまりと笑いかけてくる。

「だからさぁ、上っ面だけじゃなくて、きちんと中身も見てくれてる、ってことじゃん」

 朗らかな茉莉の声に、ヒカリはほんの刹那口を引き結び……それからそっと顔を背けた。

「――だから、ムカつくんだよ」

 

 数分後、三人は大学構内の奥にある池のほとりにやってきた。傍に建つ古ぼけた鉄筋コンクリート造りの四階建てが、文化系クラブの部室が集められた文化部棟だ。一階の薄暗い廊下を突き当たりまで進んだ左手に、原田が所属するという工作研究部の部室がある。

 趣味の工作に勤しむ人間ならば来る者を拒まず、という同好の会だけあって、部室の中はその趣旨を反映して混沌としていた。ヒカリも茉莉もここを訪れるのは今日が初めてで、高校までの部活動とは違う大学ならではの自由な雰囲気に、しばし無言で辺りを見まわした。

 入り口を入ってすぐ右手は壁で、正面には腰高窓がある。広さは十畳ぐらいだろうか、奥行きよりも横方向に長い部屋は、左手奥の壁を除く三面がオープンラックに埋め尽くされていた。棚に並べられた大小さまざまな箱には、布だの木材だの針金だの多種多様な材料の名前が書かれたラベルが貼られ、文房具や工具、裁縫用具の名が記された小抽斗ひきだしから電動工具や溶接機まで、雑多な品物が隙間なくラックに詰められている。

 部屋の真ん中には八人掛けぐらいの大きなテーブルがでんと据えられていて、その向こう、唯一壁が見える左手奥には四十インチはくだらないサイズの液晶ディスプレイがあった。ディスプレイの傍にはカラーボックスがあり、テレビのチューナーとは別に何種類ものゲーム機が棚からケーブルをだらしなく垂れさがらせている。テーブルの向こう端にぞんざいに置かれたゲームコントローラーと携帯ゲーム機、その横に山と積まれているマンガ雑誌を見て、ヒカリは思わず眉をひそめた。随分居心地の良さそうな部屋のようで、と口元を歪めかけたところで、部屋の隅に積まれたシュラフに気づき、ヒカリは思いっきり脱力してしまった。「秘密基地みたい」と目を輝かせた茉莉の呟きが、とどめを刺したようでもあるが。

「いい部屋だろ。冷暖房完備で、炊飯器もあるから米も炊けるぞー」

 なるほど、窓用換気扇の下に位置する棚の上には、炊飯器が見える。

「もしや電子レンジもあるとか?」

 目を輝かせながら茉莉が原田を振り返った。

「残念。レンジはないけど、トースターはあるぞ」

「えー、それじゃあ主食ばっかりじゃないですか」

 本気でがっかりしているふうな茉莉に、さしもの原田も苦笑を浮かべるしかない。

「トースターは、プラ板とかの工作に使うからな」

「え? じゃあ、炊飯器も何かに使うんです?」

「それは、白ご飯が大好きな先輩の置き土産」

 そんな呑気な会話を交わしつつ、原田は部屋の隅からスチール製の丸椅子を二つ持ってくると、二人の目の前、テーブルの短辺に沿って並べた。二人を丸椅子に座らせ、茉莉から紙袋を受け取り、テーブルの上に散乱している書類やらコップやらを大雑把に隅に寄せ、空いた場所にオルゴールを置く。

 物がのけられあらわになったテーブルの天板に、直径二センチほどの穴が等間隔に並んでいるのを見て、ヒカリと茉莉は思わず顔を見合わせた。よくよく見れば天板の側面にも同様の穴が幾つかあいている。いやそもそも天板の厚さが十センチ近くもある。

「ああ、これ、作業台なんだよ」

 マンガ雑誌の山の陰からスタンドライトを引っ張ってきた原田は、真剣な顔でテーブルを検分する二人を見て口角を上げた。

「横の穴には木製の万力バイスが取りつけられるようになってる。天板の穴は、バイスピンっていう棒を差して加工対象を固定するためのものだ」

「そういえば、技術室の机にも端っこに四角い穴がちょこっとあいてて棒が刺さっていたような……」

「ね?」と茉莉に問いかけられたものの、残念ながらヒカリはよく覚えていない。

「ご明察。あれは『はねむし』っていって、カンナを使う時に木材が滑っていかないようにするためのものなんだ。固定する、というよりストッパーって感じだけど、まあ同じようなものだな」

 うっかり茉莉と一緒に「へぇー」と感心しそうになったヒカリは、慌てて表情を引き締める。幸い原田は気づかなかったようで、ガタガタと音を立てながらテーブル改め作業台の下からベンチを引っ張り出して腰をおろし、「まァそれより、こいつだ、こいつ」とオルゴールを手に取った。

 スタンドライトを点ければ、アクリルのキューブがまばゆく輝く。

 原田はオルゴールの底面を外すと、何やらごてごてと機器が取りつけられた大きなルーペをどこからともなく取り出してきて、剥き出しとなったムーブメントに近づけた。

「……やっぱりな」

「何がですか?」

 興味津々の茉莉の後ろから、ヒカリも原田の手元を覗き込んだ。渋々といった表情を作るのは忘れないようにする。

「あー、これじゃ見づらいだろ。ちょっと待って」

 そう言うと原田は腰をあげ、ディスプレイの電源を入れた。入力を切り替えたのち、傍の棚から黒いケーブルを一本引き出してくる。ルーペ側面の小さな蓋を開け、ケーブルのコネクタを差し込んだ途端、ディスプレイにルーペを通した映像が大写しになった。

「ここが、破損箇所だ。わかるか?」

 原田の手の動きに合わせて、画面一杯に映し出された鋼鉄色が、ゆっくりとスクロールする。

「変だな」

 ヒカリは思わず呟いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る