第3話 私が盾になる

霊能力者は教祖を部屋の外に追いだした。なんでも「記憶操作には集中力が必要で、周りに他者がいるとできないから」だそうだ。

 教祖は喜んで出ていった。

「さよなら! 彼のことは私が幸せにするから安心して!」

 霊能力者は私に近づいてこう言った。

「まだ死んでないですよ、聖女さんは」

「は?」

「幽霊になんてなっていません……」

 なにを言ってるんだ、この人は……。

「いませんよぉ」

 返事してんじゃねぇよ!

「そこにいますよね」

 彼女は部屋の中央へ歩いてきた。私の隣へ。動き回って乱れた着衣を元に戻す。

 ……灯りのもとでしっかりと見るとわかる。

 彼女は幽霊ではない。生きた人間だ。暑い夏の夜のこと、肌にはうっすらにじんだ汗、髪もベタつき……それでも彼女は彼女らしく生命力に横溢した目線を霊能力者にむける。

 胸がざわつく。

「心臓が動いている。私は死んでない?」

 彼女は自分の胸に手を当て問いかける。

「あなたは生きています。この人に背中を押され崖から落ちた、そこまでは正しいーー」

 私はツッコむ。

「ちょっとまって! まるで見てきたように語っているけれどーー」

「ええ視ました。千里眼ですね。崖の下の凹凸にひっかかって頭を打った。どこに落ちたのか見えなかったでしょう? 落とされたあなたは気絶してしまった。そのあと意識を取り戻したあなたは自分が死んだと勘違いした……」

 彼女は自分の手元を見つめていた。土にまみれた指先……。

「そのあと自力で数メートルの崖をよじ登り、座りこんでいた彼女のもとに現れ、自分が死んだと思いこんだままついていった。そういうことですね」

 霊能力者はそう言うと、彼女の後頭部に右手をかざした。

 その掌がかすかに発光している。

「これで軽く打った頭の傷も治りました。納得していただけましたね。この人が死んでなどいないことも。問題は半分解決しましたね」

「ちょっと待って!」

 私と彼女は同時に叫んだ。

「なにか問題でも?」

 霊能力者に質問をぶつける彼女。

「どうして私に良くしてくれるの? あなたはあの教祖に雇われてここにきたんでしょ?」

「ええ、ですがプライドまで売ったつもりはありません。そちらのあなたの記憶を奪うつもりもないですし、そちらのあなたが生きていることを報告するつもりなどありません。ですがあなたはもう自首するつもりでしょう?」

「わかるの? 私が考えていることが」

「はい。自分が殺された癖に殺した相手をかばうために策を練ろうとしていたんでしょう。とんだお人好しですね」

「私の傷はたった今治りました。ならこの人に咎める必要なんてないでしょう?」

 彼女にむかって私は口をさまむ。

「ダメだよ……私の罪は消えない。あなたが死ななかろうと、傷が治ろうとそんなの関係ない! 私は贖罪しないといけない……そうでしょう?」

 霊能力者は言った。

「私は神様じゃないから、その問題についてはお二人の間で解決してくれとしか言えません」

「……私はあなたがどんな人なのかわからないわ」

 彼女は霊能力者につっかかる。

「私は風評そのままの人間ですよ。お金持ち限定のなんでも屋です。……少し語りましょうか? 霊能力に目覚めた最初のころは……近所にいる困った人を助けてあげていたんです。病気や怪我をした人を治し、飼い犬がいなくなったら見つけだし……そういう些細な人助けをして、お礼をもらって暮らしていた……。そもそも貧しい地域の出でしたから」

 私はまず霊能力者を、そして次に彼女を見ていた。

 二人は、そう、なんだか似ている。彼女は超能力なんて使えないけれど。

「最初はただの親切心だった。お金なんて求めてなかった。相手から無理矢理握らされていたんです。今なら笑ってしまうくらい少額の見返りですけれど。しかし、私の噂があっという間に広まり、助けを求める人々の列ができた。そしてとりまきができた。『あなたの貴重な能力を庶民相手に使うことなどない。相手を選び、高額な料金を設定しなさい』。その結果がこうです。私は故郷を離れ、豪邸に住み、相手をするのはこの国の階級のなかでも一番上にいる人々ばかり……本当に困った人を見捨て続けている」

「人のために能力を使っていたのに?」

「そう、私は初心を忘れてしまったの。人助けをしていたあのころには戻れない。私はお金をたくさん稼いで早く引退し、別の国で霊能力者である過去を捨て別の名前を用意して暮らしていくことにした。もう余生を遊んですごせるだけの額は優にある。だからあの気に食わない依頼主を裏切ってもなんらダメージはない」

「彼女を助けてくれるの?」

 私はたずねた。

「そうするつもりです。ただのきまぐれですね。でも……私はあなたに質問がある。あなたの過去を視た。それに今なにを想っているかも理解している」

「こ、怖いわね」

 彼女は焦り顔になった。

 霊能力者は淡々と続ける。

「あなたは……この学園に入学してからに限っても人を救いすぎている。虐められている子は放っておかず、仲が悪い兄弟の間をとりもち……例を挙げていったらキリがないです。聖女と呼ばれるのにも納得がいくエピソードの数々……あなたの性格がそうさせるんでしょうね」

「なにが言いたいの? 彼女をまどわせるようなことは言わないで」

 霊能力者は言い返した。

「《私とこの人が同じだって言ってるんですよ》。私は自分の数々の霊能力で人々を救いこうなった。金の亡者になってしまった。あなたは自分の善良さ、一生懸命さで学校のみなさんに慕われているようにです。今はすべてが上手くいっているでしょう。あなたを僻む人がいてもあなたは赦す。自分を殺したこの人までかばおうとしたくらいですからね……。でもいずれ私と同じ過程を踏むことは避けられない」

「どういうこと?」

 彼女は思い当たらないようだ。

 彼女は自分の都合のいいように世界を組み立てる。

 悪意ある人間を想定しない。私のように彼女を毒牙にかける人間はどこにだっているだろう。

「あなたがこのまま大人になって、実社会に出たら食い物にされるって言いたいんですよ。あなたのように優れた容姿の持ち主が、そんな性格をしていて標的にならないわけがない」

「そんなこと言われても……」

「あなたは有能な人間です。でもあなたを害する人間を遠ざけることができない」

「私の友達はそんな人たちじゃありません」

「この学校にいる間はそうでしょう。でもいつまでも同じコミュニティーにはいられない。いえ、理屈を語るまえに私には未来が見えます。自分の信念を曲げ堕落したあなたの姿がーー」

 彼女は霊能力者を見据え、こう言った。

「私はあなたのようになんてならないわ。困った人を見捨てーー」

 私は叫んだ。

「この人の言っていることは正しい!」

 彼女は初めて、私を睨みつけた。

 私の心は凍りついた。

「なにが違うの?」

「あなたは自分が思っている以上に優秀な人間なのよ! 誰もがあなたを好きになってしまう。あなたの見た目がそうなの、あなたの人柄がそうなの。女も男も関係ない。まるで物語の主人公みたいに……あの彼でさえあなたを想い続けているのよ」

 彼の日記を盗み読んだのだ。あのとき私の世界は壊れてしまった。

「この世界はあなたのために存在するの。そんなあなたが幸福を手に入れられないなんてありえない。私はそんな終わり方許せない。だから、だからあなたは……最高のパートナーを手に入れる。どう? そうすればこのお人好しが誰かの悪意で破滅なんてしたりしない。これで未来は変わった?」

 霊能力者は眼を閉じ、しばらく考えている様子だった。

 彼女は驚いた顔をして私を見ている。


 彼女は私にとって太陽だ。

 手に触れることの叶わない象徴。強さと正しさの象徴。


 霊能力者は聖女に問いかける。

「あなたが誰かの提案を真に受け自分の考えを曲げるような性格の持ち主だと思えない」

「……そんなことないわ」

「絶対に? 誰かを見捨てるという意見を耳にして『はいそうです』と答えられる?」

「……それはわからないわ」

 彼女ならそう答えると思っていた。

 霊能力者は言った。

「あなたにとって人生最高のパートナーだとしても耳を貸さない?」

「貸すわ。きっと」


「それが私よ」


 私は顔を赤くしながらそう告白した。

 彼女が返事をするまえに、霊能力者はこう提案した。

「教団のメンバーの記憶を抹消した上で明朝その存在を彼に告げ口します。すぐに組織は瓦解するでしょう。私はこれが正しいと思います」

 彼女は苦しい顔をしてからこう答えた。

「……わかりました。そうしてください」

 そう言ったあと、彼女は私を見てうなずく。

 私もうなずいた。

「お願いします」

「わかりました。この選択を後悔しないでくださいね。……この場所は危険なので私が定宿にしているホテルに泊まっていてください。私の手を握って」

 私は霊能力者の左手を握る。

 瞬間移動だ。私たちは部屋から消えていなくなる。


 ……彼女は黒に染まった。清濁を併せ呑んだ。

 これが一時の迷いなのか、これからもずっとそうなのかはわからない。しかし、

 彼女はあの教祖を卑劣であると断罪し、

 それなのに人殺しの私の罪を看過した。これは不平等だ。もはや以前の誰にでも優しい聖女はいない。

 私にとって都合のいい彼女、私だけをかばってくれる彼女……。私だけの特別な女性。


 気がつけば私たちは薄暗いホテルの一室のすみに立っていた。

 右手がひんやりとした感触に包まれている。

 彼女は私の手を握ってくれていた。

「大人にならないとね、私たち」と彼女は言った。

「エレンディラ……」

 私は彼女の名前を囁いた。


 私はエレンディラのものになった。

 彼女を殺したあの日からずっと。

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