第2話 女子寮にて

②女子寮にて




 彼女を突き落としたそのときからずっと悪夢を見続けている。

 《だが私の見ているこの世界は現実そのものだ》。眼をこすっても彼女の姿は消えてなくならない。確かに殺したはずなのに。

 彼女は自分の身体を眺めていた。亡くなったときと同じ衣装。地上数十メートルの高さからダイヴして生きていられるはずがない。死んですぐに霊として蘇った……。

 幽霊なんて私は信じない。だがこの現象を目の当たりにして信じないわけにはいかない。

 彼女は私に復讐するためにこの姿に変わった。

 私にその姿が見えるのはそのためだ。

 ……今の彼女は化け物だ。私が殺したからそうなった。

「ゆ、幽霊?」「うん、そう。なっちゃったみたい。気がついたらこの身体になっていたの。死んだ瞬間のことは憶えてないけれど……なんだかふわふわするわ」「わ、私が殺したんだ……。あなたにはなんの罪もない。邪魔になるから……私が彼と交際したいから」「それは知っている」「……」「生前彼に声をかけられたもの。私はお断りしたわ!」「……そう、あなたならそうするでしょうね。」「それはわからない。それはともかく今すべきことは私の死体を隠し事件が発覚しないよう努力することよ」「?」「いつ死体が見つかり事件が発覚するかはわからない。それに明日の朝私がいなくなったら騒ぎになるわ。明日友達と同じ馬車に乗って地元に帰るつもりだったから。上手く断る手段を考えないと」

 彼女は私に協力してくれるようだ。彼女は真剣そのもの。

 被害者が加害者に手を貸す? 遺体を隠匿する工作を一緒になって考える?

 ありえない。

「ともかく寮に帰りましょう」「どうして私に手を貸してくれるの?」「だって、あなたは彼と結ばれたいんでしょ? そのために私を殺したんだから……」「もっと生きて楽しいことがあったはずでしょ? 友達と話をして、遊んでーー」「私のことは大丈夫。もう死んでいるんですもの。生きているあなたのことのほうが大事でしょ?」「どうしてさっき会ったばかりの私のことなんかーー」「私はずっとあなたのことを見ていたのよ」

 彼女は決して仲間はずれをつくらないのだ。私のことをずっと観察していた。髪型を変えたことも、大勢の女子生徒に囲まれていたことも、ずっと彼のそばにいたことも知っていた。

 同じ学校にいても、どこか別の世界で生きていると思っていた。

 ただ話をする機会がなかっただけで、私たちは互いに意識しあっていたのではないか。

 もっとまえに話をしていたら……こうはならなかった。

 殺したあとに気づいてしまった。


 学校の女子寮。私の部屋。寝室。

 私は疲れ果てベッドに腰をかけた。

 彼女は物珍しい顔をして部屋を見渡している。

「彼と婚約したいのは、家庭の都合?」

「いえ、私の意思よ」

 彼の愛を手にすることが私の人生の勝利を意味する。

「あの人のことが本当に好きなのね。……私そういう感情がよくわからない。男の人のことはそういう眼で見られない。これって変?」

 彼女は真面目な顔をして考えこんだ。

 彼女だけは例外だ。この子だけは俗世間のルールの外に置かれている。

 この聖女は生まれついての善側の人間で、決して悪落ちなんてしない。

 私のように計算で動かない子だ。彼女は感情で動く。だから殺した私を救おうともがいている。

 彼女はドアをノックする音にビクリとした。幽霊なのに怖がる側に回っている。年齢不相応に幼い反応もまた彼女の魅力の一つだった。

「隠れて!」

「なんで?」

「私のようにあなたの姿が見える人がいるかもしれない!」

 彼女が別室に逃げこむと同時にドアが開いた。

「鍵がかかっていない。不用心だな」

 その少女は薄笑いを浮かべ私の部屋に侵入してきた。

 澱んだ眼をした同級生。

 少女は寝室を見渡す。

「私のことは教祖様と呼びなさい」

「教祖……?」

 教祖(?)は続けて言った。

「あなたは見事に事を成し遂げました。あの女を崖から突き落としましたね?」

「!?」

「隠そうとしても無駄です。教団の配下が目撃しています」

「目撃……」

「教団について説明が必要なようですね。我々が信仰しているのは神でも悪魔でもなく彼」

「彼? つまり私の恋人の……」

「恋人! 違う違うそうじゃない。彼と結ばれるのは私! 大体あなた、キスすることもできない女友達の関係でしょう? 一体何様のつもりかしら……」

 教祖は笑った。

「それは……」

「私は違う。……いや私たちか。私たちはひたすら彼のことを思って、彼を称えるために活動を続けてきました。もちろん密やかにですよ……。彼は最高の男です。理知的で、敗北を知らず、爽やかで、誰からも好かれて……そして顔がいい。この世に彼以外の誰かを祭り上げる必要があります? だから彼を神としてあがめる宗教を立ち上げた。私が神の座に彼を据えた。教義は二つ、『彼に無償の愛を捧げること、彼自身には関わらないこと』学園の内外に大勢の崇拝者がいるのです。資金力も組織力もあなたが今想像している以上の規模ですよ」

 この人……イカれている。

「……彼のことを知っている人間なら誰だって彼に神を見るでしょう?」

「そのことを彼はご存じ……」

「そんなわけありません。組織の秘密は徹底して守られている。彼がもし我々の教えを知ったら、全力で潰しにくることはわかっていますし……」

「……彼の意思を理解しているなら、そんな異常な集まりはやめるべきでしょう」

「愛とは身勝手なものです」

 頭が痛くなってきた。

 こんな輩が暗躍していたとは……この学園は伏魔殿がすぎる。私が言えたことではないが。

 そういえば、

「あなた私が彼女をーーあの聖女を殺したことを褒めましたよね?」

 狂信者は言った。

「ええ。だってあの女に彼は好意を抱いている。ふっ、なにが聖女……。そんな呼び名が流布していることは知っています。まったく許しがたい。彼以外の人間がこの学園で個性を発揮するなんて許せない。彼と結ばれていいのは教祖であるこの私ただ一人。いずれ抹殺するつもりでしたがあなたが手を下してくれるとは重畳」

「……確かに私は殺しましたが、それは私の利益のためであって」

 教祖は私の言葉を手でさえぎる。

「いいの! いいのよあなたは。立派にお役目を果たしてくれました。婚約者気取り……彼にとりいるために努力を重ねてくれました。この二年間、彼に近づく女性を排除し続け……我々にとって邪魔な虫を追い払ってくれた。彼本人にとってあなたは珍しい異性の友人でしかなかったのに……」

 私はその言葉をきいても、大きなショックを受けなかった。知っていたからだ。

「あら、驚かないんですね。ま、先週彼の寝室をおとずれ追い返されましたし、その点はしっかり理解されていたみたいですね」

 私はこの教祖の言葉をきいているうちに、醒めてしまっていた。

 彼に対する情熱というものが、自分のなかで本物ではなく偽物だったということに気づいたのだ。

 彼のことが嫌いになったわけではない。

 この教祖が言うように、彼は完璧で完全な男性なのだろう。

 だがもう、彼の所有権を主張する気はおきない。最前そのために人一人手にかけたというのに……。

 彼女が足音を殺し部屋に入室していた。その顔は教祖への怒りに震えている。

 気づかぬ教祖は戯れ言を宣い続ける。

「あなたを教団の人間として認知しましょう。あなたが『はい』といえば取引は成立します」

「取引?」

「あなたをここから逃がしてあげると言っているんです。確実に。もちろん金銭的援助は惜しみませんよ」

 そう言って教祖は私の足下に財布を放った。

「いりません」

「あら正気? 私が合図したら配下があなたの身体を拘束します。逃げ場なんてないわ」

 彼女はカーテンに頭をつっこんでいた。私を見ながら外に三本指を立てる。三人だ。

 教祖の配下が建物を囲んでいる。この人は妄想を口走っているわけではない。

「殺人罪よ。あなたが裁判でさらし者にされて監獄でどんなあつかいを受けるか……そしてどんな終わりを迎えるか……。あなたの一族にも累は及ぶでしょうね。今ならまだ撤回できるわよ」

「しません。あなたの提案にのるくらいなら聖女を殺した罪を受けいれます。それが私の選択です……というか、あなたにとって私を逃がすことになんの得があるんですか?」

「……死体を渡して欲しいのよ。崖の下を捜索させていますが未だ見つからない。死体がなければ事件として成立しないじゃない。どこなの? あの短い時間で上手く隠したものね」

「死体……」

 彼女の死体が見つからない。

 こんな夜遅くに見つけられないのは不自然なことではない。朝がきて人数をかけ捜索すれば……。教団としては日中人目のつく場所で活動することは避けたいのか。

「彼を汚したあの女の死体よ。辱めてやりたいところだけれど、この事件はあなたの単独犯じゃないといけないからそれは我慢してあげる……」

 この人はわかりやすくクズだ。

 お陰で迷わずこう口にすることができた。

「どうしてあなたは彼にアプローチしないの? 私が邪魔者なら排除すればいいじゃないの?」

 私が今までそうしてきたように。

「あ、あなたと違って知恵が回るのよ!」

 一瞬言い淀んだ教祖。

「仲間内でカーストつくっている暇があったら……彼と恋仲になるための手段を模索すべきでしょう? 誰かと価値観を共有していないと不安なの?」

 教祖は額に青筋を立てキレる。

「黙りなさい! 説得が通じないのならここまでの会話は《忘れてもらう》!」

「どうやって?」

 教祖は手を挙げ叫んだ。

「仕事の時間よ! きませい!」

 部屋の外にいる誰かに対する合図?

 そう、私にむかってわざわざ自分たちの秘密を暴露してどうするのだ。

 私はこれから殺人事件の容疑者として取り調べを受ける。

 学園内外に蔓延る教団について話す時間はたっぷりある……。

 教祖には人間の記憶を操作する手段があるとでもいうのか?

 部屋に入ってきた白い服を着たその女性は、私も知っている有名人だった。

 ここ数年国内でさまざまな事件を解決してきた霊能力者。

「霊能力者様! 発揮する能力は治療・千里眼・記憶操作など多岐にわたる! 依頼金は高額ながら富豪・国家機関などからの依頼はひっきりなし!」

「この人に私の記憶を消してもらうつもり?」

 私は身動きがとれなくなった。


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