オリンポスへと登る者

pt.1 実はバスジャックは和製英語

 運寿結運(うんじゅ ゆう)は都営バスに乗っていた。目的地は図書館である。大学のレポートで必要な参考書を探していたのだ。

 こんな暑い休日に動きたくないのが本音だが、今日まで手を付けていなかったのも事実。期限に間に合わせるために外出する外なかった。

 今の御時世、AR機器を用いれば、大抵のことはなんだって出来るが、結運が選考する民俗学の今回のレポートはネットに出回っている情報では不十分でネットに載っていないような古い文書を探していた。結運が目指している図書館にはそんな古い文献が保管されており、大学生が特定の時期にだけ使用できるのである。かくいう結運もレポート期限三日前から貸出不可になるのを知っていたため急いでいた。

 なにせ今日がその貸出最終日なのである。

 結運が乗っているバスは結運が降りる停留所の二つ前で止まっていた。

 しかし、結運が乗るバスはピクリとも動こうとしない。既に十分以上は経っていた。乗客はおろか誰も降りる気配はない。

 だが、原因が分からない訳でもなかった。十中八九、扉前にいる白いフードの集団が原因だろう。

 なにやら運転手と揉めているらしい。乗客に配慮してか小さな声で会話しているが、運転手の慌てようといったらただ事ではなかった。

 瞬間、

 バーーーーーーン!!とバスの静寂を砕く一打が打たれる。

 続けざまに乗客の激しい悲鳴が起床ラッパのようにけたたましく鳴った。

 集団の一人が運転手へむけて短機関銃を発泡したのだ。運転手は血飛沫を上げながら痙攣している。見るからに即死だった。

 「乗客の皆さん、ごきげんよーーー!私、反ラプラス組織『天使の庭』に所属するウェイスト・ストライヴでございまーーす」

 バスのスピーカーから中年男性の声が聞こえる。発信者は『天使の庭』と名乗る集団のリーダーらしき存在だった。

 「『天使の庭』?聞いたことある?」「知らない知らない。新手のカルト宗教かな」「ねえ、ドッキリだよね。運転手さん死んでるように見えるんだけど」

 乗客がざわざわと話し始める。幼稚園児ぐらいの子どもはひどく泣いている。

 それは無理もない。結運も近くに友達がいたら抱きついて泣いていた。

 「お静かに。ご安心ください。我々はなにもすぐ殺そうなんて微塵も思っていませんから。我々の目的は......そうですねえ、そこの高校生」

 ストライヴは付近の高校の制服を着た少年を指差す。

 指を差された少年は「俺ですか?」と戸惑いながらあたりをキョロキョロ目配せしていた。

 「そこにはあなたしかいないでしょう。それでは質問です!」

 「は、はい」

 「あなたはラプラスをどう思いますか?」

 「えっ、ラプラスって。あの黒いモノリスの?」

 「いかにも。君がおっしゃっる通りの人工知能です」

 「そりゃあラプラスには感謝してますよ。俺の人生考えなくても幸せに向k......

 少年がラプラスについて語っている途中だった。気がつくと、ストライヴは少年の目の前へと接近しており、音を置き去るかのごとく少年の顔面に右ストレートを入れた。少年の顔はひしゃげて鼻から血が止まらなくなっている。

 あまりの激痛に少年は床にうずくまり悶絶していた。

 「シャラーーーーーーーーーーーーップ!!!!!。だまりなさいだまりなさい。あなたのような無知で屑で傲慢なゴミがいるからあんなラプラスなんて虫けらが讃えられるんですよ」

 間髪入れず、脇腹へ何度も何度も足蹴りを食らわせ、少年は嗚咽を漏らす。

 いつしか悶え苦しんでいた少年は動かなくなった。ストライヴのコートは真紅に染まっている。

 「おっとやりすぎました。お前ら片付けておけ」

 後ろに待機していた部下に命令して、ストライヴは再びこちらを覗く。

 「彼はなんにも悪くありません。悪いのは全てラプラスです。さしずめラプラスは女王蟻と言ったところでしょうか。それであなた達は働き蟻。女王蟻に従順なあなた達はいのままに生きていて、我々『天使の庭』のような人がその働き蟻を潰す。そこら辺の歩道でよく見る光景じゃないですか」

 あっはっはっとストライヴは高笑いする。

 もう誰一人喋る者はいなかった。

 「さて、次は....あ、そこのレディ」

 ストライヴは結運へと指さした。

 こういう状況の時、誰しもが『自分はありえない』だとか『自分は特別だ』って無意識の内に思ってしまうらしい。例に漏れず、結運もそう信じて止まなかった。

 しかし、現実は残酷で、ストライヴは真っ先に結運に狙いを定めた。

 ストライヴが結運を選んだ理由に特段変わったものはない。偶然視界に入ったからだ。

 「あなたにも質問をします!ラプラスについて、どう思いますかね?」

 さっきの惨劇を見れば、ラプラスについて拒絶すれば危機は免れる話だろう。しかし、結運の口は緊張と恐怖でコンクリートで固められたかのように動かなかった。

 何かを察したのか突然、ストライヴはうんうんと頷く。

 「そうですか、あなたも彼と同じ働き蟻でしたか。それでは来世に期待してくださいね!」

 ストライヴは結運に向けて少年の血で汚れた右手を振りかざした。

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