pt.3 カラスってなんか黒くてかっこいいよね!

 百合は美術部員の描く様をただ眺めていた。飽きていたのである。来た最初は隈無く観察していたが、無と言っていいほどの平凡さに加え、黙々と励んでいる部員の中で歩き回る羞恥心。気がつけば、部長である男にもてなされていたのだ。

 百合が強烈な睡魔に襲われようとした瞬間、

 「百合!」

 「は、はい!メフカ姉さん。美術室に以上はないです」

 メフカのドスの効いた声が響き、美術部員全員がメフカの方へと振り向く。

 「またあなたですか?いい加減にしてください。本人の目の前で言うのも悪いですがこの際はっきりさせていただきます。あまり周りで動き回られると制作の迷惑です」

 「うっ、すみません」

 百合は反射的に謝る。

 メフカはそんな言葉はまるで聞こえないかのようにスタスタと中に入る。

 「百合、ついて来い」

 「はい」

 メフカね向かった先は完成した絵をしまう収納する用具室だった。

 その中の大事そうに丁重に布が敷かれたキャンバスを荒々しく取り出す。

 「百合、切り裂け!」

 「了解です!」

 百合はメフカに対して異様な執着を持っている。それは博愛で、溺愛で、狂愛で、偏愛。

 本来なら外道と言わざるを得ない行為でも、「メフカのため」ならば、百合の中では全て正当化される。

 「やめろーーーー!!!!!」

 「へっ?」

 百合は素っ頓狂な声を出す。

 部長の怒号に驚いたのではない。。それは疎かキャンバスがメフカの手元から忽然と消えているのである。

 「やっと正体を表してくれたか。結標航くん。」

 メフカが睨むその方向。そこにはキャンバスを大事に抱く部長、結標航の姿があった。

 キャンバスの絵は苦悶に満ちた表情を浮かべる学生。それは早朝の死体、三上龍に瓜二つだ。

 「よくもよくもよくもよくもよくも俺の絵を壊そうとしやがって!!!この絵の価値も分からん薄らとんかちが!それに俺の本当の名前知ってるってことは。お前ら、ラプラスの犬だな!」

 「ぶ、部長。いきなりどうしたんですか!しかもその絵?」

 「黙れ!」

 音は無かった。しっくいでできた白い壁に慌ててた部員が埋もれるまでは。

 スピーカーが故障したかのようなけたたましい叫び声が美術室に広がった。

 あれよあれよと廊下からも人が覗いてくる。

 「どうやって気づいた?」

 「油絵の絵の具だよ。君のような荒っぽい性格だからその絵の具やテレピンで汚れたつなぎのように死体周りのタイルにも飛び散っていたんだよ。ARで再現されていたから分からなかったが、もしかしたら死体にも付着してるかもな。この美術部で油絵専攻はお前しかいない。一芝居打ったらすぐに化けの皮が剥がれた。随分簡単な推理をさせてもらったよ」

 結標は壊れん限りに歯ぎしりをする。

 「しっかし気色悪い絵だね。ムンクの『叫び』見てる方がマシなんじゃないか?」

 「はあ、これだからは芸術センスの欠片もない屑なんだ。人の苦悶の表情は素晴らしい。それも死ぬ間際だ。助けを求める悲痛な声。殺そうとする俺を見るあの憎そうな顔。苦しくてバタバタと動かす惨めな体。何から何まで俺の肌に直接伝わってくる。だからラプラスは俺にこの能力を植え付けたんだ。『フィラデルフィア実験記録』は芸術をする上でこの上ない異能だ。君たちのような屑には一生分かりえないことだろうけどね」

 話し終えた結標は光悦な表情を浮かべキャンバスをなぞる。

 「言いたいことはそれだけか。どうでも良すぎて雑音にしか聞こえなかったが」

 「さっきからうるさいなあ。まあこんなとこで話しても時間の無駄か。これで俺はお暇させてもらうぞ」

 結標が手を掲げた次の瞬間、

 「『飛び込め!』」

 廊下に群がる生徒や先生を縫い、数多のカラスの群れが結標に飛びかかる。

 「邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ!!」

 結標は掲げた手をカラスの群れに向け、指で空中へとなぞる。

 すると、散らばった羽根を残して全て消えていた。

 「カラスが消えちゃいましたよ」

 「私はね百合、カラスがどこで何をしているのか手に取るように分かるんだ。だから今消えたカラス共がどこに移動したか瞬時に頭に入ってきたんだ。

 百合は額に冷や汗を浮かべる。

 顔には出てないがメフカも内心焦っていた。

 まさかのここまで異能に磨きがかかっていたとは。

 「ご名答。正解したついでに教えてやるよ。おれは自分より質量の小さいものならば、視界で捉える範囲へ移動させられる。勿論、俺より大きいものも可能だがな、それなりに.....おっと余興が過ぎたな。じゃあなラプラスの犬」

 なんの音もなくキャンバスと共に結標は消える。 

 「どうしましょう!メフカ姉さん。」

 「安心しろ。学校周辺にもカラスを敷いてあるし、ゲーリケとヌルを呼んでおいた。私から逃げられると思うなよ」

 「メフカ姉さん.....顔、怖いです」

 メフカはニヤけた頬に触れて空咳をする。

 「ま、まかせておけ。奴が落ちてきたら百合の出番だからな」

 「了解です。って、落ちてきたら?」

 「ああ、奴は今上空を飛んでいる。いや落下し続けていると言った方がいいだろうか。自身を何度も瞬間移動させて高度を維持してるようだ」

 メフカは片目を閉じる。結標を囲むカラスの視界を共有したからだ。

 「ヌルとゲーリケにはまだ気づいていないな」

 「よし、作戦通りにいくぞ。百合。校庭に行っていつでも異能を使えるようにしとけ」

 「はーい」

 百合は脱兎のごとく校庭へと向かう。

 「私も外へ行こう。学校関係者の皆さん。危険ですので避難していてください」

 動揺して誰一人動こうとしない。

 突然消えた部長。壁に埋まってた微動だにしない部員。カラスを手懐ける女とその連れ人。

 機械に愛された娘マキナを知らない人からしたら呆然と立ち尽くすのも無理はない。

 メフカが玄関にたどり着くと、結標はメフカを見下ろしていた。

 「『参番隊、突っ込め』」

 「何度しても無駄のことを」

 「『爆ぜろ』」

 「はっ?」

 メフカが『爆ぜろ』と唱えた瞬間、カラスが勢いよく肉塊へと変わる。

 「このサイコパスがっ!」

 結標は五十フィート右に離れた位置に移動した。

 「害鳥を有効活用してんだよ。それに私はカラスを愛してる。『肆番隊続け』」

 「さすがに逃げるか。キャンバスに傷が付いたらとんでもない」

 手に力を込め遥か先に佇む山へと瞬間移動しようとする。

 逃げられる、と百合は内心焦ったが、その焦燥感は杞憂に終わった。

 結標は消えるどころかよろめきあらぬ方向へと飛び、今よりも数十メートル上空へと飛んでいった。意識はまだ残っているようだ。

 「クソがクソが!どうして...転いっ出来ない......」

 「お前の瞬間移動は実際のフィラデルフィア実験の時、テスラコイルを用いて磁場を発生させたように自分の体から特殊な磁場を発生させる。仮に何らかの邪魔が入って発生させた磁場の威力を見誤ったら?答えは単純。磁気閃光などの知覚症状が起きて異能なんか使ってられなくなる。まあこの声を聞いてる暇もないようだがな」

 結標が飛んでいた高さはおよそ十メートル。学校でいえば、三階に値するほどだ。

 自由落下する結標の体が落ちた時の衝撃は一溜りもない。

 「あひゃーこれは怖いですね。富士急ハイランドもびっくりだわ。それにしてもゲーリケさんもメフカ姉さんと一緒でゲスいですね」

 百合は眩しい陽光を目で遮り、結標を逃すまいとじっと見つめる。

 「百合、気絶するくらいに殴っていいぞ」

 校庭に駆けてきたメフカは百合に向かって叫ぶ。部活に励んでいた運動部がちらちら見てくるためメフカは少々恥ずかしかった。が、落ちてくる結標を見た瞬間、たちまち学校内へと走り出した。

 「よーし行きますよーーーー『凝縮された渦巻き』」

 片桐百合の持つ異能『凝縮された渦巻き』は、直径1メートルほどの疑似ブラックホールを作り粘土のように扱えるのだ。

 「ギリギリまでブラックホールで近づけて、包むようにブラックホールで押さえつける!」

 ブラックホールの時速は約三千二百万キロメートルと言われており、普通なら人が吸い込まれたら一巻の終わりだ。しかし、これは百合が作った疑似ブラックホール。質量から速度まで自由自在なのである。

 「さーて、よくもメフカ姉さんをあんなにも罵ってくれましたね。ひとつ面白い質問をしてあげましょう。このブラックホールを手に纏わせて殴るとどうなるでしょう?」

 「やめろ」

 百合はただ無言で近づく。

 「やめろ」

 また一歩

 「やめろ」

 また一歩

 「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」

 「そんなんしたら私の腕がもたないでしょ」

 結標の右手にブラックホールがくっつく。

 刹那、吸い込まれた右手は枝分かれした桜の木のように破裂した。

 「あーあこれじゃ絵なんか描けませんね。ざまあみろ」

 苦しみに悶えた挙句、白い泡を吹いて固い地べたに顔を突っ伏す。

 「無事か!百合」

 「はいメフカ姉さん。怪我もなく対象を排除しました」

 「よくやった、と言いたいところだが、あの腕を見てしまってわな」

 「血は全部ブラックホールに吸い込みましたよ」

 「そういう事ではない。識別名『凝縮された渦巻き』」

 校門の方から百合を叱責する声が聞こえた。

 校門の方へ振り向くと、そこには一人の黒人と丸々とした機械がいた。

 黒人の名前は、名前の言って正しいかは定かではないがヌルと呼ばれている。細身だが少し筋肉質な高身長はアスリートやボディビルダーで見かけるが、彼の最も注目する点はその顔だ。頬から額にかけて針金のような金属製の棒が刺さっている。本人曰く、ファッションではないらしい。詳しい話は誰も聞かない暗黙の了解となっていた。

 もう一人はオットー・フォン・ゲーリケ。常に宇宙服を膨張させたような防護服を身に纏っている。丸々とした形が愛らしいのでラプラス近衛兵のマスコットだ。

 言うまでもないが彼らも機械に愛された娘マキナである。

 「ヌルか。ここまで来てくれて感謝する。それにゲーリケも手伝ってくれてありがとな」

 「いえいえーちょっと異能を使っただけなんで」

 「それよりも。識別名『フィラデルフィア実験記録』の腕を破壊しやがって。治るか分からんぞ」

 「うへへ、そんな褒めなくても」

 百合は気恥しそうに頭を掻きむしる。ヌルが怒っているのに微塵も気づいていなかった。

 「またラプラスの中に戻りたいか」

 「あ?黙れよ冷えたコーヒー豆。私のブラックホールで炒ってやろうか」

 「やめろ、百合。結標航の身柄はそちらで頼む。警視庁の佐藤さんには私から連絡しておく」

 「任せろ」

 「メフカ姉さん少し気になったんですけど、なんであの時なんで瞬間移動できなかったんですか?」

 「それはだな」と、メフカが解説を始めようとすると、

 「それに関しては僕が説明しますね」

 興奮気味にゲーリケが語り始める。

 「僕の異能の『マグデブルクの半球は傾いた』は真空空間を作って真空放電を出したりラジバンダリって感じです。それで、結標航の周囲の磁場を荒らして『フィラデルフィア実験記録』を暴発させました」

 「そういう訳だ。腕を崩壊させるなんぞ蛇足だったんだよ」

 ヌルに正論を突きつけられて百合は何も言い返せない。

 「まあ加減はこれから覚えていったらいいじゃないか」

 メフカのフォローにゲーリケもうんうんと頷く。ヌルは不機嫌なままだ。

 校門前でだべっていると、教師が続々と押しかけてくる。警視庁関係者だと証拠付きで掲示したらすぐに納得してくれた。

 メフカは空を見上げる。

 青かった空は夕日が真っ赤に染め上げている。

 「百合よ。今日の夕飯は外食でもしよっか」

 「ほんとですか!じゃあ叙々苑で」

 「それはヌルにでも頼め」

 事件は校内の生徒による殺人事件として一躍話題になった。機械に愛された娘マキナという単語は一言もでずにイジメや喧嘩などと勝手な憶測がかけられていた。少し立てば世間は事件を忘れ、日々の猛暑にうなされていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る