第62話

 これ、というものは挙げられるが、決め手がない。そして交響曲の問題、それは人数が多すぎて、何度も何度も確かめられないこと。もしこれが自分のためだけの楽団であれば、気の済むまで何度も擦り合わせればいい。しかし、二〇人を超えるものである以上、さすがにそんな手間はかけることができない。


 一度くらいは、もしかしたら混ぜてもらえるかもしれない。しかし、そもそもがみな、『新世界より』を演奏するわけでもない。その中に、『香水を作りたいから、一度やってみましょう』など、言えるわけもない。


 となると、ピアノ。ヴィズ・イリナ・カルメンの三人は、ブランシュが申し訳ないと思うほどに協力をしてくれる。しかし、頼るのはいいとして、あてにしてはいけない。親しき仲にも礼儀あり。


 深く悩めるブランシュを、ニコルは一旦落ち着かせようとする。


「贅沢な悩みなわけね。たしかに、空腹より満腹の方がキツいのと一緒ね。ま、今回は一週間ていうの延期させてもらったから、時間はある程度余裕ある。ゆっくりやりましょ。やりたくてもできないわけだけど」


 常に楽観的に。ニコルはダメでもいいと考えているし、そもそも自分の役割なのだからという負い目もある。そのためにブランシュに無理はさせたくない。


 だが、当のブランシュは、憧れの人との一縷の繋がりを得て、適当なことなどできないとしている。未熟なことはわかってはいる。それでも落胆などさせられるわけがない。


「とはいえ、少し焦らないわけにもいかないですけど。時間ができたとは言っても、一ヶ月も二ヶ月も延びたわけでありませんし、どこかで決断しなきゃですからね」


 頭の中では『新世界より』のメロディが流れる。第一から第三で作るというのは、ない。一番有名なあのフレーズは、第四楽章なのだから、外しては意味がない。だが、第一から第三も全て、ドヴォルザークを語る上で欠けてはならないピース。それにイングリッシュホルン。この曲はどうしても必要になる。ホルン……当然知り合いなどいない。迷惑もかけられない。となると、そこはピアノでカバーして——。


「はい! 顰めっ面禁止ーッ! 笑えーッ!」


 と、鬼の形相でニコルが、疲れ顔のブランシュの両頬をつねる。痛くならないように優しくだが、これ以上うじうじとするようなら力を入れよう、と決意した。


「にゃ、にゃんでふかいきにゃひ」


 なんですかいきなり。舌足らずなブランシュは、突然きた顔面の伸縮運動についていけず、仰天する。


「作る側も笑顔じゃなきゃ、そしてみんな笑顔じゃなきゃ、この企画は中止にする。あなたを困らせるためにやってるわけじゃないから」


 突然のニコルの言い草に、いや、あなためちゃ怒ってますけど、そう言いたいけど言えないブランシュは、一瞬間を置いた後、コクコクと頷く。

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