おっぱいとおちんちんと詩的表現
先生、やっぱりおっぱいって強いとおもうんですよ。
いきなり何を口にしているのかね、君は。
先生、僕は真剣に考えているんですよ。おっぱいという言葉の強さを。
君はあれだろ。ゼミの後輩の翔子ちゃんに手を出したのは。それで女を知ってそんな下らない思考を巡らせてしまっているのだよ。
いいや、違うんです。例えばですよ。おちんちん。この言葉は強いというより面白いのです。
まず、ちんちんという単語が反復語となっていて詩的です。そこに”お“をつける事で五文字になる。これは日本語として美しい。
おちんちん
おちんちんちん
おちんちん
ほら、川柳になった。このような遊びがおっぱいという言葉にはないのです。それでいて人々を魅了してやまないこの言葉は強いと言えませんか?
君のおっぱいが揺れて
僕の気持ちも揺らぐ
対句法。少し文学を噛ったぐらいで文学の深さを甘く見積もらない方が良い。文学はおっぱいですら包み込む深さをもっている。
先生だめだよ。そんな駄作の詩もどきなんて、おっぱい!!!の一声で吹き飛ぶよ。
白いシャツに隠れたおっぱいを僕は見たい、早く。
倒置法。おっぱいを見たい気持ちを強調しているだろう?これなら君も満足するのでは。
先生、それこそ駄目だ。おっぱいおっぱい、と言った方が気持ちは伝わります。
たわわに実っている、君のおっぱい
体言止めだ。これならどうだ?
それも駄目です。人には人の理想のおっぱいがあります。余計な形容を用いてはおっぱいの魅力を限定することになる。それはミロのヴィーナスに腕をつけるかのような暴挙ですよ。
君の胸についている白い桃のような乳房
当然、このような比喩も駄目か。
当然です。おっぱいの魅力はおっぱいでしか表現できません。
おっぱいがすきです。僕も……
省略はどうかな。
先生、雑になってきてますよね。気づいてますよ。
むしろ、付き合っている私を褒めてほしいよ。
君はおっぱいより文学について考えるべきではないかな。それがきっとおっぱいについて理解を深める事になるよ。
例えば、最初に上げたおちんちん。あれは文学の分野ではよく見かけるものだ。精神構造分析やフェミニズムなんかでは、その表現はおちんちんの隠喩もしくは象徴であると多々言われる。
逆に言えば、おっぱいとはまだ文学的に未開拓な分野でもあるわけだ。文学を突き詰める事で、おっぱいについての造詣も深くなると私は思うがな。
おっぱいを文学するという事ですか。
いや、まあそれでも良いか。一度、本気でおっぱいを文学してみなさい。それが私達という人間の在り方だよ。
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