【第30話】約束
地面に着地しようとするハローィとラナは覚悟を決めなければならなかった。
地上一面はグール一色。
降り立てば一斉に地上のグールたちは襲いかかってくるだろう。
それをハローィは一人で相手にしなければならなかった。
もちろん奥の手がないという訳ではないが噛まれただけでアウトだということは恐ろしいことだ。
地上まで残り十メートル。ハローィは剣を握り直す。
そしてグールの合間にクガクの姿を見つけた。
顔の穴全部から血を垂れ流す彼女はグールにしか見えない。
なんてことだクガクまで…ハローィは顔をしかめた。
「クヒヒ…。かま…、かま…、噛まれては、ないでさぁ…」
不思議なことにクガクはグールたちに襲われなかった。
理由は分からないが目が合っても無視されるのである。
死にかけには興味ないのだろうか?
(ンなことはもうどうでもいいでさ…)
理由は分からなくとも都合は良い。
この状況を利用してクガクは地面からハローィの着地を掩護することにした。
自分は襲われないがハローィは違うかもしれない。
やれることは少ないかもしれないが最期の尽力は第一王子に捧げよう。
グールが動いたら死ぬまで駆けて一体でも多く道連れにしてやるつもりだった。
そして───。
「グルルルルル…」
ハローィたちが地上に近づくと着地地点になるだろう場所からグールたちが退いていった。
まるで私達はあなた方に危害を与えるつもりはありませんと意思表示するかのようにだ。
円状に空いた位置にそのまま二人は着地する。
ハローィは剣を構えていたが襲いかかってくる者はなかった。
「どういうことだ…」
「襲ってきませんね…」
警戒はしたが一定の距離を空けてグールは近づいても来なかった。
一番の懸念であったグールの問題はとりあえず大丈夫のようだ。
これはひとえにゴブルのおかげだった。
彼はこの時点でグールたちに人を襲うなとの命令を出していた。
グールの正体は単純な知能の百足たちである。
例えばラナだけを襲うなと命令しても虫には個人の判別ができなかった。
そのため人を襲うなという大雑把に指示するしかなく、おかけでハローィとクガクも襲われずに済んだのだ。
「クガクちゃん!怪我を見せてください!」
襲撃はないと判断するとすぐラナはクガクに駆け寄った。
致命傷であっても【麗しき織天使】の彼女なら治せる。
しかし「これは…」とラナは絶句した。
クガクの傷周りにはびっしりと阻害魔法の術式が刻み込まれていた。
おそらくは破裂した臓器にも同じようなものが書かれているだろう。
「この術式コードは身体を蝕みながら外からの魔法の効果を阻みます…」
これが何かをラナは知っていた。
これは魔王討伐の旅で幾度となく苦しめられた術式の魔王メリッサの呪いだ。
「先に解除しないと私の治癒魔法の効果は出ません。ごめんなさい、クガクちゃん…」
【至高の魔術師】エリーナでないと解けない高度術式だった。
ラナにはどうしようもできなかった。
「いいでさぁ…」
それならそれでクガクはよかった。
グッと人知れず剣を握りしめた。
思い出すのはすべてがスローに見えたあの時の緑黒髪の男の目。
ラナを見つめていたあの目は恋慕の色を宿していた。
きっとあの男はラナに惚れている。
(命を救われるなんて…、そんな恩を受けちゃ私も殺せなくなってたでさ…)
目の前に厄災の元凶の想い人がいる───
ラナ様よ、聖地がこうなったのはアンタに原因あるんじゃねぇのか?
(クヒヒ…。っぱ、お前は悪女でさぁ)
クガクは最期の力でラナを殺すことに決めていた。
【織天使の致死否定】を持つ聖女とはいえ心臓を剣で刺せば即死する。
【選ばれし者】が意味不明なタフネスを発揮できるのは魔王相手にだけである。
なぜか蘇った術式の魔王に守られた謎の男。
あれにはもう刃は届かない。
(でも、私達の剣はお前の大事な者を殺せるでさ…)
巡り巡れば第一王子のためでもある。
こんなやつ王妃にしてはならない。
殺す!倒れる勢いで突き刺そうとした。
「大丈夫か…!」
姿勢を崩したクガクを正面から支えたのはハローィだった。
(第一王子…、そこに立たれちゃ刺せないでさ…)
ハローィはクガクの思惑に気付いてはいなかった。
そうなったのはただの偶然、ただの優しさだった。
大きな剣だ。やろうと思えばハローィごと貫けた。
もちろんそんなことできる訳ない、思わず「クヒヒ…」とクガクは笑ってしまった。
失敗か。
失敗したならそれはそれで、清々しかった。
自己他者ともに評価の低い第一王子ハローィ。
多くの者は第二王子グローディアこそ次期国王に相応しいと評価し口にする。
しかしクガクは彼こそ王に相応しい男だと信じている。
この地獄のような窮地を経てハローィは大きく成長した。
以前までの温室育ちの坊っちゃんはもういない、立派な王の面になった。
リバルと共に愛した王子。
「【六角王の栄剣】全員に約束しよう。私は生き残る…、そしてこの国の王となる。約束だ、クガク…!」
これ以上なく嬉しい看取りの言葉だった。
真っ直ぐとした目は濁り一つない。
あの小さかった第一王子がここまで…。
これから何があっても彼は乗り越えていくことができるだろう。
ラナを突き刺すためだった力は、大きすぎる剣を抱きしめるために使われていく。
ギュ。
体温が急激に下がっていたクガクには剣が暖かく感じた。
あの日寒かったとき組ませてもらった腕のような優しい暖かさ。
戦争孤児だった所をリバルに拾われて、ここまできた。
この死に方は?
あの頃の自分にそう言われた気がした。
クヒヒ…
「さ、最高で、さ…。ね、団、長…───」
目を見開いたままクガクはハローィの胸の中で事切れた。
◆
周囲のグールたちは走り始めて大教会の中へ流入し始める。
内から強行ラスを攻撃させるためゴブルから出た指示だった。
マヤテラはどんどん欠けていっている。
もうじき怪物たちの決着はつきそうだ。
教皇ラスは攻撃をとめどなく放っている。
激戦区で残った人間は聖女と第一王子の二人だけとなってしまった。
「私は多くを失ってしまった…」
ゆっくりとクガクの遺体は地面に降ろされた。
埋葬してやりたかったがこの状況ではどうすることもできない。
教皇ラス。グール。巨人マヤテラ。蘇った術式の魔王。元凶。
仇を取るには連なる相手が強大すぎた。
ステージに立つには次元が違いすぎる。
「やはり必要になりますね、あの兵器が。ハローィ…」
「ラナ…」
ラナとハローィはパラレア大教会最上階で教皇ラスに吸収され一体になるよう強要された。
それから逃げるために地上へ降りてきていたのだが、ラナには目的はもう一つあった。
「怪物となった父を倒すために手にするのは悩みましたが私達には他に道ありません…」
聖地フェザーの地下では非人道的な信者を使った人体実験研究が行われていた。
そして大昔の魔王の残滓を利用した兵器開発も秘密裏に行われていた。
「かつて人類の4分の1を屠り去った魔王がいました。歴史上最も人を殺した最強最悪の魔王です。その魔王の力を宿す兵器が大教会の地下に保管されてあります。それを扱いこなせるのはきっとハローィ、あなたです」
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