十六話

 晴乃は黙っていた。彼女の話に耳を傾けながら、自分の過去を振り返る。かつての自分もまた、遥と同じような感覚を抱いた事がある事を思い出した。


「お従姉ねえちゃんが普通の人と少し違う人になっちゃったのは、その小学生の頃の体験のせいだよね・・・」

というか、それしか考えられない。遥は、言った。


「一体何をされたの? 担任の先生に」

晴乃は訊かざるを得なかったが、

「ごめん、それは言えない」

今のあたしの口からは、と彼女はきっぱりと断った。


「でも、すごく生々しかった。あたしにその体験を話す時、笑顔で語るから、余計に生々しく感じられて。放課後の教室で、何故かお従姉ねえちゃんだけが居残りさせられて。ドリルの進捗が遅いからって。本当に遅かったのかは分からないけれど。・・・でも、あたしは、絶対にそんなことなかったと思う。だって、お従姉ねえちゃん頭も良かったし」


話しながら寒気を感じたのか、遥は肘をさすった。


「純粋で大人の事情を知らないような小さい頃に受けるのと、成長して大人の事情を分かってから受けるのとでは、次元が違うよね」


何を、受けるのか。彼女は明示的に口にしないが、何も問題はなかった。晴乃は理解できている。


「だって、当の本人さえはっきりと自覚できていないから。自分が少し変わっていることは分かっていても、どう振る舞えば良いのか分からないから」

「・・・」

晴乃は沈黙を破ることなく、耳を傾けていた。

「何て言うのかな。全くの外側から突然壊されちゃったんだよね。お従姉ねえちゃん。自分の意思とか責任とか全く無関係なから。それがなければ『普通』の小学生の女の子だったのに・・・」



 静寂が晴乃と遥の二人を包む。店内には落ち着いたジャズが流れているにも関わらず、晴乃の耳には何も届いていないようだった。

 彼の心臓の鼓動は速くなっていた。両目を指先で押さえる。深く溜息をつき、気分を落ち着かせた。

「お従姉ねえさん、家の人には相談しなかったの?」

 晴乃は、ようやくそれだけ言えた。

 遥は小さく頭を縦に振る。

「お母さん、つまりあたしの叔母に当たる人だけれど、にだけ相談してたみたい。他の人には絶対に言えなかった、って」

「学校には伝えたんでしょ?」

遥はコクンと頷いた。

「学校側は反応あった?」

「調べてはみるけど、確かな証拠がないと、学校としても動くことはできないって。そんな対応だったみたい。」


 一段落つけた彼女は、静かにグラスへと手を伸ばす。

 結局、従姉が担任から受けたは、そのまま有耶無耶になってしまい、例の担任も、その次の年には他の学校に異動になった。と、遥は淡々と語った。

 


「あたしは、お従姉ねえちゃんに幸せになってもらいたい。お金持ちになるとか、有名になるとか、そういうのじゃなくて。お姉ちゃんが、幸せを感じるようになってくれさえすれば」

それでいいの。一通りを語り終えた彼女は、静かにグラスを置いた。

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