十五話

 遥のもとへ梅酒のソーダ割が運ばれてきた。晴乃は彼女が一口飲むを見届け、グラスを置くのを待つ。

 一方の彼女は、物思いに耽るような横顔を覗かせつつ、これから晴乃に話す内容を考えているようだった。注意深く言葉を選ふ必要があるのかも知れない。遥の横顔を一瞥した晴乃は、何となくそんな感覚を抱きつつ、彼女に訊ねる。


「嫌い?」

「・・・うん。もっと正確に表現するなら、怯えの中に嫌いも混じってるカンジかな」

「それはまた、どうして?」


 当然の疑問が口を衝いて出る。彼女は逡巡していた。酔いが回って色んな事を話したくなってしまったとは言え、少し喋り過ぎたかも知れない。そんな表情をしていた。

 遥は、しばし沈黙する。晴乃は黙って彼女の沈黙に付き合うことにした。


「・・・ごめんね。話すとか言っておきながらまた黙っちゃって」

「いいよいいよ。話したくなかったら俺は本当に構わないから」

遥は勢いよく首を横に振る。彼女の長い髪の毛も勢いよく揺れた。

「ううん、話す」



 意固地になる彼女の横顔に、晴乃はどこか懐かしさを憶えた。何故だろう。かつて感じていたけれど、それが何だったか思い出せずに朦朧としている。

 晴乃の想像の中で創り上げられた、ある一つの仮説。強いて言えば、その仮説を思いついた時の感覚に近い。他の人からすれば突拍子もなく、そこまで執着のしない仮説。

 けれど、晴乃からすれば重大で、事実であっては欲しくない仮説。



「お従姉ねえちゃんね」

遥は一呼吸を置く。

「虐待を受けてたの。小学校の時」

担任の先生から。彼女はぽつりと呟く。

 

 晴乃は戸惑いに微笑みを浮かべる。何故、彼女がこのような話を語るのか。内心、少し混乱していた。

「え、マジ? ・・・どうしてまたそんなことに?」

 違う。一番訊きたいことはそんなことではない。何故そんな話を自分にするのか、だ。彼は思った。


「こんな表現は、不謹慎で不適切かもだけれど、お姉ちゃん、小さい頃から人気者だったから」

「・・・」

晴乃は笑みを浮かべていたが、その半分は歪みを伴っていた。

「お姉ちゃんからその告白を聞いたのは、あたしがまだ高校生の頃で、最初は本当にびっくりして」

だって、今までそんな素振りなんて全然見せなかったし。遥は静かに付け足した。


「ただ・・・、」

「ただ?」

晴乃が訊き返す。

「少し違和感は感じてたんだ」

お姉ちゃんに対して、ね。遥は顔を上げ、真っ直ぐにカウンターを見つめる。


「あたしが恋愛相談とかしても、あまりそういう話をしたがらないというか。そもそも、普通の人とちょっと変わってるところがあって、うまく説明できないのだけど・・・」


 自身が感じていることを、どう説明したらよいのか。適切な表現方法が分からず、遥自身ももどかしく、苦しそうだった。



「さっきお従姉ねえさんの性格が良いって話で、『多分』がついたのはそういうこと?」

晴乃は確かめる。

「そうそう」

今度の彼女は、勢いよく頭を縦に振った。

「勿論、常識はある人だよ。礼儀も正しくて、あたしも見習わなきゃっていつも思うの。・・・でも、『普通』の人が素直に喜んだり悲しんだりするところで、何も感じてないんじゃないかって。そんな風に見えちゃう時があって」


 ごめん、やっぱりうまく説明できない。彼女は申し訳なさそうに俯いた。

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