十話

 晴乃はカーナビのタッチパネルを操作し、オーディオボタンを押した。携帯で好きなアーティストを選択し、更にアルバム名を選択する。

 車内に音楽が広がった。晴乃のお気に入りのこの曲は、ピアノの旋律から始まる曲だった。フォレスターは特に大きな渋滞に捕まることもなく、順調に目的地となる駅へと進路を進める。天気は相変わらずの晴天。空は雲一つと無く、どこまでも透き通っていた。

 

 思い出の連鎖は止まることがなかった。様々な時期、季節に付随して、経験した順序に関係することなく、次々に晴乃の脳裏に波となって押し寄せる。彼女は、遥か西の彼方からやって来る。それが決定されたのは、ほんの三日前のことだった。




「晴乃、今日の定時後、時間ある?」

突然のお誘い。

「ああ、今日は特に予定ないし、大丈夫だよ。今度のキャンプの打合せ?」

晴乃が、西野遥に訊ねる。研修の休み時間中でのことだった。

「うん。それもあるんだけど・・・」


 彼女は少しばつの悪そうな表情を浮かべた。しかし、すぐに吹っ切れた様子で、

「ごめん、打合せじゃなくて、あたし個人のこと。ちょっと話を聞いてもらいたくて」

と、自身の顔の前で両手を合わせる。

「俺で良いなら。・・・西野さん、今日は目が赤く腫れてるけど、もしかしてそれと何か関係してる?」

彼女が晴乃に話したい内容を、彼なりに探ってみた。その日の西野遥は、目が腫れているだけでなく、朝からあまり元気がなかった。

「そうです。なので、今晩良かったらあたしとお酒に付き合って下さい」

ペコリとお辞儀をする。

「承知致しました」

晴乃も同様に頭を下げた。そうしながら彼は、今井ちゃんがこのやりとりを聞いていたら、きっとヤキモチを焼かれるかもな、と考えていた。


 二人はオフィスビルから歩いて、十五分程の場所に位置する居酒屋に入った。遥の希望で、彼等はカウンター席に腰を落ち着けた。あまり広い店内ではなかったが、窮屈な印象は受けない。照明は絞られており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。居酒屋というよりもむしろバーに近かった。

「とりあえず乾杯しようか」

晴乃が遥とグラスを合わせる。


「ここね、同期の女の子どうしの間では人気なお店なの」

遥が前を向いたまま言った。

「なるほど。確かに洒落てるね」

 

 晴乃が店内を改めて見渡す。視線を前に戻してから、それで話というのは? という台詞が喉まで出かかったが、すんでのところで引っ込める。遥が、物思いに耽っていたからだ。彼女が話したくなるまで待とう。今宵は彼女のペースに合わせよう。そう、心に決めた。

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