三話

 晴乃はゆっくりと扉を開けた。眩しい光に一瞬目が眩む。いつも家を出る時にそうしているように、つい反射的に左腕の時計の時刻を確認してしまう。

 ところが、陽の光が強く反射して、時間を把握することができなかった。右手を陰にして再び試みようとしたが、すぐにあまり意味のないことだと気づいてやめた。たった今、玄関先の棚の上にある置き時計で、時刻を確認したばかりだったからだ。家の扉に鍵をかけ、鉄製の黒い門扉へと手を伸ばす。ゆっくりと門扉を閉め、左前方の車庫に置かれてある車を眺めた。


 彼は、深呼吸をした。それからゆっくりと瞼を閉じる。それは若干の緊張をほぐすためでもあったし、何よりも複雑な気分を落ち着かせるためでもあった。

 複雑な気分とは、ときめきや期待感、そして幾分かの不安感のことを指す。果たしてこれから自分は出かけるべきなのか、一瞬彼は立ち止まってしまいそうになった。数秒の間、晴乃はそのまま動けなかった。

 けれど、ゆっくりと目を開けると、静かに車のドアを開けた。道が多少混雑していたとしても、十分に待ち合わせの時間には間に合う。スバルのフォレスターを運転しながら、晴乃は頭の中で目的地の駅に着くまでの時間を計算した。

 

 天気は快晴だった。木々は青々と茂っている。彼は前方に目をやりながら、流れゆく景色をぼんやりと眺める。見慣れた風景や、街並み。ところが今日だけは、見慣れた景色が変わって見えるのだった。

「五年か」

晴乃は一人と呟く。それから、ハンドルをゆっくりと左へと切った。




「澤田クンて呼べばいいかな?」

西野はるかが晴乃に問いかける。

「晴乃でいいよ」

晴乃は照れくさい感じがして、顔を少し下に背けた。

「そっか。これから宜しくね、晴乃」

彼女が微笑む。

「こちらこそ」

 晴乃も笑顔で応じた。春に大学を卒業して会社に入り、いよいよ新入社員の研修が始まろうとしている。西野遥、彼女は晴乃の同期であり、席が隣同士となっていた。

 

 後に、彼に『理解者』というものの気づきを与えてくれた人物だった。

 

 同期生は約六十人。研修のために用意された部屋はビルの十五階に位置している。研修期間はおよそ四カ月間。一般企業と比べると比較的長い期間だろう。四月の頭から七月の終わりまで、スケジュール表にはビジネスのノウハウや、業務に直結する専門知識を学ぶための科目がびっしりと記されており、研修終了後、新入社員は各部署に配属されていくのだった。

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