5年前⑬

 その日は学校の授業はないが部活だけはあるという感じだったから、集合は十時くらいで普段の学校への登校よりは大分余裕があった。

 部室で制服から着替えてから、体育館で集合。それからは準備体操と、多少の基礎的な練習からすぐに実践的な練習メニューが始まった。簡単にいうと、ひたすらゲームを交代でやった。

 いつにも増してハードな練習だった。走って投げて飛ぶ。それの繰り返し。  

 僕は昨日に続いてあまりプレイに集中できなかった。ハードな練習だったことも相まって、僕のプレイは酷いものだった。ボールを貰ってはとられる物だから、ボールが僕に渡った時点で舌打ちされていた。多分、頭に巣食った不安の塊が僕の思考と体の動きを微妙にラグらせるのだ。なんだか、自分の体を自分のものと思えなかった。

 そういうこともあって部活が終わるまで、精神的にも肉体的にもかなり辛い時間だった。

 「なぁ、大丈夫か? 優希」

 「ん? ああ、大丈夫だよ。黛」

 黛の言葉に少し遅れて返事をする。部活終わり、黛と二人で帰りに歩いている時だった。夕方の空は茜色に染まっていて、少し切ない雰囲気を感じさせる色をしている。

 「本当に? 部活も集中できてなかっただろ?」

 続けて質問された僕は言葉が詰まった。やはり部活の不調は黛の目から見ても明らかだったようだ。

 「なんか悩みとかあんのか? 俺で良かったら聞くぞ」

 「いや、なんにも…」

 口ごもった僕を見て、黛はなんと捉えたのか分からないが、続けては何も聞かなかった。

 静寂が僕らを包んだ。黛と僕は喋らなかったし周りには誰もいなかったから僕らが靴を鳴らす音しか聞こえない。それがどこか、心地良かった。

 黛は無音が僕らの間に流れても気まずく感じさせない。黛との間には、どちらかが話題を提供しないといけないみたいな暗黙の了解はなく、横にいるだけで良いという雰囲気がある。黛の隣は、安心できて心地良い。

 しばらくして、黛が言った。

 「よし分かった」

 「え?」

 二人とも喋っていない中であまりに唐突に黛がそう言ったから僕は思わず声が裏返った。

 「優希、明日部活オフだからさ。試験も終わったことだし、遊びに行こうぜ」

 「明日?」

 「うん。なんか用事ある?」

 「いや、特に無いけど」

 「じゃ、決まりだな」

 僕が動揺している間に、決まりになったらしい。僕は少しテンションが高くなっている黛を新鮮だと思いながら見ていた。黛からは制汗剤の涼しげな匂いが香ってくる。その爽やかな香りも相まって、普段の大人びた印象の黛からは違った子供っぽい印象を覚えた。

 「どこ行くかは追って連絡するからな。じゃ優希。また明日」

 気づけば僕らは駅にたどり着いていたようで、黛は手をひらつかせながらそう言った。夕陽が黛の横顔を照らしていて、やはりどこか子供らしい笑い方だった。黛もテスト期間だとかで気が張っていて、久しぶりに羽を伸ばしたかったのかと思うと、少し微笑ましい。同級生に使う言葉じゃない気もするが。

 それから、僕は駅舎に入りホームに移動した。ちょうど来ていた電車に乗り込み、周りを見るとこの車両には他に誰もいないようだった。

 僕は普段なら憚られる車両の端の席である優先席に腰掛けた。バッグを横に置き頭を傾けると、週刊誌の広告が吊り下がっているのが見えた。芸能人の浮気だとか、政治家の失言だとか、アイドルのスキャンダルだとかが刺激的な色で踊っている。好奇心を煽るような悪意が、不特定多数の悪意が、目に刺さる。

 僕は堪らず目を瞑った。

 


 次の日の朝は快晴でとても暑かった。だからこそ、遊びに行くのが室内施設に決まったことを安心した。

 僕は電車に乗り最寄駅から四十分ほどした駅の近くにある水族館に来た。

 入り口前の幾何学的なモニュメントの前に黛がスマホを触りながら立っていた。私服姿の黛は水色の涼しそうなシャツに灰色のジーンズという何の変哲もない格好だったが、なんだか人の目を惹くような引力を持っているようで沢山の人がいるのに彼だけが際立って見えたのは僕の勘違いではないと思う。

 「おはよう、黛。遅かったかな」

 「いや、今来たところ。大丈夫だよ」

 カップルかよとツッコミを入れようかと思ったけど、なんだか黛はそういうのを知らなさそうだったからやめておいた。

 中に入るとまず、水族館独特の海水と生き物の臭いが凝縮した空気を感じる。だが、それもあまり不快には感じない。むしろ、それすらも水族館への期待を高めるスパイスとなっていた。

 入場券を買って、入場する。水族館は家族連れやカップルなどで人気なようで、たくさんの人が券売機で並んでいたので時間がかかったし、係員に入場券を切ってもらうまでもまた時間がかかった。

 「相変わらず、混んでるなぁ」

 黛がそう言って懐かしむような顔をしたのが印象的だった。

 水族館に入って、すぐに目に入ってきたのが鰯の大群だった。遠目に見ると大きな渦みたいに見えて壮観だが、近くから見ると一匹一匹の小さな魚の群れである。これはこれで凄い。それにしても、鰯の漢字の右が弱いという漢字なのはなんだかかわいそうだと思った。まるで、群れていないと何もできないと馬鹿にされているみたいだ。

 それから、しばらく僕らは水族館を見て回ってから、「イルカショーは観に行こう」という黛の希望に合わせ、半屋外のショー会場に向かった。

 時間に余裕をもって行ったから僕らは席を取れたが、会場は開演直前には殆ど席が埋まってしまい。立ち見の客もいたくらいイルカショーは人気だった。

 「ショー、始まるね」

 黛がそう言うと、飼育員さんが手拍子を客に促した。僕は周りを見ながら控えめに拍手していたけど、黛が大きく手をふるように拍手していたから僕もそうした。

 開演するとまず主役のイルカ達が、客の拍手に合わせてプールの下の穴から登場した。それから、飼育員が色々と話してから、音楽に合わせてイルカ達はさまざまな芸を利口に、時に荒々しく水飛沫を飛ばしながらやってのけた。ステージに近い客席に座っているお客さんは水飛沫がかかったりもしていたが、それですらショーの盛り上がりを高め客を楽しませていた。そして、開始して十分ほどでイルカショーは盛況の内に幕を閉じた。

 ショーが終わり、続々と周りの人が動き席を後にする中、僕らはまだ席に座っていた。

 「あー、楽しかった」黛はもうイルカが撤収した水槽をぼうっと見ていた。黛は疲れていて、相当興奮していたみたいだった。

 実際、イルカショーはかなり楽しかった。イルカショー自体は初めて見たわけではないけど、僕も童心に帰ったような気分だった。

 「イルカってマジで賢いよな。芸とか覚えられるし」黛はなんだかぼんやりとした口調で言った。

 「俺イルカ好きなんだよな」しばらく感想を話してから黛はそう言った。僕も、なんとなくそうだと思っていた。水族館に来た時から黛はイルカショーの時間を確認していたし、イルカショーを観ている時は、朝からテンションが高かったのに、また一段と楽しそうだった。

 「なんか、言いにくいんだけどさ、ショーの時のイルカは人のパートナーって感じに見えるじゃん。けど、なんかイルカは人に懐いてるやつでも、あくまで、人とは独立してる感じがあるんだよな」

 僕はショーが終わってもプールサイドで飼育員と戯れるイルカに視線を移した。飼い慣らされてるようで、「とても独立してる感じはない気がする」と言うと、黛も笑いながら言った。

 「まあ、人と共生できるからな。けどさ、多分人間とイルカは見てるものが全然違うだろ。あいつらの生きる場所は水の中、それも海だ。陸上で生きる人間とはそもそも生きてる環境が全然違うじゃん。だからだろうな。イルカは人間と仲良くなれるけど、人間とは隔絶した生き物だと思っちゃうんだよな。イルカは人間が知らない海の様相も知っている筈だろ。人間と近しい筈なのに、住んでる世界が離れてる。そういう神秘を感じる」

 そう言った黛は、呆気に取られる僕に気付いたのか照れ臭そうな顔をした。

 「ここにずっといても、仕方ないな。行こう」

 席を立った黛に続いて僕も立ち上がり、その場を後にした。

 水族館をまた周り始めても、しばらく僕はイルカのことを考えていた。イルカは人に近しいけど、離れてる。僕の足を見ると、当然だがイルカみたいな尾びれは付いていない。生き方も、見えてるものも全然違う。けど、イルカはあそこまで人を魅せることができる。人を夢中にさせるショーができる。いや、違うか。人懐っこく、けどあくまで自由なイルカだからこそ、あそこまで魅力的に見えるのだろう。

 ふと足を止める。目の前の水槽に目をやると、クラゲがフワフワと揺蕩っていた。僕が顔を近づけても僕に気づいているのかわからないほど、変わらずに体を揺らめかせていた。ガラスを爪で引っ掻くと、冷たい痺れが指まで来た。

 クラゲの水槽を離れて、僕らは色々な生き物の展示を見た。

 サメ、マグロ、エイ、カニ、セイウチ、アザラシ、タコ、ペンギン、グソクムシ、チンアナゴ。色々な生き物の水槽の前に行く度に別世界を見ている気になった。ガラスの先、水の中の彼らは僕をどう思っている? それは分からない。彼らは言葉の通り僕とは見えてる世界が違う。別世界そのものだ。僕らはこんなに近くにいるのに、同じものを見ていない。一匹のセイウチがめんどくさそうに寝転びながら、僕に視線を寄越した気がした。そのセイウチは二つの大きな牙をくいと上に持ち上げ、ゲップするみたいに大きく口を開けてみせた。水族館にまで来たのに、めんどくさいこと考えてるなと僕を馬鹿にしているみたいに見えた。僕の想像だけど。

 それから、僕らは頭上に丸みを帯びたガラス張りがされているトンネルみたいなのが付いた水槽へ行った。トンネルに入り見渡すと辺り一面、魚ばかりだ。

 そこはまた一段と混んでいた。真ん中には歩いて通過する人が、端には写真を撮りたくて止まる人が集まっていた。

 実際、ここはこの水族館の名物の一つでSNSに映える写真を貼ろうという人がこの水族館に来たら、まず、ここの写真は撮るだろうという感じの場所だ。僕らも前を歩く人に続いてトンネルの中を歩く。頭上にエイが、横には小さめのサメが泳いでいる。僕も感動して思わずスマホで録画し始めた。ふと、横に目をやると、黛は上を見ていた。僕も釣られて、上を見るがそこには他と同じように魚がいる。黛も水の中を歩いているみたいなこの体験を楽しんでいるみたいだった。

 僕は水槽に見惚れている黛の袖を引っ張り道の端にずれた。

 トンネルの端の位置は、そこでだったら止まっても良いみたいな雰囲気がありカップルとか写真を撮りたい人はそこに集まっていた。僕ももう少しこの場所にいる感覚に浸りたいと思ったから黛をそこに誘導した。

 「本当はこういうの良くないんだよ」黛は僕のことを諌めるように言った

 「まぁ、いいじゃん」

 「もう」

 僕の気のない返事に黛は苦笑した。そして、それ以上には注意しなかった。

 黛は優等生だけど、融通が利かないわけではない。僕が希望した事は大抵真面目に検討してくれる。…黛本人も本当はじっくり見たかったかったのかもしれないが。

 それにしても、目の前の水槽の迫力といったら、

 「すごい…」

 僕は無意識に溢していた。それほどまでに、大迫力だった。

 目の前を小さい魚だったり、エイだったりが横切る度に僕が本当に海の中にいるのではないかと錯覚した。淡い色の照明が魚達によって遮られて、僕の顔に当たる光の量は一秒毎に変わる。本当に自分も魚になって周りの魚と一緒になって泳いでいるのではないかと思ってしまう。

 それは楽しいという感覚だけではない。周りにはたくさんの人がいて横には黛がいるのに、ほんの微かにしか光が届かない海の底にいるかのような感覚も覚える。海の底にいるみたいな孤独感が僕を包み込む。それも、またこの場所の心地良さを高めていた。

 「なぁ、優希」

 「ん?」

 黛が小声で言った言葉に僕は振り向いた。黛は体を水槽の方に向けて、顔だけこちらに向けていた。黛は一瞬逡巡の色を顔に浮かべてから、口を開いた。

 「優希はやっぱり、和馬のこと心配なのか?」

 「…うん」

 僕は黛の言葉に静かに答えた。

 周りは騒がしい。カップルだったり、家族連れだったりがしゃべったりする声が聞こえてくる。でも、僕は周りで発される声がなんの情報も持たないただの音みたいだった。まるで、本当に深海にいるみたいだ。

 「ここってさ、俺にとって落ち着く場所なんだ」

 「え?」

 深海から引き上げられたように、唐突に黛の声が耳に入る。いや、水の中で全ての音がぼやけて聞こえるのに、黛の声だけしっかりと聞こえた感覚のほうが近いかもしれない。周りの雑音は未だ、よく聞こえなかった。

 黛は続ける。

 「お母さんもここが好きだったんだ。なんか嫌なことがあった時によくここに俺を連れてきてくれたんだ。良い場所だろ?」

 黛は遠い眼をしながらそう言った。

 「確かに。落ち着くよな」

 僕は黛の言葉を肯定しつつ、両手の五指をガラスにぺたりと着けた。なんだか、水が迫ってくるような、ガラスを突き破って海に飲み込まれてしまいそうな感覚を覚えた。

 黛の言ったことを咀嚼し納得した。

 「僕が元気なさそうだったから、ここに誘ったの?」

 黛は照れくさそうに笑った。

 「安直だろ? 俺が落ち着く場所だから、優希も安心するかなって思ったんだ」

 「いや、正解だよ。少し安心した」

 実際この言葉は事実で、僕もこの場所は好きになっていた。水の中から魚とかを見ているような神秘的な景色もそうだし、この不思議な閉塞感や孤独感とかは他じゃ感じれない独特の雰囲気を醸し出している。

 「確かに和馬のことは心配だ。けど、俺らはずっとこのインターハイを目標にして頑張ってきたじゃないか。今まで一緒に頑張ってきた和馬とやれないっていうのは寂しいけど、俺たちは俺たちで全力でやろうよ」

 ああ、凄いな。黛は。

 僕は素直にそう思った。黛の声は何か洗脳電波でも出しているんじゃないかと思ってしまうほど、その通りにしたくなってしまう。

 カリスマは強い引き波みたいなもので、人を惹きつけて引っ張っていく。きっと、イルカに魅了されるのは、その離岸流みたいな性質を持つカリスマの虜になってしまうことと似ているからだ。

 僕もやはり、それに引っ張られてか既に部活に対して前向きな気持ちになり始めていた。昨日は部活が苦痛なくらいだったのにだ。

 確かに、赤石のことは心配だが、それはそれとしてインターハイは本気でやった方が良い。もしかしたら、赤石だってまだ戻ってきてくれるかもしれないし、僕らは出来ることを全力でやるべきだとそう思わせられていた。

 「ありがとう。その通りだな」僕が言った。「おう」そう言って笑った黛の顔に淡い光が当たって、妖しくも美しい風景を作りだしていた。周りにいる人や大量の魚達ですら最早、目に入らない。

 黛は僕の心と視線を掌握していた。

 「それから悩みとかあったら、それはそれで言ってくれ。友達だろ」

 そう言って、黛は僕に安心させるかのようにまた笑いかける。

 僕は黛の事を親友だと思っている。彼は凄い奴で、住んでる世界が違うんじゃないかとすら思わせられる。そんな彼と友達で入れることすら、僕にとっては誇らしい。自慢の友人だ。だから、僕は黛に僕が抱えている僕にはとても抱えきれないものを曝け出したほうがいいんじゃないかと思った。

 黛なら、きっと僕を納得させる何かを出してくれる。

 これまでと、これから黛と生きていく未来にも僕はこの疑惑を持っていたくない。将来、この高校時代を思い出した度に、モヤモヤとした気分になりたくない。

 それに、僕はしないといけないこともある。晴子のことだ。僕がきっと晴子をここまで追い詰めてしまった。僕は晴子と話をしないといけない。だからこそ、僕は胸に抱えている疑念を黛に打ち明けたい。

 そう思ったから、僕は口を開いた。

 「なぁ、悩みっていうかさ聞いて欲しいことがあるんだ」

 「ん?」

 僕は黛の目をまっすぐ見据えて言った。

 「黛、お前が赤石を殺したんじゃないのか?」

 黛は目を見開いた。

 僕のポケットの中にある物が転がった。ポケットの中でコロリと動いたものを意識すると僕は僕の血が急速に冷めていくのを感じた。

 「と思ったんだ」

 遅れて付け足した。熱に浮かされていたみたいに言ってしまった言葉が頭の中で反響していた。お前が赤石を殺したんじゃないのか…お前が赤石を殺したんじゃないのか…お前が赤石を殺したんじゃないのか…。

 「…なんでそう思ったんだ?」

 黛はまず否定しなかった。黛は笑っているのか、怒っているのか分からない顔をしていた。

 「いや、えっと」

 僕はなんと言おうか焦った。でも、ここ最近ずっとこの件で悩んでいたのも事実だった。僕は全部吐き出すことにした。ここまで来たら後に引けないとも思っていた。

 「黛、これなんだけどさ」

 「うん」

 僕はポケットに手を突っ込んだ。手が震えてポケットの中にある物を掴むにも時間がかかった。

 「これは…」黛は声を漏らした。

 「優希、これをどこで?」

 「国道沿いのカフェのマスターから借りたんだ」

 それは、『黛一糸』と名前のついたシールが貼ってあるボールペンだった。

 「黛は赤石の失踪した日の夕方に、国道近くのカフェに来ただろ?」

 「…ああ、そうだな」

 黛は認めた。踏み入ってはいけない深い領域まで潜ってきてしまった気がするが、止められない。

 「でも、ちょっと不思議だったんだ。黛は僕とあの日学校が終わってから、駅まで一緒に帰っただろ? けど、マスターは制服姿でこのボールペンを置いてった生徒が夕方の五時くらいにカフェに来たと言った」

 涙が出てきそうになっていた。僕はもう逃げ出したい気持ちだった。

 「僕らが駅に着いたのは確か十六時二十分とかそのくらいだろう」

 でも、黛なら、きっと

 「それから、黛は駅からユーターンして、カフェに行ったんじゃないかって」

 否定してくれると思ったから。

 「でも、やっぱり不自然だと思ったんだ。普通、制服で行くなら帰り道にそのまま寄ればいい。しかも、もしまっすぐ駅からカフェに向かうなら三十分だと、ややタイムロスが長い」

 僕は涙目になっていて、苦しくなって咽せてしまった。少し咳が出て話が途切れてから話を続けた。

 「そうしたら、丁度その時間帯には赤石も家を出て駅方面に歩いてるのを見たって奴がいたんだ」

 黛の顔を見るが、僕の目が潤んでいるからか表情をしっかりとは見れなかった。けど、どこか諦めの感情を孕んだ雰囲気を感じていた。

 「これは根拠が薄い僕の予想だけど、その三十分くらいの間に黛と赤石は会ってたんじゃないかって思ったんだ。なぁ、黛。何か赤石について知ってることがあるんじゃないか?」

 覚悟を決めて一口でそう言いきった。それから僕らの間には静寂が流れた。周りにも多くの人がいるが、各々の世界を作っている彼らに僕らの会話は届いていないだろう。まるで、海中のような孤立感と心細さを覚える。

 僕は黛が口を開いてくれるのを待った。僕をこの不安から解放してくれると期待していた。

 「当たりだよ、優希。俺はあの時自然公園の東屋で赤石と話をしたんだ。高くて海が見えるところだよ。あそこなら二人きりになれたからな。それからは色々あったけど」

 黛はため息を吐くみたいにして自嘲げに言った。

 「俺が和馬を殺したよ」

 僕は目と耳が使えなくなったように感じた。目は深海の底で光が見えないみたいに、耳は深海の圧力で鼓膜が切れてしまったように。

 何も見えないし、聞こえない。何も感じられない。

 ただ震える膝を倒れないように支えるので、精一杯だった。

 ところで、イルカは可愛らしい見た目とは裏腹に同族や魚、人間相手にすらいじめをするらしい。美しいものの内奥、本質が想像とは全く違うことは、あまり珍しくないことなのかもしれないとその時、思わないでもなかった。

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