5年前⑩
赤石家を訪問した次の日も学校では赤石に関する話題がしばしば上がっていた。でも、話題に触れる時に、少し緊張感を持たれ出した。
昨日までは浮気に関する一連の事情が知れ渡っていたため、気まずくなって家出したのだろうとほとんどの者が思っていた。でも、月曜日から行方が分からなくなり、今日は木曜日。流石に何かおかしいのではないかと皆が違和感を覚え始めていたのだろう。「赤石は家出ではなく、事件に巻き込まれたのではないか」皆、口では言わないが、そう思い始めていたと思う。それによって、クラスでは安易に赤石の名を出してはいけない雰囲気ができていた。
そんな僕のクラスだったが、授業は普通に行われた。定期テストも近いため皆集中していたし、僕も真面目に授業を受けていた。学校の運営は行方不明者が出ても滞りなくできるというのは、当たり前ではあるが少し寂しくも感じた。
僕は今まで赤石と晴子について聞かれると、曖昧に濁したりしていたからか、あまりそういうことを聞かれることもなくなっていた。もっとも、今の僕は本当に何も知らないから、答えられないのだが。
そして、晴子はまだ学校に顔を出していなかった。僕も晴子と公園で喋った日以来、連絡も取っていない。かけるべき言葉も分からなかった。そういえば、晴子は赤石の行方が分からないことを知っているのだろうか。
放課後、僕はただ家に帰るのではなく、赤石が家に帰る時に国道から家の方に逸れる場所の辺りに立って、月曜日の十六時半くらいに赤石を見た人を探すことにした。
月曜日の十六時半、一度家に帰ってから赤石は家を出ていた。この行為とその後の失踪に何か関係があるのかは正直分からない。けど、あまり僕が赤石を探すためにできることも情報も足りないのが現実だ。稾に縋るような思いで僕は十六時半の赤石の外出で何か分かることがないのか探すことにした。そして、家を出てどこかに行った赤石を目撃した人を探す方法として僕が考えたのは、この赤石の家から国道に出る場所に立ち、十六時半くらいにここを過ぎる人に赤石を見ていないか質問するという事だった。幸いにして今週はテスト一週間前で部活がないために、放課後すぐに家に帰る人が普段より多い。赤石が国道に出てどこかに行ったのなら、目撃した人を探すのはそこまで難しくないと思った。
僕は十六時十分くらいにはその位置に着いていた。目の前を通る同級生から何をしているのだと笑われては、月曜日に赤石をここで見なかったかと聞き続けた。
聞き込みをしている間は、日陰にいたにも関わらず、信じられない程に暑かった。空は真っ青で遮るものなく日光を振り落としている。そもそも、赤石が家を出て、海の方向とか僕の知らない小道を使ってどこかに行ったとかだったら、完全にこの聞き込みも無駄だなと思いながら、聞き込みを続けるとちょうど十六時半くらいに引っ掛けたクラスの女子がこう言った。
「そういえば、月曜日に赤石が私服姿で駅の方に歩いてくのは見たわ」
「え?」
二十人くらいに話しかけては、その相手から苦笑されたり、ナンパだと思われたりもして、心が折れかかっている時だった。やっと、有益な情報が得れそうだと思ったから、僕は矢継ぎ早に捲し立てた。
「どこに赤石が行くか見た?」
「いや。私は友達と歩いてて、赤石が一人で私服で歩いてたから覚えてただけで、その後は見てない」
「そっか、一人で?」
女子は首肯した。
女子と別れてから、赤石がこの国道を歩いて駅方面に行ったという事だったので、僕はとりあえずよく周りを注視しながらその道を歩いた。
駅までの道中は十五分ほどであるから、駅まで行って往復するだけでも結構な時間を取ってしまう。このように距離だけだったら結構なものだが、こんなにも田舎だと実際は行ける場所なんて限られている。駅の方向に向かう先にあるのは、国道沿いのコンビニ、そこから少し行った先にある地域の憩いの地であるカフェ、国道から少し外れた場所にある広めの自然公園。行ける範囲であるのは、この程度だ。
それぞれ場所を外から軽く確認だけしたが、やっぱり分かることはない。
とりあえず、僕はカフェにそのままの足で立ち寄った。カフェだったら赤石が来たのだったら店員だったりが覚えているかもしれない。店内には何組かの常連と思わしき客がいて、程々に賑やかだった。
入ったことはなかったが、外から見た時よりおしゃれな内装で驚いた。最近流行りのシックな雰囲気、というわけではなく、暖かな印象を受ける昭和レトロっていう感じだ。マスターに広めの席に通されると、結構年季の入ったメニューがテーブルにあった。ぱらりと最初のページのドリンクだけ目を通す。
「すいません。ブレンドで」
「はい。分かりました。少々お待ちください」
おしぼりを持ってきた貫禄のあるマスターに注文する。それと一緒に赤石の写真をスマホに映して見せた。
「すいません。月曜日のこの時間くらいに、こういう奴来ませんでした?」
スマホに目をやったマスターはじっとスマホを見て、首を振った。
「いや、来ていませんね。私が一人でこの店をやっているので、来ていたら覚えています」
「そうですか」
僕は特に気を落とさなかった。薄々そうだろうなと思っていた。赤石母は赤石は四時半から一時間くらい立った頃には家に帰っていたと言っていた。歩いてここまで来て帰るのも含めると、四十分も無いだろう。カフェで一服するにしてはやや短い。
赤石が八時過ぎ以降失踪してからの足取りは、警察などが捜しているはずだし、僕ができることは少ないだろうと思った。。だからこそ、僕は違和感を感じたこの一時間の空白に何をしていたのかが気になった。けど、実際分かることも、できることも少ないのが現実だ。既に次に何をするか打つ手がなくなってきていた。
キッチンの方からマスターは現れて、コーヒーを僕の目の前に置いた。
「そういえば、お兄さんは松蔭高校の制服だね。月曜日に松蔭高校の制服で来た同い年くらいの子がいたよ」
「へえ」そりゃ、高校生だから大概、同年代でしょうねと思った。どうでも良いけど、マスターの敬語が外れていた。
それから、マスターは思い出したように、指パッチンをして、「あ、ちょっと待っててくれ」と言ってから、僕に背中を向けた。
マスターはレジの方に行き、下の棚をガサガサと触り、何かを手に持ってこっちに来て、テーブルに置いた。
「これ。その月曜日に来た子が持ってたボールペン。律儀にも名前が書いたシールが付いてて、この名前の子知ってる?」
「え?」
「忘れ物でさ、別に常連ってわけじゃないから、もう来ないかもしれないし、もし知ってる子だったら返しといてくれない?」
「知ってます。返しときますけど…」
僕は変な汗が出ていた。
そんな訳がないと思いつつも、これを確認しないわけにはいかない。
「これを落とした奴が本当に月曜日のこの時間くらいに来ていたんですか?」
「え、うん。十七時過ぎくらいだな。ちょうど今くらいだ。ほら」
マスターはキッチンの方にかけてある時計を見返して、間違いないと言った。
僕は目の前のボールペンを手に取った。ボールペンの先を指でなぞる。すると、乾いた黒いインクが指に付いた。
少し傾けると、そのボールペンには見知った名前が付いている。
カフェから出て、スマホを取り出した。
赤石母に連絡を入れると、赤石母はすぐに出てくれた。
「鈴鹿です。突然、すいません。お願いしたいことがあって」
『あれ、どうしたの?』
「赤石君の携帯の履歴を調べてもらえませんか」
『え? ええ、いいけど』
「すいません。もしかしたら分かることがあるかもしれないですし。気になったので」
それで赤石母は納得したようだった。確かに分かることがあるかもしれないというのは間違いではない。けど、僕にとっては別の意味もある。この携帯の履歴の確認は今、僕が抱えている疑念というか、考えの確認に必要だ。いや、本当は確認できてほしくないのだが。
それから僕と赤石母はそのまま少し世間話をした。僕は学校で何があったのかとか、定期テスト勉強は大丈夫かとか聞かれた。まさに、普通の友達の親との会話という感じだ。僕は昨日、初めて赤石母と喋ったが、赤石母は僕のことをとても信用してくれているのが伝わってきた。
それだけに、赤石母の明るく振る舞っている声も痛々しく思えてしまう。取り繕っていても、声からは内面の焦りや疲れを感じてしまう。
赤石母との通話を切って、赤石とのラインを見直した。一番下には『暇な時あったら、遊びに行こうぜ』という三日前の僕が書いた文がある。まだ既読は付かない。
時間は五時過ぎで部活停止期間といえど、流石に通学路の人の数は減っていて、駅まで早く着くことができそうだ。
落ち着かなくて、足を早めた。胸の中を不安が燻っていた。
目の前の男子三人を追い抜いた時、途端に胸が締めつけられるような心地がした。
アスファルトに反射する光が眩しい。ジリジリと照る太陽が肌を焼いているのを感じながら、僕は暗い海の底に落ちるような浮遊感と同時に、押し潰されるような圧迫感を覚えた。
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