5年前⑧

 放課後までクラスでは赤石の話題で持ちきりだった。クラスで耳をすませば、どこかで赤石と聞こえてくるという感じだ。

 そして、赤石の失踪というニュースはクラスを跨ぎ、学年を跨ぎ、遂には学校全体の知るところとなった。三年の赤石和馬が行方不明であるというのは、もはや赤石と会ったことがなかった奴ですら知っているというほど赤石の名は校内に知れ渡った。

 昼休みに部活の後輩からの『赤石先輩が行方不明ってマジですか?』というラインが来たり、他のクラスの赤石の友達を名乗る奴が僕に詰め寄るようにして質問してきたりと、昨日と同じように僕が赤石の関係者代表みたいにされているのが面倒だったから適当に濁した回答を続けた。

 長すぎるくらいに感じた授業時間も終わり、帰りのホームルームの時間になると担任の原田が何か赤石に関して言うのではないかと思った。けれど、普通に明日の授業変更などについて話して終礼は終わった。

 僕はホームルームの時、ふと原田はこの赤石の失踪をどう考えているのか気になった。ただの家出だと思っているのか、もしくは事件に巻き込まれたのかもしれないと思い身を案じているのか、それとも、どうでもいいと思っているのか。

 終礼が終わると、僕は一番先に教室を飛び出した。あそこでじっとしていたら、誰かからまた赤石に関連する質問をされたりして、家に帰るのが遅くなる気がしたからだった。

 小走りで下駄箱に向かった。誰もまだ昇降口にはおらず、どうやら僕が一番早い帰宅のようだった。

 昇降口を出ると、太陽が眩しくて目を伏せた。今はとても日差しが強くて暑いが、海の方角には黒い雲がかかっていた。しばらくしたらこちらでも雨が降りそうで、そう言う意味でも早く学校を出てよかったと思う。

 あと数分もしたら生徒でごった返すことになる丘道を空を見ながら下りると、木々の間からチラチラ覗く光が顔に当たったり、また顔から外れたりまた入ったりした。緑の葉から漏れ落ちた光はどこか澄んでいるような気がして、温かい。

 最近、僕らの地方も梅雨入りしたが、まだ今日みたく晴れている日が多い気がする。梅雨はどうしても雨の日に外に出づらくなってしまう。また運良く晴れている日に外に出ても、やたらとジメジメするし夏の暑さも相まって、最悪な気分にさせられて家に帰る羽目になる。

 その点、今日は心地が良かった。日差しはあるが気温が程々で、湿度も控えめだ。むしろ涼しい。

 丘を下りきり、目の前に国道が現れた。国道には人が少なく、しばらく行った先に日傘を差した男が一人だけ立っていた。

 日傘を差した男の横を通り過ぎようとした時に、急に声をかけられた。

 「君ちょっと良いかな」

 「はい?」

 僕は油断していたからか、間の抜けた声を出していた。男は日傘を畳んで、にこりと笑った。

 男はスーツを着ていて、髪型は七三分けだった。いかにも社会人という感じの見た目に反して、どこか生き生きとした雰囲気があり、若々しい。それがまた不思議な胡散臭さを感じさせていた。

 折り畳みの日傘を横持ちのバッグに詰めつつ、笑顔をそのままに男は口を開いた。

 「少し聞きたいことがあって。時間良いかな?」

 「ええ、良いですよ」

 そう答えつつも、男があまりに胡散臭かったので警戒していると、男は僕の気持ちを理解したように、スーツの内側に手を入れた。

 「私、こういう者です」

 男は手のひらに何かを握っていた。見ると、そこには「巡査 渡 宏樹」と書いてある。

 「これって…」

 「ああ、警察手帳って言うんだ。ここから少し先の場所になるんだが、交番で務めている」

 「ああ」

 僕はとりあえずは前にいる男への警戒を緩めた。それも相手に伝わったのか渡と名乗った男はまたにこりと笑った。

 「変に警戒させちゃったね」

 「すいませんでした。なんか疑っちゃって」

 「いや、この頃物騒だからね。警戒するに越したことはない。むしろ偉いよ」

 もし、僕がまだ小さかったら、本当に頭を撫でてきそうな声音だった。僕は咄嗟に一歩後ろに引いた。

 渡は咳払いをした。話の本題に入りたいらしい。

 「それで何が知りたいんですか?」

 僕が先に言うと、渡は笑顔を崩さずに言った。

 「赤石和馬くんのことを知っているか?」

 「え?」

 「知らないならそれで良いんだ。知っているかい?」

 僕は驚いた。なんで警察が赤石を?

 疑問に思いつつも、渡の問いに答える。

 「知ってるも何もそいつは僕のクラスメイトで、同じ部活の友達です」

 「え? まじで?」

 渡は素で驚いていた。言葉遣いも崩れていた。

 僕はなにか、不安なものを感じていた。

 「そっか、なら話は早いんだけど」

 渡はポリポリと頭を掻きながら、僕をまっすぐ見た。

 「じゃ、ここからの話はあんま言っちゃダメなんだけど、秘密にできる? 大事なことなんだ」

 渡は僕を試すような目をしていた。僕は何のことかと疑問に思ったが、赤石に関する話題で一番最初に思いついた事を言った。

 「…赤石が行方不明な事じゃないんですか?」

 「え? なんで知ってんの?」

 「いや、学校で普通にそう言ってましたよ」

 渡は信じられないみたいな顔をした。

 「いや、そのことを言おうとしたんだ」

 そう言った渡は、どこか不満げな顔をしていた。もしかしたら、僕が驚いた顔をするのを少し楽しみにしていたのかもしれない。そうだったら、少し申し訳ないと思うが、ずいぶん大人気ないのではないかと思う。

 「まぁ、そういう高校もあるのか。普通はあんま言わない気がするけど」

 渡はボソッと言った言葉には、特に反応しないことにする。

 それから渡は不満そうな顔から口角を上げ直し、言った。

 「それでさ、なんか、知ってることない? 赤石君のこと。最近あったこととか」

 今度は僕が顔を顰めた。喋らなかった僕に渡は続けて聞いた。

 「些細なことでも構わないんだ。何かない?」

 渡は優しそうな声で僕に話を促した。

 「なんで話す必要があるんですか?」

 僕は自分の緊張が伝わらないようにしながら質問で返した。少しでも動揺を抑えるために話をずらそうと思った。

 すると渡の顔が曇った。まるで何かを言って良いのか、逡巡しているようだった。そして、声を低くして言った。

 「俺は、赤石くんが事件に巻き込まれた可能性があると思っている」

 「え?」

 僕は聞こえた言葉が聞き間違いであるのではないかとまず思った。でも、そうではなかった。

 「最近は田舎だからといって、安全とは限らない。それに、近県で連続失踪事件も起こったばかりだ。考えすぎかもしれないけど…」

 「まさか…」

 「俺は、もしかしたら赤石くんがその連続失踪事件に巻き込まれたんじゃないかと思っている」

 連続失踪事件。沢山の年齢も住む場所も別々の人が一気に消えた未だに何も分かってない事件だ。最近は人身売買だとか臓器売買だとか、反社会的勢力だとか宗教だとか、そういう噂も立っている。

 以前は僕らの県でもあったため、しばらくクラスでも話題になったことは記憶に新しい。

 「何か、根拠はあるんですか?」

 「いや、ない」

 震えながら声を出した僕に渡は即答した。

 「根拠はない。ただの勘だ。ただの家出だったらそれでいい。ただ一応嫌な予感がするから、調べてる」

 僕は何も喋れなかった。頭が真っ白になって何も言葉が出てこない。

 僕も、事件に巻き込まれたのかもしれないと少し考えていた。だが、誰かがそういう事を言っているのをみたのは初めてだった。

 赤石は昨日まで普通に学校で生活していた。むしろ、元気になり始めたくらいの頃だった。なのに、昨日失踪した。

 僕の中で燻っていた違和感が、渡との会話で輪郭を帯びてきた。

 僕の中で、そういう考えが急速に大きくなっていた。赤石は事件に巻き込まれたんだ。家出なんかじゃ、ない。

 連続失踪事件に赤石が巻き込まれたのだとすると、それは大変な事だ。

 僕は息を吸い込んで、渡に言った。

 「赤石は最近アイツの彼女と色々あったんです。確かに、色々あった直後は落ち込んでたみたいなんですけど、昨日は元気に登校してたんです。むしろ赤石は持ち直し始めた感じでした。とても、家出しようとしているような気配なんかなかった。僕は、赤石が家出をしたとは思えない。きっと事件に巻き込まれたんです」

 渡は少し驚いた顔をしつつも、話を続けるよう促した。

 僕はそれから知っている事を殆ど渡に話した。

 「ありがとう。お話ししてくれて」

 渡はメモを取りつつ、僕の話を聞いていた。僕らは流石に道の途中で喋るのは変な内容だったので、少し小道に逸れたところで話していた。

 「渡さん、お願いがあるんです」

 「何かな?」

 渡は僕の顔を真剣そうな顔で見た。僕は意を決して言った。

 「捜査に協力させてもらえませんか?」

 渡は驚いた表情をしてから、悲しそうな表情をした。

 「それは駄目だ。相手は誘拐のプロかもしれない。君が危険な目にあってしまう」

 「少し後ろを着いていく程度です。僕も赤石が心配なんです。お願いします」

 僕は渡に頭を深く下げた。しばらくして、渡の声が聞こえた。言葉を選んでいるのかゆっくりと喋っていた。

 「君が本当に赤石君を心配しているのはよく分かった。でも、駄目だ。俺は赤石君が事件に巻き込まれたのではないかと思って、捜査しているんだ。ミイラ取りがミイラになるなんて話もある。君が巻き込まれないという保証はない。俺が絶対赤石君を見つけるから、君は学校に赤石君が帰ってくるまで待っててくれ」

 僕が顔を上げると、渡も張り付いたようだった笑顔はなくなり、なんとも言えないような顔をしていた。

 「…分かりました。赤石のこと、お願いします」

 僕はそんな渡を見て説得するのを諦めた。これ以上困らせるのも申し訳ない。

 「分かった。最善を尽くすよ」

 渡はまたさっきまでの笑顔に戻り、そう言った。

 渡の手にある手帳に水滴が落ちた。上を見るとさっきまで晴れていた空には、黒い雲がかかり、雨粒を振り撒いていた。

 僕は折り畳み傘も持ってなかったため、結局濡れながら人で溢れかえった国道を歩いて帰宅した。

 全身びしょ濡れで帰りの電車に乗る。あまりに濡れているから、電車内の学生から笑われたが、僕は構わなかった。

 席には座らず、ドア付近に立って、ドアにもたれ掛かる。

 全身に纏う不快感も電車から見える外の景色にも意に介さず、赤石のことを考えていた。

 昨日、僕は赤石に対して失望し、何も話さずに拒絶した。晴子の事を思うと、赤石の能天気な顔はなんだか酷く無神経に見えた。

 でも、今は赤石の真意が知りたいと思う。少なくとも、このまま喧嘩別れみたいにはしたくない。僕らは友達だから。


 

 

 

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