第7話 かみしろさんと当主代理

 

「お、黒目だ」 「あ、オッドアイだ」


 重なる声に二人は思わず笑ってしまう。栗毛の馬にまたがった同じ栗色の髪と左右異なる色の瞳を持つ女は馬上から飛び降りると黒の目を持つカンナギに向けて頭を下げた。


「はじめましてで失礼しました。私はかみしろ。ここの当主代理に用があって来たけどどこに居るか知ってる?」


 あ、じゃあ貴女が今日来ると言われてた商人さん。カンナギは丁寧に頭を下げるかみしろへ笑いかけて離れの奥へ続く道を譲る。


 離れの奥にある小屋に案内します。


 同じような乗馬用の格好をしたかみしろは小屋を一瞥すると片手にまとめ持つ手綱を軽く引いた。大人しくしていなさい。一度鼻を鳴らした馬は引かれた手綱を引き返すがかみしろの手から手綱は離れず不満そうに地面を引っ掻きながらゆっくりと歩き出す。


 普通の馬よりも賢く見える姿はクロエとよく似ている。


「魔馬ですか?」


 祖父であり当主代理の元へ歩く道すがら尋ねればかみしろは驚いたように一瞬目を見開き、すぐ穏やかに笑って頷いた。


「一目で見抜かれちゃったなあ。見た目ただの馬のはずなんだけど」


「あ、えっと」


 クロエのことを話して良いものなのか言い淀むとかみしろは手綱を握っていない手をひらひらと振った。迷うことは言わなくて良い、何も気にしないしそれがお互いのためになる。


 優しく感じる言葉に礼を返すと同時に自分と当主代理の過ごす小屋の扉が開く。


 紺の髪色を視界に収め、かみしろに繋がれた馬は僅かに背後へと下がる。相変わらず動物に嫌われる奴め。かみしろが手綱を引いてようやく隣まで進み出るも栗毛の馬は落ち着かず足を動かす。


「人を呼び出しておいて迎えにも出てこないのは無礼だと思うけど?」


 かみしろの言葉にカンナギは驚いた。今日やってくると聞かされていたのは商人。貴族でもないただの商人。相対しているのは(自分にとっては優しい家族でしかないが)上位貴族の、現在は当主と同じ権威を持つ人、アルベリアだ。


 彼は権威に興味こそないが理解して利用している。ただの商人がそんな口を利いて大丈夫なのか。


 馬と同じように落ち着きを無くしたカンナギを見てアルベリアは思わず笑ってしまう。


「私の大事な子を迎えにやっただろう。それに当主に禁じられたレナードとの繋がりを結び直す機会を作った私に御礼の一つも無いことこそ無礼じゃないかな」


「事実だから言い返さないけどその言い草でお礼は言わないよ?」


「既に言い返してるとは思わないかい?」


「思わないね。……大事な子? 君の?」


 おいで、と声をかけられカンナギは慌てて差し出されたアルベリアの手に駆け寄り両手で掴んだ。


「正確には孫になるけどそうだね、大事な子だ」


「ふーん、へえー? 丸くなったとは思えないけど。まあいいか、商談は中で? 外で?」


「中でしようか、ナギちゃん。それの馬を厩舎まで連れて行ける?」


 ちょっと。かみしろが叱るように声を上げる。


 仲が良いのか、ただ仕事仲間なのか。タメ口を使い合うアルベリアとかみしろ。アルベリアの手を放してカンナギはゆっくりとかみしろと手綱で繋がれた馬へと歩み寄る。


 決して恐れさせないためのゆっくりとした歩みに栗毛の馬は頭をカンナギと同じ高さまで下げて両目でじっとカンナギを見つめる。


 かみしろに従う栗毛の彼女は自分と主人であるかみしろを容易に倒し得るアルベリアが嫌いだった。そんなアルベリアと仲良さげに繋いだ小さな手がゆっくりと近づいてくる。その手を噛みちぎってやろうか。


「かっこいいね、良い子」


 カンナギの言葉に魔馬は動きを止めた。そしてゆっくり近付く手が触れやすいよう更に頭を下げると目を閉じた。


 害意も敵意も一切感じられない子供の手に、魔馬は頭を擦り付ける。


「……へえ? じゃあ手綱。商談少しかかるから可能なら鞍とか外せる?」


 かみしろから手綱を預かったカンナギは満面の笑みで頷き一切魔馬を振り返ることなく手綱を引いて厩舎へ向かう。


 魔馬は気難しく警戒心が強い。それでいて魔物に負けず劣らず強い。だから転生者と言っても易々とは任せられないつもりで声を上げたが。かみしろが見送る先で自分の馬は如何に少女を転ばさないようにしようかと頭を下げすぎず上げすぎず、歩幅も調整している。


「何あれ、アイツあんな気遣い私にしないくせに」


「あの子はクロエの主人でもある。魔馬にとっては絶対安全だと思わせる何かがあるんだろう」


「人も動物もビビらせる君と違ってね?」


「喧嘩でも商談でも勝つことのない商人から煽られても困るな」


「今まで出禁にした迷惑料もらうつもりだから」


 ささやかな敵意を向けられアルベリアは笑って自分たちの居室へ手招いた。


 カンナギは子供っぽいことばかりするがあれでも転生者。何を言わずとも商談が終わるまでは小屋に近づかず時間を潰すだろうから気にしなくて良い。


 アルベリアの言葉にかみしろは一つ頷く。それが出来るからこそ彼女は彼の傍に置かれているのだろう。大事な子。どこまで本気なのかは気になるが自分の目的にはさして関わりない。


 荷の中から目録を取り出して押し付ける。


 きっと先のことを見通すのが得意で頭の良い目の前の男は目録など見せなくてもこの先の要望を決めている。


「とりあえず家の状態を元に戻す」


 先程までの雑談から声を少しだけ落とした言葉にかみしろは肯定を返した。


 彼の手は目録を捲っているが中身などきっと見ていない。それでも良い。自分の自慢の商品たちが売れるなら。


 取り出した手帳に彼が必要だという品の全てを書き記す。誤りを認めない彼の前で一つでも抜けがあれば二度と依頼は来ない。常連のはずだが一番緊張する相手だ。


 彼はこの場所、レナードを治めていた元当主。代替わりの際にかみしろはお役御免、入荷ルートを明かさないことから新当主に出禁を言い渡された。アルベリアがかみしろから買い付けていた分は何処からか高額で買っていたのだろう。


 アルベリアの元に戻すという言葉には心なしか刃が隠れていた。


 不意に彼は要望を止めた。


「私が当主を退いてから今までの間に別の商人から買った粗悪品の下取りは出来るかい?」


 粗悪品だったのか。手帳のページを捲りかみしろは頷く。


「物と状態に寄るけど、こっちとしてはありがたい申し出かな」


 粗悪品は安く売れ、粗悪品しか買えないような人たちにとっては最高の商品だ。


「それは何処に売りに行く?」


「……基本は冒険者組合。余ったら工房、で、どう?」


「他の貴族に渡らないなら良い。その代金をこちらに収める必要はない」


 売る算段を付けてから運搬費用と人件費を引いて、と下取り代金をざっくり考えていたかみしろの頭が一瞬硬直する。


 せめてもの迷惑料だ。


 知らない人間が見ればただ人の良い、知る人間が見れば底知れない胡散臭い笑みを浮かべたアルベリアに何とか笑い返して礼を言う。


「あと一つ、」


 アルベリアは開いたままの目録を机の上に置く。


 ちらと目を向けると開かれたページには服が描かれている。服なんて求めたことないだろう。


「お転婆な子のための服はあるかな」


 ふは。思わずかみしろから笑いの混ざった息が漏れる。


「ふふ、あはは。ああ面白い。『大事な子』にね」


「可能なら魔力に馴染む強い素材の物が良い」


「見目より実用性?」


 女の子なら着飾りたいだろう。かみしろの問いにアルベリアは小屋の中から厩舎がある方向に視線を向ける。


「実用性だけで良い。あの子はあれが『素』だ」


 目録を閉じ、かみしろは背もたれに体重を預ける。目録に記載がある服は全てが同じではないにしろ取り扱いがある物。だが、彼の要望に完璧に応えられるかというと答えは否。服である限りある程度見目を求めた物しか目録には書かない。


 予算は? 問いかけると胡散臭い笑みが返される。答えろと言いたいところだがかみしろは堪えてため息を吐く。予算があればハッキリ言ってくるはず。こちらの言い値で払おうという態度なのだろう。


「一つだけ聞いて良い? 『転生者』の証を持つあの子をそんなに信用して良いの?」


「あの子には大した智略も隠し事も無い。ただ愚直な子供だよ。『不義』の証を持ちながら妙に誠実な誰かのようにその肩書きと中身は相反している」


 かみしろは思わず目を細める。赤と青の色を持つ彼女の瞳は貴族にとって転生者に似た「異質」の証。一つの色を重視する貴族にとっては不義の証と言われることも少なくない。


 特に「青」はアルベリアの居るレナード家にとって家の持つ色。出禁になった理由の一つに瞳の色もある。


 不義の証と言いながら全く蔑みの意図が感じられないアルベリアの言葉。そうでなければ取引などもってのほかではあるが貴族にして珍しい。


「あのくらいの子は服のサイズなんてすぐ変わる。それなりの素材の服を求めるなら出費が続くことになるよ」


「構わない。他の服飾店も見はしたけれど、どこも女というだけでこちらの要望を聞きもしなくてね」


 それが普通だから。きっと他の服飾店で提案されたのはドレスかそれに類する服だろう。貴族の、それも上位貴族の令嬢が見目を求めないことは決してないと思い込んでしまう商人たちの気持ちをかみしろは理解できる。


 実際ここに来るまでに本人を見ていなければそういう提案をしていた可能性もある。ああだから迎えに寄越したのか。何もかも想定されたような行動だ。


「全ての服を賄うのは無理だけど季節ごとに数着程度なら運ばせることは出来る」


「十分だよ」


 普通の令嬢には不足でしかないんだ。なんて。言っても無駄。目の前の男が当主であった時は家に必要な物以外、奥方を買い物は金だけ渡して把握すらしなかった人だ。未だ女の着飾る物の種類と数は彼の中に「知識」としてしかない。


「騎士にでもするの?」


「好きにさせるさ。ただ学園を出るまで育てると言った以上護るだけ」


「へえ、そのあとは?」


 そのあと。


 かみしろの言葉を復唱し、アルベリアは何も言ってこない。問いかけに嫌味も皮肉も、回答すらないかみしろが知る限り初めての状況に彼女は彼の言葉を待つように黙ってしまう。答えはない。


「まさか、考えてないの? 君が? 彼女が選ぶ道を軌道に乗せるくらいしてるかと思ったけど」


「……考えていなかった。好きにさせようとしているのは本当だからね」


「ふ、あははは! 君が? ああ良くないな。これ以上からかうと取引が無くなりそう」


「別に構わないよ。考えていなかったのは事実だから。……彼女が学園を卒業するまでは当主代理で居よう」


「そうしてくれると助かるなあ。長期契約を途中で切られるほど損失はない」


 当主を退く前には全ての契約を切っただろう。いつもの調子に戻ったアルベリアの言葉にかみしろはひらひらと手を振った。そうなれば困るというだけの話。何も君のことは言っていない。


 初めて商談を持ちかけたときから変わらない彼女の気負いも何も無い態度にアルベリアは微笑んで片手を差し出した。


「私がまた隠居できるまでの間だが、よろしく」


 かみしろは差し出された手を素直に取った。


「金がある限りは、よろしく」


 私財を余らせているのに金がなくなることがあると思うのか。


 軽く握った手をそのままに始まった軽口の応酬はかみしろが離れを出ていく頃まで続いていた。

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好きなだけ別冊物語 つきしろ @ryuharu0303

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