第6話 ハロウィンスライム(好きなだけ)
冷え込みの強くなる時期。果樹を除いた畑は秋植えの野菜たちの植え込みが終わり寂しく土ばかりを晒している。カンナギは学園で過ごす秋。
冷え込む秋の畑で半透明な青色の姿がいそいそと動き回る。
それは一般にスライムと呼ばれる魔物。魔物同士の中でも序列が低く、蹴り飛ばされて消えることもあるほどに弱く頭が悪い、はずだった。
レナードの家の畑を動き回るそれは一般にスライムと呼ばれるものとは異なる。体の上にはシルクハットのようなものをかぶり、前髪のような体の一部がその中から跳ね上がる。赤い瞳には眼鏡のようなものをかけている。
境界の外、脅威となる魔物が多く生息する場所から逃れるようにこの場所にやってきた特殊なスライムは今、優しく接してくれるとある人が教えてくれたことを実践するための準備を進めていた。
黒い髪の人がこっそりとくれた南瓜型の入れ物を持ち、黒い髪の人が描いてくれた黒い帽子の絵にそっくりにシルクハットを変形。スライムよりも少しだけ小さいだけの南瓜の入れ物を掲げるように持ち上げる。
話しかけていい人は二人だけ。
朝日が昇り始めたこの時間。きっと先にやってくるのは濃い青の男の人。怖いけれど優しい人。
小さな小さな足音を立ててやってくる濃い青の人。
「おはよう」
濃い青の人、レナード家の本邸から離れた畑の管理をする男、レナード家前当主でもあるアルベリアは畑の近くに膝をつくと畑の中へ向けて片手を差し出す。
いつもならその手の上に乗るはずのスライムはアルベリアの手に南瓜の入れ物を乗せる。
アルベリアは首を傾げながら今は何も入っていない南瓜の入れ物を取り上げる。スライムはいつもよりもどこか嬉しそうに南瓜の入れ物を見つめて片手のような身体の一部分を振る。
南瓜の入れ物の中をよく見ると一枚の紙切れが入っている。
『お菓子かイタズラされるか、選んでください』
もはや独特に見える汚い筆跡には見覚えがある。今は学園に行っている彼女がスライムへ入れ知恵したのだろう。
冷え込むこの季節のイベントだ。子どもたちは仮装をして近所の家を回りお菓子かイタズラか、と言う。大人たちはほとんどが菓子を子どもたちに渡す。子どもたちにとっては一年に一度お菓子を集めるだけのイベントだが。
果たして目の前の存在を「子供」とみなしていいのか。
「ああ、こら気が早いよ」
紙切れに書かれていた言葉を読んでいるとスライムが青い手を伸ばしていた。あくまでも魔物である子が考える「いたずら」がどんなものかは分からない。
「うーん、本邸からくすねたお菓子くらいしか無いんだよ。分かった。持ってきてあげるから少し待っていて」
今の帽子も可愛いね。南瓜の入れ物をスライムに返して半透明の身体を撫でるとアルベリアは畑から離れて普段寝泊まりしている建物に戻っていく。
あの人はお菓子を持ってきてくれる。スライムは半透明な身体で南瓜の入れ物を抱え込む。最近この場所からいなくなった女の人。あの人が何日かだけ帰ってきたときに教えてくれた。これを持っていつもの人たちに話しかけたらお菓子が沢山もらえる。貰えなかったらくれなかった人の体にくっついていたらいい。それがいたずらになるから。
話すことは出来ないスライムのために入れ物の中に収められた紙切れにはお菓子が欲しいことといたずらすることを示唆する紙が入っている。スライムが時折見る書類に書いてある文字と少し形が違うけれど濃い青の人は紙から文字を読み解いてお菓子を持ってくる。
あと一人。今日はあの人来るだろうか。
灰色の髪をした、自分を拾ってくれた人。外の怖い場所で何度か見かけても攻撃されることはなくて、くっついていたらこの場所に来ることが出来た。紙をまとめることを頼まれたりするけれど、この場所から追い出したり攻撃してきたりしない優しい人。
知らない足音がして慌てて南瓜の入れ物を抱えて畑の端にそびえ立つ果樹の上に逃げる。
この場所には知らない人もいっぱいいる。自分は人にとって危ない存在だから見られたらいけない。それは灰色の人にも濃い青の人にも何度も言われている。
「今日は随分可愛い格好をしていますね」
急に声をかけられスライムの身体がズルリと果樹の幹から滑り落ちる。落下する半透明の身体と抱えられた南瓜の入れ物ごと受け止めたウィスは驚かしてすみません、と笑いスライムをゆっくりと地面へ下ろす。
地面に降りたスライムはすぐに振り返り、ウィスに向かって南瓜の入れ物を持ち上げる。
アルベリアがそうしたようにウィスも入れ物の中から紙切れを取り出し、呆れたようにため息をつく。
「屋敷に戻っていていいと言われるからなにかと思えば。お菓子は差し上げますが、離れのあの方にはもう伝えたのですか?」
ウィスはからからと南瓜の入れ物に菓子を入れ、スライムはその様子を確認し腕のような部分でアルベリアが菓子を取りに行った先を指す。
スライムの視線はずっと南瓜の入れ物の中。書類を整理した報酬としていくつかの菓子をもらうことはあったが、何もしていないのにこんなに沢山のお菓子をもらったのは初めてのことだ。いつも貰うクッキーと見たことがない個包装のお菓子がいくつか。
入れ物の中を眺めるスライムの帽子にウィスの手が乗る。
「たくさんもらえたとしても一日に食べる量は決めましょうね。貴方たち魔物に太るという概念があるかは分かりませんが、体に良いことは無いはずなので」
え。と、疑問を現すようにスライムは勢いよく顔を上げる。いつもと同じ柔らかな笑顔でウィスが笑いかける。
「駄目ですよ。ここに居る以上は言うことを聞いてくださいね」
ウィスから隠すように入れ物を抱え込むと、取り上げられたいですか、と笑顔のまま言い聞かせられる。
取り上げられたくはない。入れ物を抱え込んだままスライムはウィスを見上げる。
「魔物である貴方が人より分かりやすいのはどうなのでしょうね」
「それで騙されてたらどうするつもり?」
先程スライムが指さした方向から小さな袋を片手にアルベリアが戻ってくる。スライムは入れ物をウィスの足元に置くとアルベリアの足元に這い寄り不満を現すように手のような部分でアルベリアの足を叩く。
「はいはい、君が騙してるとは思ってないよ。ほらお菓子」
手元のお菓子を渡せばすぐにスライムは表情を綻ばせ、入れ物の中にお菓子を入れた。
空っぽだった南瓜の入れ物は蓋が閉まらないほどのお菓子で埋まった。
「このような季節行事を見たのは久しぶりです」
「良くも悪くも変わらない一年を過ごせているからね。ナギちゃんにもお菓子持っていったら?」
「……考えておきます。こら」
ウィスの声に二人の足元でもそもそと動いていたスライムはビクリと震えて動きを止める。
「一日に食べる数は私が管理しましょう」
抱え込んでいた入れ物をウィスに取り上げられ、スライムは青い腕のようなものを必死に伸ばす。半透明な身体の中にはいくつかのお菓子が泡を出してゆっくりと溶かされているのがよく見える。
「貴方の身体は分かりやすいですね」
取り上げられた南瓜の入れ物を見上げながらウィスの足元にスライムはぎゅ、と取り付いた。
「まさか、君に人より先に魔物の友だちが出来るとは思ってなかったよ」
「好きに言ってください。人よりよほど分かりやすいですし有用です」
「ふふ。じゃあ、この気難しいのをよろしくね。スライムくん」
スライムはちらりとアルベリアを見上げるがすぐに視線を南瓜の入れ物に戻すとウィスの足に巻き付いていた腕を外して入れ物に向けて伸ばす。
「どれだけ嘆願されても許しません。私が居ない日は、アルべリア様にお願いしますからね」
「ああ、いいよ。君の大事な友人の管理は任されよう」
二人の男が笑い合い、スライムは不満げに柔らかな腕をウィスに叩きつけ続けた。
翌日からウィスは学園に戻り、南瓜の入れ物の中にあったはずの菓子は三日で空になる。翌月にウィスが屋敷に戻ると明らかに挙動不審で、どこか丸っこさを増したスライムが見つかった。その翌月まで菓子禁止を言い渡されたスライムはウィスが離れにいる間、ずっと足に巻き付いていた。
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