第7話 ロディアスの心配

「たまごより、お前は大丈夫なのか」

 ロディアスがやけに真剣な表情で尋ねる。

「え? あたしは別に……」

 森で転ぶなんて、ベルリアにすればよくあること。ここでそんなに心配されるとは思わなかった。

 そう言えばさっき、ものすごい勢いで駆け寄られて来たような。てっきり「もっと足下に気を付けろ」などと言われるかと思ったのに。

「たまごを抱えたまま、転んでるんだぞ。結界に強くぶつかったようなものだ。胸や腹にその衝撃は受けてないのか。たまごが受けた衝撃は、お前にも伝わってるはずだろう」

 普段なら、転んでも手を着くなりして衝撃をやわらげることはできる。地面で胸や顔を打ったりすることはない。

 でも、ベルリアは今、大きなたまごを抱えていた。落ちないようにエプロンと服の間に入れているとは言え、やはり守るような格好になる。

 そうなると、手が少々不自由な状態で、バランスも悪い。いつものように衝撃を逃がすような体勢にはなれなかったはずだ。

 結界に体当たりする状況など、通常ではありえない。でも、今はそれに近かった。

 地面に打ちつけるより、結界との衝突によるダメージの方が心配だ。結界によっては、少し触れただけで強く弾かれたり、火傷したりすることもあるから。

 見たところ、ベルリアの服が焦げていたり血がにじんでいたりはしないが、それだけでは安心できない。

 だから、転んだだけのベルリアに、ロディアスは慌てて駆け寄って来たのだ。

「えっと……大丈夫。どんって何かにぶつかった感じはあったけど、おかしな感じはなかったし」

「本当か? 場所が場所だけに、ここで確かめられないからな」

 たまごがぶつかったのは、胸だ。いくら周囲に人がいないと言っても、屋外で女性の胸をはだけさせるのは考えもの。明らかによくない状況、というなら、そんなことは言っていられないが。

 ロディアスの言葉に、ベルリアの頬が赤くなる。

「も、もうっ。ロディアスってば、何言ってるのよ」

「だから、お前が自己申告しない限り、俺はお前の具合の悪さをはっきりとわからないってことだ。一人の身体じゃないんだぞ」

「え……」

 ロディアスの言葉に、ベルリアが戸惑う。

「ロディアス、どうしてわかったの? まだ話してないのに」

「ベルリアの気配が変わってきたからな。まだうっすらだけど。それに、何も気付かないままで後悔したくない」

「後悔?」

「親父のことがあるからな」

 ロディアスの父ゼルーブは、体力が低下していた時に風邪をわずらい、亡くなった。

 その時、ロディアスはひどく後悔したのだ。

 もう少し気を配れていたら、休むように言えたのに、と。

 同じ家で暮らしているのだから、それくらいのことは言えたはずなのに。

 本当に休んでいたら、今頃元気に……となっているかはわからない。ただ、ロディアスは気付くようにしたい、と強く思うようになった。

 それだけでも、何か変わるはずだから。

 母テスレースを気にかけるようにし、ベルリアと一緒に暮らすようになってからは彼女を気にかけるようにした。

 そして……わずかな変化に気付けたのだ。新しい命が宿ったことを。

「いいか、何かあったらすぐに言えよ」

「う、うん……」

 いつになく真剣な顔で言われ、ベルリアは戸惑いながらもうなずいた。

 普段、本にばかり集中していると思っていたので、ちゃんと気にかけてもらっていたことにかなり驚いている。

 だが、見てもらえていると知って、嬉しかった。本気で心配してもらえたことも。

 ロディアスはちゃんと「ベルリア」を守ろうとしてくれていたのだ。

「板だったものが多少えぐれたところで誰も困らないが、子どもに支障が出てはまずいからな」

「板って何よっ。えぐれる訳ないでしょっ」

 予想外のことを言われて感動していたのに、一気に冷めた。と言うより、血が上る。

 聞き捨てならないことを言われて怒るベルリアだが、リンチェがさりげなくさえぎった。

「ロディアス、今はベルリアもたまごも平気みたいだから、先を急ぎましょう」

「ああ、そうだな。ベルリア、立てるか」

「あ……うん」

 ロディアスが手を差し出し、ベルリアはその手に掴まって立ち上がった。

 さっきはひどい物言いに腹が立ったが、急に優しくなる。普段、こんな状況が起きることがないので、またどきどきしてしまうではないか。

 立ち上がったベルリアが足をひねったりしていないことを確かめ、また出発する。早く進みたいところだが、ロディアスの歩調はさっきまでよりややゆっくりになっていた。

 あ、さっき精霊樹から離れる時に「いけるか」って言われたのは、あたしの身体を気にしてくれてたからなのね。

 ロディアスに気を遣ってもらえていたとわかり、ベルリアはスキップしたい気分になったが……また転ぶと怒られるのでやめておいた。

 しばらく歩くと、かすかに水の匂いがしてくる。やがて着いた所は、小さな泉だった。馬二頭が入っても、ゆったり身体を洗えるくらいだろうか。

「この森って、色んなものがあるのね」

 入口エリアしか入っていない自覚はあるが、驚きの連続だ。

「ええ、そうね。実際のところ、私も全てを知っているとは言いがたいわ。だけど、これくらいの森なら、みんなそうよ」

 この先、ベルリアはこの森に何度もお世話になることだろう。そうしていくうちに、色々なことを知るのだろうが、きっと何年経っても全ては把握しきれないに違いない。リンチェでさえ、そうなのだから。

 ロディアスは泉の前に立つと、呪文を唱える。すると、水面がわずかにざわめいた。

 何が起きるのかとベルリアが見詰めていると、魚が跳ねたかのように泉の中央の水が跳ねる。

 空中に飛んだ水が再び泉に戻った時、水面にはそれまでなかった影があった。

「あら、ロディアス。ご無沙汰ね。リンチェも一緒なんて、珍しい」

「ちょっと訳ありなの」

 現れたのは、リンチェとあまりサイズの変わらない女性。羽はないが、泉の上に浮かんでいる。

 薄い水色の真っ直ぐな長い髪に、同じ色の瞳。二十代前半くらいの見た目をした彼女は、この泉に棲む妖精フリュールだ。髪より少し濃い色のドレスは、まるで水が流れ落ちているかのように揺れている。

「ロディアス。あなた、また背が伸びた? 育ち盛りねぇ」

「前に来たのは、四、五年前だ。ピークは過ぎたから、これ以上は伸びない」

 ロディアスが苦笑する。

 横で聞いていたベルリアは「二十五を過ぎてまだ育ち盛りだったら、そのうちロディアスの頭は天井を突き抜けるわよねぇ」などと思うのだった。

「フリュール、また水をもらいたい。今回、竜が絡んでいて、急いでるんだ」

「竜? もしかしてその子が抱えてるものって、竜のたまごなの? で、その子は誰?」

 こんな場所に泉があることを知らないのだから、当然ベルリアはフリュールとは初対面である。

「こんにちは。あたし、ベルリアです。ロディアスの弟子で……えーと、今は妻です」

 とうとう誰かの前で「妻」という言葉を使ってしまった。言ってから、ベルリアはめちゃめちゃ恥ずかしくなる。

「まぁ、弟子で妻? そう……ロディアスもずいぶんと成長したのねぇ。弟子だけじゃなくて、妻を持つようになるなんて。人間って、本当に成長が早いわ」

「元はおふくろの弟子だ。今は俺が引き継いでいる」

「ああ、そう言えば、テスレースはまたいい人を見付けたのよね。隣村へ嫁ぐからって、挨拶に来たわ。とても明るい表情をしていたから、彼女もまた幸せを見付けたのねって喜んでいたのよ。ゼルーブがいなくなった頃のテスレースは、本当に意気消沈してたもの。それに」

「フリュール、すまない」

 まだ何かしゃべりそうな妖精の言葉を、ロディアスがさえぎった。

「さっきも言ったが、急いでいる。このたまごにまずい魔法がかけられていて、早くそれを解いてやらないといけないんだ。そのために、この泉の水がほしい」

 言いながら、ロディアスは持って来ていた袋の中から瓶を取り出す。

「ああ、そうなのね。わかったわ」

 フリュールは手の平を上に向けた状態で、くいっと手首を曲げる。すると、泉の水面の一部が盛り上がって水滴が飛び出し、ロディアスが持っていた瓶の中へと入った。まるで生き物が意思を持って動いたみたいだ。

 水が瓶の中に入ったことを確認すると、ロディアスは栓をした。

「協力、感謝する。ベルリアの紹介はまた改めて」

「ええ、楽しみに待ってるわ。どうやって口説き落としたのか、ぜひ知りたいから」

 手を振るフリュールに、リンチェも手を振る。ベルリアは軽く会釈をして、先を行くロディアスを追った。

「当分、行きたくないな」

 ロディアスがぼそりとつぶやいた。

「もっと何か難しい課題でも出されるのかと思ったわ」

 妖精にもらわなければならない水、と聞けば、妖精の面倒な依頼をこなさなければいけない、とか何とかがあるのかと思っていたのだ。

「フリュールとは顔馴染みだからな。気に障ることをしたり言ったりすれば別だが、彼女は気前よくわけてくれる。ただ、話を始めると長くなるんだ」

 確かに、その片鱗は見えたような気がした。放っておけば、きっと延々しゃべり続けるのだろう。それをロディアスが遮った。

 おしゃべり好きは、遮られると機嫌が悪くなる人もいるようだ。幸いフリュールはそういう性格ではなかったので助かった、というところ。

「改めて紹介って?」

「薬を調合する時、あの泉の水が必要になることも多い。今みたいに頼んでもらうことも当然ある。一度しっかり関係を作っておけば、もらえるようになるからな」

 今まで来なかったのは、まだベルリアがそのレベルにないからだ。

 とにかく、必要な材料はこれで集まった。

 あとは家に帰って鍵作りである。

☆☆☆

 一時的とは言え、竜のたまごが存在していた家。

 留守の間に密猟者が来て、家の中を荒らされていないかと思ったが、どうやらそういったやからが来た様子はなかった。

 ベルリアはたまごをエプロンと服の間から取り出し、リビングのテーブルに置く。

 最初はそうでもなかったが、ずっと移動しているうちにかなり重く感じられるようになっていた。なので、たまごを置くと、身体が一気に軽くなったような気がする。

 その横で、ロディアスが森で手に入れて来た材料を袋から取り出していた。

 魔法薬を調合する時に使う皿を出して来ると、その上にとくどくだけと精霊樹の枝、枝から取った葉を三枚置く。それらに、泉でフリュールからもらった水をかけた。

 どうするんだろうとベルリアが見ていると、ロディアスはそこに向けて火の呪文を唱える。水が入っているはずなのに、皿に火がついて燃え上がった。

 さらに別の呪文が唱えられ、皿に入れられた材料が生き物のように中央へ集まって一つになる。

 その火が消えると、皿の上には黒くなった炭のような物が残った。

「ロディアス、まさか……これって失敗?」

 自分がやる調合とはあまりにも違い、成功かどうかもわからない。少なくとも、見た目は失敗に思える。

「さぁ、どうだかな。俺もこういう作業はあまりしない。魔力が低いと、鍵の形にはなっても、うまく開かない場合もある」

 ロディアスはそう言うが、目の前にある炭は鍵の形にすらなっていない。開くかどうか、という以前の問題だ。それとも、この魔法の鍵は不定形なのだろうか。

 ロディアスがしたのだから、魔力が低い、なんてありえないのだが……。

 しかし、ロディアスが爪で炭を軽く叩くと黒いすすが落ち、中から金色の鍵が現れた。

「ええっ? どうして金の鍵が出て来るの」

 ロディアスの人差し指くらいの長さで、一見しただけでは魔法の鍵とは思えない。おしゃれなタンスやドレッサーの鍵、と言っても通用しそうだ。

 もっとも、ベルリアはそういう物を見たことはない。

「とくどく茸が黄色だったから、その色が出てるんだろう」

「そ、そういう意味じゃなくて……。材料が、キノコと木の枝と葉っぱでしょ。それなのに、こんな金属っぽい鍵ができるなんて。これって錬金術?」

「お前、何年魔法の修業をしてるんだ。……何かを作り出すことはあまりやってないから、仕方ないか。錬金術と魔法は別だ。これも、見た目は金属でも、実際はそうじゃないからな」

 要するに、魔法を使えばこういうこともできる、という例である。

 ベルリアは薬の調合を主にしていたから、こうして薬以外の何かを作り出すことは習っていない。せいぜい、水を氷にするといった、自然現象でも見られるごく単純なものばかりだ。

 それを「作り出す」という言葉に当てはまるか……はさておき。

「と、とにかく、これでたまごの結界を解くことができるのね」

 こういうこともできる必要があるなら、この先の修業はもっと大変なものになる。

 そういう一抹の不安が出て来たが、ひとまずそれは横に置いておく。今は苦しんでいるであろう、たまごを解放することが先だ。

「解けますように」

 リンチェが祈るように手を組み、ベルリアも同じ気持ちでロディアスがたまごに鍵を近付けるのを見詰める。

 だが、鍵が差し込まれる直前、窓ガラスが割れて何かが飛び込んできた。

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