第3話 クマと妖精

 この前来た時、次の芽が出ていたのを確認しているから、もう摘める程に成長しているはずよね。草食系の動物でそれを食べているのを見たことはないし、なくなっていることはないだろうし。

 そんなことをつらつら考えながら、いつも薬草を摘むエリアへ向かって歩いていたベルリア。ふいに自分以外の誰かが、がさがさっと音をたてるのを聞いた。

 小さい動物が音をたてることはよくあるが、今聞こえた音はやけに大きかったような気がする。少なくとも、ベルリアと大して変わらない身体の何かが、草むらを歩いているような……。

 メルーカの森には、妖精がたくさん棲んでいる。ちょっと魔力を持った存在もいる。ベルリアは話だけだが、竜も確かにいる、ということを聞いた。

 なので、村にいる普通の人はあまりこの森へは来ないのだ。魔力を持つ誰かにからかわれたりするくらいならいいが、明らかに悪意を持って向かって来たら対処の仕様がないから。

 興味本位で森へ来ている人間、だろうか。妖精にしては、少しばかり音が大きかった。魔物か、大型の森の獣か。

 人間以外だったら、と考えてベルリアは緊張する。一応、魔法はロディアスと彼の両親から教えてもらっているが、あくまでも基本魔法を落ち着いた状態の時に使える程度。対応しきれなかったら、全力で逃げるしかない。

 がさっと間近で音がして、影が現れた。黒いと思ったのは、影だからというだけではなく、本体そのものも黒いからだ。

 ベルリアは悲鳴を上げようとして、その悲鳴を飲み込む。刺激して、本来その気ではなかったのに襲われたりしたらまずい。

 目の前に現れたのは、大きなクマだ。立てばベルリアよりも大きい。身体の厚みもしっかりある。

 普段はもっと森の奥にいるはずの獣。それなのに、もうすぐ森から出る、というこんな所までなぜか足を伸ばしたらしい。

 な、何かわかんないけど、くわえてるっ。

 クマの口から、何かが出ているように見えた。仕留めた獲物でもくわえているのか。クマの姿を見て焦りまくっているベルリアには、それが何なのかよく見えないし、知りたいとも思わない。

 とりあえず、何かくわえているということは、牙でどうこうされる危険性は減った。でも、クマには鋭い爪もあるし、爪を使わなくてもその太い腕で殴られでもしたら大打撃だ。

 えっと、えっと……確か目を離さないようにして、後ろに下がって距離をとって……それからどうするんだっけ? ずっと前に、ロディアスからクマに遭遇した時の対処法を聞いた気がするけど。

 平常時に聞いても、いざその時になったら頭から抜けてしまうもの。完全に想定外のことがいきなり起きれば、うまく対処するのは難しい。

 とにかく、ベルリアはゆっくりと後ろへ下がろうとして……いきなり木の根につまづいた。後ろに目はないし、ゆっくりしていたつもりでも焦って早く動いてしまったようだ。

 とにかく、ベルリアはつまづき、そのまま後ろへ転ぶ。

「きゃああっ」

 自分が転んだと自覚した直後、ベルリアはすぐに立ち上がると逃げ出した。

 何かくわえていたから、余程欲張りでもなければ予備の食料としてベルリアを襲おうとはしない……と思いたい。

 彼女のたてた音と悲鳴にびっくりしてクマがよそへ逃げてくれればいいが、逆に追い掛けられたら、と思うと血の気が引く。

「待って、ベルリア!」

 自分の名前が聞こえ、走りながらベルリアは周囲を見回した。だが、ここで止まる勇気はない。

 空耳? 本当に誰か呼んだ? こんな時に待ってなんて言われても、無理よぉ。

「お願い、待って!」

 それでも、何度か名前を呼ばれたことで、ようやくベルリアはスピードをゆるめた。

 やっぱり誰か呼んでる? でも、誰? さっきのクマじゃないわよね。

 実際のところ、ベルリアはそんなに足が速くない。しかも、森の中というちょっと足場の悪い場所。

 なので、本人は必死に走ったつもりでも、クマと遭遇した場所からそんなに離れていなかった。

「だ、誰?」

 木の陰に隠れ、様子をうかがう。今の声は、どこから聞こえてきたのだろう。

「私よ」

 今走って来た方から、金色の小さな光が飛んで来る。それがベルリアの近くまで来ると、その姿を現した。金の髪の妖精だ。

「え……リンチェ?」

 ベルリアはその妖精を知っていた。

 時々、魔法使いの家へ遊びに来る妖精だ。彼女やその仲間は好奇心が強いようで、時々森の外にある魔法使いの家へ顔を出すのだ。

 ベルリアも会ったことがあり、いわゆる顔馴染みというやつである。

 美人と言うよりはかわいい顔で、見た目だけならベルリアと同世代に見えるが……妖精は長命だ。実際はベルリアの何倍生きているか、わからない。聞いても実感がわかないだろうと思い、ベルリアはあえて聞かないでいる。

 とにかく、その見知った顔が現れ、ベルリアはちょっと落ち着いた。何か魔法が必要になったとしても、妖精がそばにいてくれれば多少のことなら対処できるはずだ。

「ああ、よかった、止まってくれて」

「リ、リンチェ、今あっちの方にクマがいて……」

 まだ木の陰から出られず、ベルリアはこそっと覗くように顔を出して、クマがいた方を指差した。

「ええ、わかってるわ」

「わかってる? それなのに、こんな所で呼び止めたの?」

 クマの空腹加減によっては、魔法使いと呼ぶのもはばかられる程度の実力しかないベルリアが危険になる、と思わなかったのだろうか。彼女はベルリアの実力を、ある程度は把握しているはずなのに。

 リンチェのように羽があって飛べたりすると、自分は安全だから他も安全だ、と誤認してしまうものかも知れない。

「大丈夫よ、ベルリア。安心して。あのクマは味方なの」

「クマが妖精の味方? でも、人間の味方になるかはわかんないわよ」

 大丈夫、と言われても、すぐには信用できない。

「大丈夫だってば。今は私達の味方なんだから」

 ずいぶん自信があるような言い方だ。

 どうやらリンチェは、クマが普段は来ないような所へ来ている理由を知っているらしい。

 それに、味方と言うからには、いきなり背後から襲って噛み付く、なんてことはしない……だろう、と思いたい。

「あのね、あなたにお願いがあるのよ」

「あたしにできることならやるけど……それはあのクマ込みで?」

 襲われない、という保証があるなら。妖精の頼みだから、クマと一緒に行動するのも……ありかも知れない。かなり怖いが。

「あなたが手伝ってくれるなら、あの子には帰ってもらうわ」

「んー……わかった」

 クマ抜きなら、安心して話が聞ける。妖精の手伝い、という話を聞くのもちょっと怖い気がするが「喰われないだろうか」とどきどきしながらクマと一緒にいるよりはいい。

 ベルリアがうなずくと、リンチェはクマがいる方へと飛んだ。リンチェと話をしている間にこちらへ近付いて来たクマの姿を見て、ベルリアはまた木の陰に隠れる。

 リンチェはクマと何か話しているらしく、クマはくわえていた物を地面に置くと、回れ右をして森の奥へと消えて行った。

 妖精の手伝いをしていたらしいクマは、その仕事をベルリアに託して帰った、というところだろう。

「ベルリア、こっちへ来て」

 クマの姿が完全に消えたのを確認してから、ベルリアはリンチェのいる所へ行く。

 そこには、クマがさっきまでくわえていた物が、地面に置かれていた。

「何、これ?」

 透明なカゴがある。クマがくわえている時には、それが何なのかわからなかった。こうして近くまで来れば「魔法の力で作られた物」だというのは、魔法を勉強しているのでベルリアにも判断できる。

 わからないのは、中にある薄い緑の物体だ。

 形状からしてたまごと思われたが、それにしては大きい。見たところ、ベルリアの頭と同じか、少し大きいくらいだ。妖精のリンチェの全身サイズとほぼ変わらない。

 こんな大きなたまごを生むなんて、どんな動物だろう。もしくは鳥なのか。

 実際にあると聞いたことはあるが、薄いとは言え、緑のたまごの現物なんて初めて見た。

「これはね、竜のたまごよ」

 リンチェの言葉を聞いて、ベルリアは目を丸くする。

「え……竜がいるってことは何となく聞いてたけど……これが竜のたまご?」

「事情はおいおい話すから、このたまごを運んでほしいの」

「運ぶって、どこへ?」

「ひとまず、魔法使いの家に」

 告げられた目的地に、ベルリアは戸惑う。

「たまごなんか持って来たら、親の竜が追い掛けて来ない? 家が焼かれたり、壊されたりするのはいやよ」

 最初は転がり込んだ居候いそうろう状態で、今はベルリアの現住所。

 パドンの村へ戻れば、以前自分が住んでいた家がまだ残っているが、かなり傷んでいる。時々掃除に帰ったりしているが、住まない家が傷むのは本当なんだな、としみじみ思う。

 とにかく、今はベルリアの家でもある魔法使いの家が、竜に壊されてほしくはない。

「追い掛けて来ないわ。と言うより、追い掛けられない状態だから。とにかく、急いで運んでほしいの。見ての通りのサイズでしょ。私では持てないから、あの子に頼んでいたの」

 まだ事情はわからないが、あのクマは竜のたまごの運び屋だったのだ。その役目が、今からベルリアになったらしい。

「わかったわ」

 妖精が竜からたまごを盗むはずがない。

 だとすれば、何かよくないことが起きたのだ、とは予測できる。魔法使いの家へ運ぶのは、魔法使いの助けが必要だからだ。

 ベルリアは持っていた薬草採取用のカゴに竜のたまごを、魔法のカゴに入ったままで入れた。ベルリアのカゴよりたまごの方が少し大きいが、エッグスタンドに入ったような状態になって、むしろしっかりホールドされた形になる。

 ただ、つっかえる寸前の大きさなので、カゴの持ち手を持っての移動はきつい。

 ベルリアは、カゴを胸に抱えるようにして運ぶことにした。この方がずっと安全だ。たまごの重さに耐えられず、いきなり持ち手部分が壊れてカゴが落ち、たまごが傷付いたりする、なんてこともなくなる。

 思ったより重量があって、驚いた。

「これでいいわ。じゃ、家に戻るから、事情を聞かせてくれる?」

 ベルリアは転んだりしないよう注意しながら、出て来たばかりの家へ妖精と一緒に向かった。

「たまごが重いから、あのクマに運んでもらっていたの。魔法使いの家は、村から少し離れた場所にあるでしょ。今回くらい、そのことがありがたいって思ったことはないわ」

 ベルリアに会わなくても、リンチェは魔法使いの家へこのたまごを運ぶつもりでいたらしい。

 妖精はともかく、クマが村に現れたりしたら「襲われる前に」と考えた村人達に襲われかねない。クマだって、そんなことをされたら怖がる。

 魔法使いの家へ村人が来ることは、ほとんどない。魔法使い本人なら、クマを見てもいきなり攻撃をしかけたりはしないはず。

 魔法使いの家は、人間にもクマにも問題が起きにくい場所なのだ。

「事情を話すとは言ったけど、正直なところ……私にも詳しい事情はちゃんとわかっていないのよ」

 リンチェは魔法使いの家へ向かっている間に、おおよその事情をベルリアに話した。

 竜に突然頼まれて、たまごを運ぶことになったこと。悪い人間が、このたまごを狙っているということ。竜が何らかの方法で眠らされた、ということなどだ。

「それが、昨日の夕方より少し前くらいの時間なの。わざと森のあちこちを移動して、もし追い掛けて来てもすぐに追い付けないようにしたつもり。そのおかげかどうかはわからないけれど、今のところ追っ手の気配はないわ」

 今の時間は、事件が起きた次の日の朝。およそ半日、たまごは森をさまよっていたのだ。

「森を移動している間に調べたけれど、何か魔法がかかっているみたいなの」

「魔法って、このたまごに?」

 リンチェに言われても、ベルリアにはよくわからない。リンチェが作ったカゴから、魔法の気配をどうにか感じられるくらいだ。

「ロディアスならわかると思って。私にはどういう魔法かもわからないのよ」

「妖精にもわからないなんて、厄介そうな魔法ね」

 それでも、ロディアスなら何とかしてくれるだろう。

 普段は本ばかり読んで、魔法古書や辞書とにらめっこしているロディアスだが、魔法の腕は確かだ。そこは魔法使いの両親に、子どもの頃からしっかりたたき込まれている。

「どういう魔法かよくわからない。だから、とても心配なの。たまごに悪影響がないかしら。たぶん、あと二、三日もすれば生まれるはずなのよ」

「え、孵化寸前ってこと? 大変。早く魔法を解いてあげなきゃ。どんな魔法にしろ、中の子は苦しいはずよ」

 リンチェの言葉を聞いて、ベルリアは足を速めた。

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