第2話 魔法使いの弟子で妻

「私の……子を……ど……する……の」

 パシッと音がして、直後にバンボダが叫ぶ。

 竜の尾がバンボダの手をはたき、その痛みで盗人が悲鳴を上げたのだ。持っていたたまごは、竜の身体の上を転がる。

「くそっ、たまごが……。薬がまだ効いてなかったか」

 強力な眠り薬のはずだったが、やはり竜には効かなかったのか。それとも、こちらが動き出すのが少し早かったのか。

 竜は、完全に眠ってしまったのではなかった。もうろうとしながらも、我が子に何かされていると知り、とにかく守らなければと思ったのだ。

 竜の、と言うより、親の本能だろう。

「ここから出て行って」

 その言葉と同時に、風が吹いた。突風にあおられ、二人の密猟者は巣から飛ばされる。

 だが、そこまでだった。

 どうにか半分開いていた目が、どんなにあらがっても閉じようとする。身体から力が抜けてゆく。

 かすむ目に、何か魔法をかけられたらしいたまごが映った。

「シェラージェス!」

 自分の名を呼ぶ声を聞き、シェラージェスと呼ばれた竜は閉じかけていた目を何とか開こうとする。その目に飛び込んできたのは、背中に透明な羽根がある小さな妖精だった。

 ゆるやかなくせのある金色の髪をなびかせ、すみれ色の瞳が不安げに向けられている。

 子どもに何かされていることを知ったシェラージェスが、近くにいる誰かに来てほしいと念を送り、それを受け取ったのがこの妖精のリンチェ。

 その呼びかけの様子がおかしいことにすぐ気付いたリンチェは、急いで竜の元へ来てくれたのだ。

「この子……守って……」

 リンチェは何があったのかと尋ねるが、シェラージェスに事情を話せる余裕など残っていない。もう意識を保つのも難しかった。

 とにかく、たまごの保護だけでも伝えたい。

 その一心で、助けを求める言葉を口にする。その口の中には、不快感がまだ残っていた。

「シェラージェス、しっかりしてっ」

 顔見知りの妖精がどんなに声をかけても、竜が応えることはなくなった。

「ってぇー」

 男の野太い声がした。この辺りまで来るはずのない、人間の声だ。

 リンチェはまだ事情が掴めないが、とにかく竜のたまごをこの場からどこかへ移動させなければ、ということだけはわかった。

 妖精仲間に集まってくれるよう魔法で呼び掛け、彼らが来てくれるまでにリンチェは風を編み込んで透明なカゴを作る。その中へたまごを入れた。

 ……入れた、と簡単に言っても、たまごはリンチェより大きく、重い。もちろん魔法を使ったが、かなりの重労働だった。

 そうしている間に、妖精の仲間と森の動物達が何事かと駆け付ける。

「な、何だ、これは」

 巣から放り出されたゲノビス。腰を打ったが、どうやらそれだけで済んだようだ。

 竜に飛ばされはしたが、やはり眠りかけだったこともあって、力は弱まっていたらしい。本気でやられていれば、その辺りの木に飛ばされていただろう。恐らく、身体が単なる肉片になる程に。

 痛みをこらえて起き上がったものの、いきなり集まって来た妖精や大小の動物の姿を見て戸惑う。

 同じように身体のあちこちをさすっているバンボダと一緒に、もう一度たまごを取ろうとしたが……いきなり状況が一変したことを知らされた。

「あ、兄貴、何っすか、これ」

「俺だって知るかよ」

 二人は妖精を捕まえることもある密猟者ではあるが、それは相手が単体で油断している時であったり、罠を掛けたりすることでうまくいくのだ。こんな状況で、真正面から複数と戦ったことなどない。

 人間二人が戸惑っている間に、リンチェは集まって来た動物の中からクマを呼んだ。風で編んだカゴの取っ手をくわえてもらい、たまごを移動させるべく竜の巣から出る。

 あいつら、きっとこのたまごを狙ってる。今はとにかく、ここから逃げなきゃ。

「みんな、その人間を足留めしておいて」

 妖精の仲間達に頼み、リンチェはクマとともに急いでその場から離れた。

 背中に人間達の怒声どせいを聞きながら。

☆☆☆

 ベルリアは黒の薄いマントをはおり、薬草を入れるためのカゴを持つ。いつものお出かけスタイルだ。

 マントはあつらえたものではないので、小柄な彼女には少々すそが長い。とは言え、自分で踏んで転ぶ程ではないので、ベルリアは気にしないことにしている。

 準備ができるとベルリアは、朝から難しい顔で魔法書を読んでいる黒髪の青年に声をかけた。たぶん聞こえないだろうと思い、彼の真横に立って。

「ロディアス、森で薬草を摘んで来るね」

「ん? ああ……」

 生返事する青年の眉間を、ベルリアは遠慮なく指で突く。濃い青の瞳が「何をするんだ」と言わんばかりに、ベルリアを軽く睨んだ。

「ほら、また眉間に皺が寄ってるよ。そんな怖い顔で読んでたら、本が怖がるでしょ」

「本が怖がってたまるか。行くならさっさと行って来い」

 ロディアスは不機嫌そうに、ベルリアの手を払う。

「早く帰るつもりだけど、お昼を過ぎたら先に食べてね。テーブルに用意はしてあるから。いーい? ちゃんと食べてよ」

「腹が減ったら食う」

 言いながら、ロディアスの視線はすでに本へ戻っている。

「お腹が空いてるのもわからないくせに。時々は時間を確認してよね」

「わかったから、行けって」

 本から目を離さず、ロディアスは追い払うように手を振った。

「もう、口ばっかり。本を読み出したら、自分の身体と外の世界に無関心になるくせに」

 ぐちぐち言いながら、ベルリアは家を出る。黒い三つ編みが、背中ではねた。

 メルーカの森の近くに立つこの家は、昔から魔法使いが住んでいる。ベルリアは「昔」というのがどれくらい前になるのか知らないが、かなりの年月らしい。

 だが、外観はせいぜい築十年、といったところだ。そんなに古さを感じさせない。台所や寝室、他の部屋もみんなきれいだ。やはり魔法使いが住むと、何か違うのだろうか。

 現在、この魔法使いの家には、青年魔法使いのロディアスが住んでいる。彼の両親が魔法使いで、ベルリアが聞いたところによると父方の先祖がここで住むようになったらしい。

 魔法使いが住んでいると、魔法の力に惹かれてしまうのか、家に妖精や色々な存在が現れることがある。

 彼らを見ても、魔法使いならそんなに驚くことはない。言ってみれば、村にいる隣人と同じ。だが、普通の人はそうもいかない。

 この家から一番近いのは、パドンの村。だが、そういった事情で、村から歩いて十分くらい離れた場所にこの家は建てられている。

 村の外れという位置づけで、村人と頻繁に顔を合わせる訳ではないが、ロディアスも一応パドンの村の一員だ。

 父のゼルーブは王都から依頼された魔法古書を解読し、現代語に翻訳する仕事をしていた。ロディアスは幼い時からその様子を見て、父と同じ仕事をするために勉強するようになる。

 そのゼルーブは、ロディアスが十八の時に急逝きゅうせいした。

 魔法を使うと言っても、人間には違いない。疲れがたまっていたところに風邪を患い、あっさりだった。

 それから五年。

 母のテスレースが、用事で村へ行った時、たまたま来ていた隣村の男性ダールディと出会った。二人はお互い、一目惚れ。

 この時点で、息子は二十三歳。放っておいても問題ない年齢だから、ということで、テスレースは再婚してあっさりと隣村へ行ってしまう。

 ということで、魔法使いの家にはロディアスが残った。

 が、一人暮らしではない。今、ロディアスの家から出て来たベルリアも、一緒に暮らしている。

 ベルリアは見習い魔法使いだ。魔法使いというより、魔法薬剤師を志望している。

 でも、全く魔法ができない、というのでは何かと問題が生じるので、三日に一度はパドンの村からこの家へ通い、ゼルーブから魔法を習っていた。それが、十歳頃。

 テスレースが魔法薬を作っていたので、薬の知識は彼女から学んだ。

 魔法使い夫妻の元へ通えば、一緒に住んでいる彼らの息子ロディアスとも当然顔を合わせる。お互いの家は少し離れているが、同じ村の住人。なので、ロディアスとは幼馴染みと言える。

 八つも離れていると「ベルリアは幼くても、俺はそういう年でもないのに幼馴染みという言い方はどうなんだ?」とロディアスには言われるが、他にいい言い方がわからないのでベルリアは「別にそれでいいじゃない」と構っていない。

 それでも、ロディアスが納得する言い方を探して「兄弟子」という言葉を見付けた。同じ魔法使いから魔法を習ったのだから、これなら間違いない。

 亡くなるまでのわずかな期間をゼルーブに、その後テスレースに魔法と薬学を習っていたベルリアだが、師匠となるテスレースが再婚して出て行ってしまい、その後は母に託されたロディアスに教えてもらうことになった。

 兄弟子から師匠へ、強制昇格である。

 教えてもらう相手が変わっても、ベルリアはそれまでと同じように三日に一度、この家へ通った。が、すぐにそれが「毎日」に変わることに。

 本を読み出したり、古書の解読を始めると、ロディアスは寝食を忘れる。三日前にあれこれ教えてもらって帰り、次に来た時に服も着替えず、食事もまともにしていない。そんなロディアスを数回見て心配になったベルリアは、毎日来るようになったのだ。

 ベルリアは両親がおらず、祖母に育てられたのだが、テスレースが再婚して間もなくの頃に亡くなっている。

 そんな事情もあって、毎日通うことに支障はない。頼まれてもいないのに、家の中を片付けて食事を作るまでになった。

 元々、ベルリアは世話好きな性格なのだ。家事は得意とは言えないが、いつも自宅でしていることなので苦手でもない。

 ここへ来ると、まずは日常の用事を済ませ、魔法を習うのはそれから。そうなると、日によっては帰る時間が遅くなってしまう。

 この家には、キッチンとロディアスの部屋以外に三部屋ある。それをわかっているから、勝手知ったるで時々泊まるようになった。

 それまでは本を借りて自宅で読み、次に来た時に返すようにしていたのだが、ここにいれば厚くて重い本を持ち運ばなくて済む。道中に転んで、汚してしまう心配もない。

 村からここへ通う時間は、往復をトータルしてもわずかなもの。だが、その分の時間も勉強に回せる。

 魔法薬を作るための道具は揃っており、テスレースに「好きなように使っていいわよ」と言われているので、時間を気にすることなく作業部屋を使える。

 そういうことを繰り返すうちに二年が経ち、気が付けばベルリアは魔法使いと完全に同居するようになった。有りていに言えば、家族になったのだ。

 プロポーズらしき言葉は……なかった。ベルリアもロディアスの性格は知っているし、こんなものだろう、と思っている。

 ベルリアは住み込みで修業している気分が抜けないでいるが、普段やっていることがこれまでと変わらないので「ま、仕方ないよね」と思っている。師弟関係の延長、みたいなものだろうか。

 通いでおよそ五年、同居するようになって二年足らず。それ以前からもお互いの存在は一応知っていて、その年月も足せば十年以上付き合っている。

 そうなると、どちらも「いて当たり前」みたいな感覚だ。

 そのせいか「本当にロディアスを夫と呼んでいいのかな」と思う時が、たまにある。

 ロディアスはベルリアを「身内と考えている」っぽいし、村でも「あの二人は結婚した」と思われているようなので、ベルリアが間違った認識でいる訳ではないようだが……。

 とにかく、今はベルリアも魔法使いの家の住人として定着しつつあった。今更追い出されては、ものすごーく困る。

「サンドイッチにしておいたけど、あんまり効果ないもんなぁ。くわえたまま、口は完全に止まってる、なんていつものことだし」

 わずかに家の方を振り返り、ベルリアは小さくため息をつく。

 ぱくっといけば、次はもぐもぐ……といってくれればいいのだが、全ての神経が本に集中するらしく、それ以上動かない。

 一人の時だと完全にそうなるので、一緒にいる時は本を取り上げて食事に目を向けさせる。

 一緒に住むようになってから、ベルリアはそうやってロディアスに食事をさせるようになった。ちゃんと聞いてはいないが、たぶんテスレースもそんな感じのことをしていたのだろう。

 でなければ、今頃ロディアスは背ばかり高い骨格標本状態になっているに違いない……とベルリアは思っている。

 幸い、現実には「細身」と表現できるくらいの体格だ。そんな細い体型のくせに、重い本を何冊も運んだりするせいか、力はそれなりにあるのだから何だかずるい。

 魔法使いとしては珍しく短く切られた黒髪は、洗う時とくしを入れるのが面倒だから少しでも早く済ませられるように、という横着さゆえ

 本を読み始めたら、言われるまで他のことをしない。古書の解読や、魔法使いとしての知識をひたすら吸収するという部分は尊敬できるが、他の生活をないがしろにしかねない人である。

 とにかく、心配なら自分が必要な分の薬草を摘んで、さっさと帰ればいいのだ。

 ロディアスもベルリアと一緒に食事する時と、彼女に魔法を教える時は本や古書を置く。なので、食事時間を彼一人にしなければいい。

 ベルリアは、いつも薬草を摘んでいる場所へ足早に向かった。

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