第10話 「そのために」


「よし、こんなもんじゃろう」


 森の中、ある小さな村で老人から傷の手当を受けている少年がいた。


「ありがとう。助かったよ、じーさん」


 それは、つい先程まで魔族との激闘を繰り広げボロボロだったアース。その全身には至る所に包帯が巻かれ、見るだけなら悲惨とも言える状態だが少なくとも本人は元気そうだった。


「ちょっとアース、助けてもっらたんだからもっと言い方ってのものがあるでしょ……」

 そんなアースの隣で横たわっているのはリン。ついちょっと前までは虚な目で死にそうな顔をしていたが、今はだいぶ顔色も良くなり死の気配は感じられない。それでも腹部には厳重な処置がされ、体も動かせない状態ではあるのだが。


「はっはっは、別に構いやせんよ」


 二人のやりとりを聞いて、朗らかに笑う老人。


「リンってそういうの気にするっけ? いつも好戦的なのに」


 アースの言葉通り、リンも普段は初対面だからと言って礼儀正しくするような性格ではない。それでも、今回はばかりはそうではなかった。


「別に好戦的ではないわよ。というか、そうじゃなくても命を救われた様なものなんだから、さすがの私でも気にするわよ」


 それが理由。お互い魔族に殺されかけ命からがら逃げ延びたは良いものの、そのままであったら間違いなく死んでいた状況。それを救ってくれたのが、今いる村の人々だった。


「本当にありがとうございます」


「いや、わしは手当をしただけじゃ。礼なら……」


「おじいちゃん、新しい水持ってきたよ」


「この子。孫のセリカに言ってくれ」


 そう言って老人が頭に手を乗せるのは、銀色の髪をツインテールで纏めた幼い女の子。森の中にあり、誰にも知られていない様な小さな村。リンとアースがそこに辿り着いたには、その少女と偶然出会ったからだ。


 腰が悪い老人の代わりに陽は暮れていたが川まで水を汲みにきていた少女。そこでボロボロの二人と出会い、最初は警戒したが事情を飲み込み村まで案内してくれた、というのがここまでの経緯だった。


「確かに、そりゃそうだ。ありがとな!」


「別に……」


 笑って礼を言うアースに対し、照れるでもなく素っ気なく返すセリカ。その後に二人のことを少しだけ見つめるが、手当てに使ったものを持ち、片付けてくると言って部屋から出ていってしまう。


「すまんのう。根は優しい子なんじゃが、いかんせん素直じゃなくてな」


「いえ、あの子には感謝してますよ。実際、村まで案内してくれたので」


「ああ。それにこっちには、リンがいるからな。あれぐらい全然マシだ」


「よかったわねアース。今私が動けなくて……!」


 遠回しにリンの性格が悪いと言うアースに、動けないながらも怒りを見せる。おそらく動けていたら、ヘッドロックぐらい決めていたかもしれない。


「なんだ、思ったよりも元気そうだな。安心したよ」


「ったく……まあ、確かにあの状態からここまで持ち直せるとは思ってなかったわ。おじいさんとあの子以外にも、協力してくれた村の人……特に回復魔法を使ってくれたあのお婆さんには感謝しかないわね」


 リン腹部にあった傷。それは単に手当するだけでは決してどうにかなるものではなかった。だが、村に回復魔法の使い手がいたことで、なんとかその一命を取り留めることができた。


「それにしても、森の中にこんな村があったんだな。知らなかったよ」


「そうね。いくら開拓されてない森とはいえ、そんなに大きくないんだしちょっと噂ぐらいあっても良さそうなものよね」


 と、そんな二人の会話を聞いていた老人は不思議そうな顔をする。


「大きくない?」


「ああ、迂回もできるしそんな大きくないだろこの森」


「ふむ……ああ、お主たち勘違いしておるんじゃないか?」


「勘違い?」


 老人は立ち上がり、引き出しから地図を取り出してそれを二人の前に広げる。


「お主たちが言っているのは、この森のことじゃろう」


 そう言って指し示すのは、二人の故郷の村から四時間ほど歩いたところにある小さな森。


「リン、これだよな」


「ええ、私たちが入ったのは間違いなくその森よ」


「やはりそうか。じゃが、お主たちが今いるのはこの森ではない」


 指し示していた森から指を動かし、次に示されたのは二人が入った森から西に二キロほど離れた場所にある森だった。地図上でも見る限り、それなりの広さが伺える。


「どういうことだ?」


「……そっか、あの洞窟。迷いすぎてどこに向かってるかも分からなかったけど、気付かないうちに元いた森を抜けて、この森まで来てたのね」


 このことに関していえば、暗い洞窟で方向を感覚を失い、さらに二人が川から出た場所が森だったため勘違い……というか気付けるはずもなかった。


「なるほどなー。でもそうなると、この広さであのセリカって子と会えたのはだいぶ運がよかったんだな」


「まあそれはそうだけど、運のこというなら魔族に襲われるのなんて最悪も最悪でしょ」


「魔族?」


「ああ、そういえばアースは知らなかったっけ。洞窟で戦ったあいつ魔族よ」


「え、あいつ魔族だったのか⁉︎」


「そうか、魔族か……」


 アースが驚くのとほぼ同時に老人がそう呟く。


「そうだろうとは思っていたが、やはりお主らはあの緑髪の魔族にやられたのじゃな」


「え……おじいさん、あいつを知ってるの⁉︎」


「知っておるとも……」


 言いながら目を伏せて苦しそうな表情を見せる。


「お主らが会った魔族……名を『ケイス』。この村はそのケイスという男に……支配されておるのじゃ……!」


「え⁉︎ 支配って……」


「一年前の話じゃ。あやつは突如現れ、この村を支配下に置くと言い出した。もちろん、最初は受け入れられなかった……だが、受入れられなかった者も反抗した者も、皆殺された」


 老人の口から語られた衝撃の事実とその凄惨な現実に、リンとアースは驚きながらも何も言えなかった。


「子供、若者、大人、老人……抵抗したものは例外はなく。まるで見せしめのように十人以上が殺され、それ以来抵抗することは無くなったのじゃ」


「……あいつは今どこに?」


「ここじゃ、この森の中には一部だけ岩場になってる場所がある。やつはそこに居をおいておる」


 老人が再び地図を指し示す。そこはあまり村から離れておらず、走れば五分もかからず辿り着く距離だろう。


「でも、目を盗んで逃げるとか……」


「それはできん。これを見てくれ」


 リンとアースの目の前に差し出される腕。そこには明らかに星級レルタとは違う黒い紋章が刻まれたいた。


「それは?」


「言ってしまえば呪いの様なものじゃ。これはあの男が村人全てに刻んだ紋章。これがあるものは村から一定以上離れると死に至る」


「そんな……じゃあ何か助けは!」


「この村には助けはこない、お主らもここの存在は知らなかったじゃろう。仮に外から来た者に助けを呼んでもらっても、その場合はわしらも殺すと脅されておる」


 完全に手詰まりの状況。自分たちを助けてくれた人々が置かれている厳しい現実に、二人も苦しい顔をする。


「じゃが、幸いあやつに従っておけば害されることはない。たまの貢ぎ物も食糧を渡せばいいだけじゃ、生贄などを要求されることはない」


「それで、いいいのか……」


「よくなくとも、取れる手などない……何より今ここに残っとるものは、わしを含め村人が殺されていく中で反抗すら起こせなかった臆病者たちじゃ」


「それは反抗したら殺されるからで……」


 死を恐れず立ち向かった者、死を恐れ生き残った者……どちらが正しいのかはわからない。だが、死んだ者がいて自分たちが生きているという現実に、今の村人は罪悪感を持ってしまっている。


「この村は発展こそしなかったが、長い間先祖から脈々と受け継がれてきた場所でもある。じゃから、わしみたいな年寄りは元よりここに骨を埋める覚悟じゃった……ただ、あの子、セリカだけはどうにかここから逃してやれればと思っておるんじゃがのお……村の総意でもあるしな」


「総意?」


「ああ、この村にはすでに若者と呼べるものは残っておらぬ。元々こんな辺鄙な場所だからのう。ただでさえ若者は少なかったんじゃが、その数少ない者も殺されてしまった。唯一の例外はあの子だけじゃ、だからせめて若い芽だけは残そうと皆そう思っておるんじゃ」


 きっと紋章の呪いさえなければ、命をかけてでもそうしたいたのだろう。だが、紋章があるせいでたとえ逃してもセリカ自身が死んでしまう状況にある。


「……」


「こんなの……」


「と、すまんのう。お主たちにこんな話をしても仕方がないというのに……お主たちも満足に動けるほど傷が癒えたら、いち早くここを離れた方がいい。この村にいればいつ見つかるか分からんからな」


 老人は立ち上がり、部屋の出口に向かう。


「とりあえず、今日は夜も更けておる。回復のためにも寝ておきなさい」


 それだけいい残して、今度こそ部屋を出ていってしまう。訪れるわずかな静寂、それを先に破ったのはリンだった。


「アース……」


「分かってる、あの魔族をたお──」


「ダメよ」


「…………え?」


 放たれたのは拒絶の言葉、それがあまりに意外だったのかアースは珍しくリンに対して動揺する。


「何言ってんだよリン! どう考えたってあいつを倒すべきだろ!」


「……」


「それに、俺たちは助けられたんだ! リンだって言ってたろ!」


「分かってる! 私だって今のままでいいなんて思ってない!」


 リンの顔に浮かぶのは決して冷血な感情なんかじゃない、苦しさを抑えて否定の言葉を紡いでいるのだ。


「じゃあ……」


「それでも! それでも……私たちじゃ、あいつに勝てる可能性なんてほぼないわ!」


「そんなのやってみなきゃ分かんないだろ!」


「だとしても、今私たちが死んだらこの村を救える可能性は限りなく低くなるのよ!」


 白熱する言い合い。今まで言い合うことはあっても、二人がここまで真剣にぶつかり合うのは初めてだった。


「私だってこの村を見捨てようと思ってるんじゃない、ただ今は無理だって言ってるの」


「どういう意味だよ?」


「まず、外部の人間がこの村にたどり着くのは普通じゃそうそうあり得ないわ。ただせえ王都から離れていて、こんな森の中にあるんだもの。私たちが見つけたのだって偶然に偶然が重なったからよ」


「それぐらい分かってる。それこそ誰にも見つからなくて、助けも呼べないなら俺らがやるしかないだろ!」


「そうよ、この村は私たちが救うしかないのよ。だから無駄死にだけはしちゃいけないの!」


「……」


「……」


 ここに来てようやく二人は落ち着きをとり戻す。


「私たちが今無謀に突っ込んで死んだら、この村の救済は絶望的になる」


「じゃあ、どうするんだ?」


「決まってるでしょ、あいつよりも強くなるのよ!」


「!」


「一度ここを離れて、旅をして、そしてあいつより強くなった時、ここに戻ってきましょう。お爺さんが言ってた通り、幸い抵抗しなきゃ殺されることはない。今は抵抗しようとしてる人もいないってことだし、その間に強くなるの」


「…………」


 リンの言ってることは一見正しい。ただ、それは理想論でもある。あのケイスという魔族より強くなるのにどれだけかかるのか、そもそも可能なのか。そしてこれから先、この村の状況もどうなるか分からない。今のはそれらを敢えて無視した話だと、アースでさえ……いや、アースだからこそ気づいた。


「リン……」


「分かってる……でもね、アース。私がこの旅についてきた一番の目的は……あなたを死なせないことよ」


「……」


「そのために、私はここにいるの。だから残酷だし冷血だと思われても、今避けられる無謀な戦いにアースを行かせることはできない」


「…………わかったよ」


 あまり聞くことのないリンの切実な声、その意思を汲み取りアースは渋々と提案を承諾する。事実リンが言ったことは理想論ではあるが、この村の膠着状態が続くのは可能性として低くない。ならば、あとはアースたちが強くなれるかどうかだけだ……。


「……とりあえず今日はもう寝ましょう。流石に疲れたわ」


「ああ、そうだな」


 そうして二人は眠りについた。


           ♢♢♢♢♢


 二人が交わした会話、それは外から聞いた時どう感じるられるだろうか? 一見村のことを思ってる様でも我が身可愛さに逃げ出す……というのは穿った見方でも、二人が強くなる保証はない、たとえ強くなっても帰ってくる保証はない、それは事実だ。

 ならば、当事者がそれを聞いた時、『幼い子』がそれを聞いた時、抱く感情は……。


「やっぱり助けなんて来るわけない……なら自分で……」


 月の光が照らす静かな夜、小さな呟きは誰にも聞こえず闇に溶けて消えていった。

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