第2話 「応える声は此処にある」


「グオルアアアアアアァァァッ‼︎‼︎」


「るせっ……!」


「うっ!」


 吠える化け物、その声を間近で受ける二人は耐えきれず耳を塞ぐ。


「くそっ! 何だあいつ、見た事ないぞ‼︎」


「あの赤い体毛に、あの三つ目……まさか、パルグライド・ベリル⁉︎」


「何だ、知ってんのかリン⁉︎」


「少なくともこの付近では絶対に出ることのない魔獣よ!」


「魔獣って、まさかリンが言ってた『2』《セカンド》相当の魔獣か⁉︎」


「いいえ、、違うわ。ランク自体は『1』《ファースト》よ……けど、その位置づけは『1』の最上位。つまり……ほぼ星級『2』の魔獣よ‼︎」


 それはいくら剣が強かろうと、いくら魔法が使えようと、十三歳の星級『1』二人では、絶対と言っていいどに勝ち目が一切ない相手。

 それが今不可避の現実となって、アースとリンの目の前で息づいている。


「そうか、どちらにせよやるしか……」


「何言ってんの! 逃げるわよ!」


「え? あ、おい⁉︎」


 魔獣に対して木剣を抜いたアースだったが、リンはそれを止めアースの手を引いて魔獣から逃げることを選択する。


「おい、いきなり何すんだリン!」


「それはこっちのセリフよ! 何バカ真面目に戦おうとしてんのよ。逃げるしかないでしょ‼︎」


「いや、逃げるつったって……」


「グオオオオアアア‼︎」


「「⁉︎」」


 逃げようとする二人を魔獣が黙って見逃してくれるはずもなく、叫び声を上げながら猛スピードで追いかけてくる。その速度は凄まじくすぐに二人に追いつき、その勢いのまま突っ込んでくる。


「くっ、悪いリン!」


「えっ、きゃあ⁉︎」


 アースはリンを横に突き飛ばし、またその反動で自分も逆方向に飛ぶことで突進の軌道を外れる。それで何とか突進を避けることはできたが、魔獣はすぐに止まり二人の間に立つような形になる。

 そしてそのまま倒れてるリンの方を向き、吠えながら攻撃を仕掛けようとしてくる。


「っ、待て! お前‼︎」


 それに対し、体勢が崩れていなかったアースは再び木剣を抜き、自分に背中を見せている魔獣へと飛びかかり剣を振るう。


「おおおおおぉぉ‼︎」


 完全な死角、背中からの攻撃。本来なら不可避……だが。


「グアオオ‼︎」


「なっ⁉︎」


 魔獣は背後からの気配を察知したのか、その巨体からは想像のつかない速さで振り返り、その遠心力を利用したままアースに腕を振るう。


「く、おおおおっ‼︎」


 アースは空中にいながらも無理矢理に剣の軌道を変え、振るわれてくる腕に合わせる。とはいえ、そこにはあまりにも大きな力量差がありとても弾けそうにはないが、アースの狙いは別にあった。


「おおお、らあっ‼︎」


 アースは魔獣の爪に引っ掛けるように剣をあわせ、その反動で自分自身を下に逃す。その結果空中を狙って放たれた攻撃は、文字通り空を切る。だが、自分で下に逃げたとはいえ、それは半ば叩きつけられるようなもの、着地の瞬間にどうしても隙ができてしまう。


 魔獣はそこを見逃すことなく、すぐさま次の攻撃を放つ。体勢を立て直しつつも、それを避けられないと判断したアースは何とか剣を構え直撃を防ごうとするが……。

 バギッ‼︎ と音を立てて、魔獣の攻撃に耐えきれなかった木剣が柄と刀身で真っ二つに砕かれる。


「いっ⁉︎」


 いくら剣だと言っても素材が木では、魔獣の攻撃に耐えるなんて無理があったのだろう。

 そして、剣を破壊した魔獣の爪はそのままアースの体に迫っていく。


「グルアアアァァ!」


「うっ、ぐああっ⁉︎」


 攻撃を避けようとアースは何とか身を引くが、そもそも避けられないと感じた攻撃、壊れた木剣で多少勢いは殺されたが完全に避けることはできず、肩を鋭い爪で引き裂かれる。

 そこへ畳み掛けるように魔獣は踏み出し、アースを踏み殺そうとする。肩に傷を受けたこともあり膝をついたアースは動くことができないでいた。


「まずっ……!」


「グオオオオアアアァッ‼︎」


 そうしてアースは、なす術なく踏み潰される。


風護空来クリアホール‼︎」


 はずだったが、急にどこからか突風が吹きアースは転がるように吹き飛ばされる。結果として魔獣の足は地面を踏むだけに終わり、アースが踏み潰されることは無かった。


「はぁ……はぁ……助かった、リン!」


「それはお互い様よ」


 急な突風は自然現象ではなく、リンの風魔法によるもの。アースはそれに感謝しながら何とか立ち上がる。


「それより、その傷大丈夫⁉︎」


「ああ、ギリギリな。これ以上深かったらやばかった……くそ、とんでもない動きするなこいつ!」


 パルグライド・ベリル。この魔獣は特別な能力などはもたない。だが、だからこそ恐ろしいのだ。特別な能力を持っていないということは、純粋な強さのみで『1』の最上位に位置付けされていることになる。つまり……。


「こっちもまともに戦って勝たなきゃいけない……。でも、まともに戦うなんて無理よ! 逃げるしかないわ!」


「そうは言うけど、ここで逃げてもさっきと同じようになるだけだろ!」


 魔獣を間に挟み、言いあうアースとリン。魔獣は獲物を吹き飛ばしたのがリンだと気づき、恨みがこもった眼をむける。


「っ……確かにそうね。何とか隙を作らなきゃ」


 そう言ってリンは目配せを送る。アースはそれに頷き、


「よし、やるか!」


 魔獣に正面から向かっていく。相手もそれに気づき、視線をアースに向け直す。何の工夫もない正面衝突、両者の差を考えればどちらが負けるかは明白だろう。


「グルアアアア‼︎」


 向かってくるアースに対し、魔獣も一歩を踏み出し再びその鋭い爪で攻撃を仕掛ける。だが、その攻撃が当たる寸前でアースの姿が下にブレる。


「グオッ⁉︎」


 魔獣の爪が髪を掠めるが、アースはスライディングのような形で股下をくぐり魔獣の背後をとる……が。相手は『1』の最上位、アースが攻撃に転じるより早くその身を翻しその腕を振るう。


飛包の青炎ツアルバースト!」


「グアガアアアァァッ⁉︎」


 それに対しリンが杖から青い火球を放ち、それが直撃したことで少しだけ後ずさる。そこでアースは急停止し、一気に魔獣の方へと飛ぶ。そして剣の柄を逆手に持ち、砕かれてささくれだった部分を渾身の力で魔獣の腹に突き立てる。


「らあああっ‼︎」


「グゥゥッ!」


「チッ、かったいな……!」


 渾身の力で放った攻撃だが、そもそも砕かれて攻撃力が落ちている剣では、パルグライド・ベリルが生来よりもつ堅強な肉体には多少食い込む程度で大したダメージは与えられなかった。


「グルオオオッッ‼︎」


「うおっ⁉︎」


 むしろそれは怒りを煽るだけであり、怯むことなく爪を突き立てようとしてくる。アースはそれを、咄嗟に後ろに飛び退き何とか回避する。


「あっぶねえ! くそっ、全然効いてないな」


「私の魔法も少ししか効いてないわね」


 隣り合い、苦い顔でそうこぼすアースとリン。一方で魔獣も怒りを滲ませた顔で二人をにらみ、大きく吠える。すると、魔獣はなぜか近くにあった大木を掴む。


「ん?」


「何する気……」


 困惑する二人に対し、魔獣は吠えながら大木を持つ手に力を入れる。そして、一瞬の後、大木はメキメキと音を立てながら、その根っこごと引き抜かれていく。


「ちょ、まさか……⁉︎」


「グオルアアアアアッ‼︎」


 リンのいやな予想通り、魔獣はその大木を二人向かって投げつける。


「嘘でしょ⁉︎ どんな力してんのよ!」


「避けろ‼︎」


 二手に分かれその場を離れるアースとリン。


「うわぁっ⁉︎」


「っあ‼︎」


 大木の直撃こそ避けるが、衝撃で二人はその場に腰をつく。さらに大木が叩きつけられた衝撃で舞った砂塵と、バラバラになった破片の雨で視界が悪くなる。


「っう……無茶苦茶しやがって。おいリン、大丈夫か!」


「けほっ、ええなんと……アース避けて‼︎」


 言葉の途中で叫ぶリン。その視線の先、つまりアースの後ろには砂塵で覆い隠された大きな影があった。


「‼︎」


 アースがその存在に気づくと同時、砂塵を薙ぎ払う豪速の蹴りが放たれる。


「くっ……!」


 すでに眼前に迫っている大きな足。それを刀身がない剣の柄で防ごうとするのが、それでは攻撃にすらならないのは先ほど証明されている。ならば防御にも役立つはずはなく、蹴りによって全体に大きく亀裂が入り、今度こそ完全に砕け散ってしまう。


「うっ、づあっ‼︎ が……あ⁉︎」


 武器を失ったアースは自らの腕で頭と腹部を庇うが、それだけで何とかなるような攻撃でない。蹴りが直撃した腕にはマグマが流し込まれたような熱と痛みが生まれ、その衝撃は体を貫き全身に鈍痛が走る。


「グオオオオオオルアアアアァァッッ‼︎‼︎」


 魔獣がその足を振り抜く。


 それによって、脳が攪拌されながら地面を跳ね転がっていくアース。その勢いは凄まじく、アースの体は木を二本薙ぎ倒し、三本目の幹に大きく窪みをつけたことでようやく止まる。


「ゲホッ‼︎ グ……ぁ、がづ……ばあっ⁉︎」


 頭から血を流し、口からも吐血する。意識を失ってないことすら奇跡的な状態。


(は、あ……はあ……くそ、視界がぼやける……体も動かねぇし)


 口を開くことすらできず、心の中でぼやく。


「アースッ‼︎」


 悲痛な声をあげ、アースの元に駆け寄ろうとするリン。


「ガアアアァァ!」


「! わっ⁉︎」


 その横合いから魔獣が飛び込んできて爪を突き出す。それを咄嗟に飛んでかわすリン。


「邪魔よ! 飛包の青炎ツアルバースト‼︎」


 飛んだ状態で杖を魔獣に向け、近距離で先ほどの魔法を放つ……が。


「グアアアアァッ!」


「そんなっ⁉︎ うあっ!」


 青い炎は簡単に薙ぎ払われ、空中で身動きが取れなかったリンはそのまま魔獣の腕で木に押さえつられる。


「ぐう、う……離し、なさいよ……」


「グルルルルゥゥ……!」


 リンの言葉になどもちろん耳を貸すはずもなく、いやそもそも理解すらしてないであろう魔獣は、リンを押さえつけられてる腕と逆の腕を持ち上げる。


「はあ……はあ、リンッ……くそっ!」


 未だ判然としない頭で、状況を認識したアースは悔しげな声を上げる。本来ならすぐに助けに行くのだが、先ほどの攻撃で立ち上がることさえ今は難しい。

 どうしようもない危機的状況、そこでふとある思い出がフラッシュバックする。


 それは……魔族に殺された両親。


 他にも壊された村や傷ついた人々、段々と闇に覆われていくこの世界。そうして、最終的に辿り着いたのは、『勇者伝説』。

 この世界を照らす者。たとえ世界の裏側にいようと、助けを求める者がいればきっと救ってくれるだろう、と。


(もし……もし、その伝説が本当なら!)


 少女は今この瞬間にも殺されそうになっている。誰かが助けなければ必ず死ぬだろう。


(もし、本当に勇者が存在するなら! 今、この瞬間を助けに……!)


 助けを願う思い、それは言葉にせずとも届いていく。闇を振り払う勇ましき者、それは思いに応え命を救うため、今ここに──



「くるわけ、ないだろっっっ‼︎‼︎」



 そんな甘い幻想を消し去り、力を振り絞って立ち上がるアース。

 たとえどれだけ願っても勇者が助けにこないことはアース自身が誰よりも知っていた。だから、今この状況から目を逸らさない。だから、今この状況から逃げ出さない。


「よく見ろ、よく考えろ、今リンを助けられるのは……」


 そう。リンを助けられるとしたら、それは居もしない勇者なんかじゃない。それは──。


「俺だけだっ‼︎」


 立っているのが限界の体に鞭を打ち、痛みに耐えて走り出す。


「アース……!」


 それに気づいたリンが、か細く声を上げる。


「武器は……ないよりマシだ!」


 すでに木剣は完全に砕け手元にはない。一度その身で戦うことを考えたアースだが、腰に携えていた木の枝に気づき、それを抜いてさらに駆けていく。


「逃げて、アース……!」


「断る‼︎」


 リンの言葉をはっきり否定するアース。


「グオ? ガアアアッ!」


 その存在に気づいた魔獣は、リンに向けていた腕の矛先を変えて、アースに向けて振り下ろす。


「っ……ああああああああぁぁっ‼︎」


 そもそも立っているのが限界の体、もはや避ける余力もなくアースは木の枝を振るい、真正面から受け止めようとする。


「ダメっ‼︎ そんなのじゃ……!」


 木剣よりもはるかに脆い木の枝。それは魔獣の爪に触れた瞬間に呆気なく砕けちり、その先にあったアースの体をつらぬ──


 ギィィンッ‼︎


 何か、固いものどうしがぶつかり合うような音。


 それは、魔獣の爪と……アースが持っていた『木の枝』によるものだった。

魔獣とアースの力の差を考えれば、魔獣の攻撃は止められない。だが、重体のアースを見た魔獣はその傲慢さから軽い攻撃で済むだろうと考え、軽く腕を振った。だから、攻撃自体はアースが受け止められるものだったが、本来は木の枝が砕け止められないはずだった。

 だが、現実として木の枝は砕けることなく魔獣の攻撃を止めていた。


「あ?」


「え……?」


「グ、オ?」


 それはリンと魔獣どころか木の枝を振ったアースでさえ困惑させた。一瞬訪れる静寂、生まれる隙。そんな中で、一番早く動いたのはアースだった。アースは振り下ろされた魔獣の腕を踏み台に高く飛び上がる。


「くらええええええええっっ‼︎」


 そして、魔獣の頭に向かって全力で木の枝を叩きつける。本来なら大したことない威力。だが、魔獣の爪でさえ砕けない木の枝、それはその爪と同等のもの、もしくはそれ以上の硬いもので殴りつけられるのと同じ。


「グオガアアアアッ⁉︎」


「うあっ⁉︎」


 頭に強い衝撃を受け体をぐらつかせる魔獣。それと同時に木に押さえ付けられていたリンも解放される。


「大丈夫かリン! 一旦あいつから距離取るぞ!」


「え、ええ……」


 リンは動揺しながらも立ち上がり、アースと共に走り出す。


「ね、ねぇアース! さっきのどういうこと⁉︎」


「あ、何が?」


「その木の枝よ! どう考えたって異常でしょ!」


「そんなの俺にもわからねぇよ!」


「グルアガアアアアァァッ‼︎」


 木の枝の異常性を話しながら逃げるアースとリンだったが、その後ろから先ほどよりも怒りを滲ませた声をあげながら魔獣が追ってくる。


「とりあえずそれ考えるのは後ね。とにかくあいつからなんとか逃げなきゃ」


「つっても簡単に逃げられないなら、とりあえずやるしかないだろ!」


「そんなの無理よ! 特にアースはすごい重体で……って、木の枝のせいで忘れてたけど、あんた大丈夫なの⁉︎」


「ああ、それがなんかあいつに一撃叩き込んだおかげか、すごい気分が上がってて全然傷も痛まないんだよなあ」


「それ本当に大丈夫なやつ⁉︎」


「とにかく、体の調子がいいし、この木の枝が砕けないならなんとかやれるはずだ! 幸いあいつの攻撃自体はギリギリ見切れるし」


 そう言ってアースは足を止め、追ってくる魔獣に向き直る。


「ちょ、ああもう! やるにしても、さっきみたいにならないように逐一距離を取りながらやるわよ! 私の魔法も防がれなければ多少は怯ませられるから」


「ああ!」


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